私の音楽遍歴(28)<アマデウス(2)−音楽の才能とは?>


♪エリック・サティーは、「ジムノペディ」、「ディジャブ(きみがほしい)」等などで有名なフランスの
 作曲家です。彼は、酒場のピアノ弾きで生計を立てながら作曲を続けていましたが、生前認めら
 れる事はありませんでした。しかし『私の音楽は、百年後に盛んに演奏されるだろう』と予言する程、
 自分の音楽に自信を持っていました。そして今、彼の死(1925年)後、百年を待たずしてサティ
 ブームが訪れました。私は、今のテレビCMで使われているクラッシック系の作曲家の曲数順位で
 サティーは、ベスト5に入ると思います。

♭しかし、『サティーは天才である』という評価を、私は聞いた事はありません。サティーは、彼の生き
 た時代には受け入れられなかったが、百年後に受け入れらる様な音楽を書いたという方が当たって
 いると私は思います。サティーは、天才ではなかったかもしれませんが、百年後に受け入れられる「音
 楽の才能」を持ち、それを予見するだけの『先見の明』も持った凡庸な人(?)だった訳です。ここまで
 書いてで来ると、私が「音楽の才能」において「天才」と「凡庸」の2種類に色分けてしまう事に無理が
 あるのだと気が付いてきます。

♯世の中には、音楽を作れる人はたくさんいます。(私もその一人です。)音楽として完成した形まで作
 れるという事は、ベーシックな「音楽の才能」があると考えられると思います。しかし、私は、音楽はまず
 自分が楽しむ事が最初だと思います。自分が楽しめない音楽を他人が楽しいとは感じる訳はないと思い
 ます。ここで楽しむというのは「楽しい音楽、明るい音楽」というではなく、心の浄化作用を起こし心が晴
 れる様な音楽という意味です。

♭自分が楽しいと考える音楽を同じ様に感じてくれる他の人がたくさんいるという事は、その音楽に一種
 の普遍性が与えられた事になると考えられます。簡単に言えばそれはヒットであり、ヒット曲を多く生み出
 す人は、高い「音楽の才能」を持っている考えられます。そして死後も盛んに演奏されるような音楽を作っ
 た人は、「音楽の天才」と呼ばれる可能性も出てくる−結局そんな流れかと思います。

♯自分自身を考えた場合、『私は(100曲以上の曲を作曲しているのだから)ベーシックな音楽の才能は
 ある、しかし音楽で食っていける程の高い「音楽の才能」はない。』これは、大学時代に出した結論であり、
 あれから20年たった今でも変わらない結論です。それは、自分で言うのも悔しいのですが私の音楽は、
 『素人に産毛が生えた』程度の音楽であるという事です。

♭そして『 私の自己実現の方法として一番有力であると考えている音楽が、もう日の目を見る事もなさ
 そうだという事に対する失望』。私は、今までに、13枚のアルバム(自作テープや自作CD)を作りました。
 それに対して仲間からある一定の評価を受けたり、全国発売のCDに何曲かは収録されたりしました。しかし、
 年齢的な事等を考えるとそこ止まりであり、私の歌がもっと多くの人に受け入れられる(ヒットする)可能性は、
 ほとんどないな〜という事に対する失望です。しかし、一時的でもプロになった事もプロを目指す為に積極的
 に目立った行動をした事もない訳ですから当たり前と言えば当たり前の状況なのです。

♯結果として(自分を慰める意味も込めて)、「音楽はまず自分が楽しむ事。」という当たり前の理屈に戻り、
 今日も自作曲のCDを聞き、(懲りずに)土日には14枚目のアルバム製作を行う私です。

(2002年5月25日掲載)


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