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2000年1〜4月の 雲竹斎日誌



Tue. 2000/04/18

 私は雲竹斎。
 最近、私の中に別人格が産まれつつあり、私自身制御不能な事が多いため、 女将に私の近況を伝え、代筆してもらっているこのコーナーのあり方に多少影響を及ぼしている。 端的に言えば、なかなか更新できなくなっているのだ。まぁよかろう。ともかく、今日は更新できそうだ。
 今日は、最近私が気に入っている二つのことを紹介しよう。

 女将が毎日洗面台の鏡の前で、なにやら顔に塗りたくっているのは以前から知っており、 気になって気になったしかたがなかったのであるが、 最近は、私も女将に並んで、パフなどを使い、お顔をぱたぱたしたり、 女将が口に筆で何かを描いている時に、懇願し、私の唇にもちょんと描いてもらったりしている。 何がいいのか、よくわからないが、なんとなく嬉しいので、いつも、つい”いい顔”をしてしまうのである。 そして、 ファンデーション類に限らず、化粧水、洗顔料など、顔に塗る関係のCMが流れると、 これまた、つい、いい顔をしながら両手でお顔ぱたぱたをしてしまうのである。 当初、「かわいい♪」と喜んでいた女将も、最近は、「この子、そっち方面に行ったりしてゥvと、 嘆いている。”そっち方面”というのが、どっち方面なのか私にはわからないが、 どっちにしろいい方面でないことは、女将の表情から一目瞭然と言えよう。

 ん?と思われるかもしれないが、上記の話はあれで終わり。別に落ちはないのである。

 ところで、前回の雲竹斎日誌で、インドの文化に傾倒していることを述べたが、 最近は、あのフィンガーボール事件以来のお仏蘭西ゥゥゥ竅Aもしかしたら伊太利亜かもしれないが、 ともかく、どっちかの食文化にまたまた興味を持っている。
 というのは、以前から、食器棚に並んでいるワイングラスの類には、他ならぬ興味があり、 女将の制止にも関わらず、毎日毎日毎日毎日、戸棚の扉を開けては、ワイングラスを取り出し、 ぐっと飲む真似をして、「っあーーー」と感嘆の声を挙げることに快感を覚えていた。 そうして最近、女将から与えられた、その名も「ソムリエグラス」の出現によって、私の食生活は、 らぐじゅありーでそふぃすてぃけいてっどなものとなっているのだ。
 食べているものが豆腐であろうと、鮭であろうと、肉じゃがであろうと、 食パンであろうと、そして、飲んでいる物が麦茶であろうと、 牛乳であろうと、ただの水であろうと、私はいつも、”ソムリエグラス”を使うのだ。 グラスの脚を持ち、グラスの1/3程に飲料類を入れてもらい、くるくると回し、 香りを確かめるために、鼻までグラスに覆われるようにして、少しずつ飲むゥA 味を確かめ、好みでないときには、「はい」と言いながら女将に突き返し、 好みの場合には、「美味しぃ〜」と絶賛しつつ、杯を重ねるのである。
 その姿は、世界のソムリエ田崎氏にも勝るとも劣らない華麗さゥゥ栫X、あまりにまずいものを飲まされ、 思いっきり、床に、テーブルにひっくり返してグラスをカラにすることもあるが、これもまた、こだわりと厳しい審美眼を有する、 優秀なソムリエのテイスティングの妙であろうゥゥゥゥゥゥゥ謔樒B

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Fri. 2000/03/10

 私は雲竹斎。
 私は、インドの食文化に興味を持っている。それも、「カレーが好き♪」等という、 生やさしいものではない。郷に入らば郷に従え、主に交われば赤くなるゥゥなんだかそっくりさん的表現で、 よく意味がわからないが、ともかく、食べ物の本来の味わいを実感するためには、 その食べ方までも文化として受け入れる必要があるとの考えに基づき、 私は、食べ物を”手”で食べている。そう、インド人の食べ方を真似しているのである。
 女将は、そんな私の文化探訪を阻止すべく、毎回フォークだの、お箸だのを使わせようと、 トレイに並べて持ってくる。私とて、女将の労に報いようと、少しは道具で食べてみるのだが、 やはりインドの魅力にはかなわない。パンや野菜類、ソーセージの類はもちろん、 御飯、肉、魚、味噌汁の"み"、そして、本場インドカレー(かどうかは不明)まで、 ありとあらゆるものを手で食べるのだ。先程は、スプーンが添えられたヨーグルトを手で食べるという技にトライした。
 しかし、この食べ方には問題が一つある。そう、手が汚れるのだ。手で食べる文化は体感したいものの、 汚れた手をそのままに次の食材に移るのは、A型の私としてはどーーしても我慢ができない。以前、フィンガーボールの話をしたが、 最近、あれはフィンガーボールではなく、飲み物であったことが判明した。そして、女将は、 フィンガーボールなるものを用意してはいなかったことも判明したのである。
 この問題をどのように解決するか・・・・・・・。
 もちろん、私のしもべである女将もしくは旦那に拭かせるのだ。
 
 肉を食べる。「はい」と言って手を出す。女将が拭く。
 御飯を食べる。「はい」と言って手を出す。女将が拭く。
 きゅうりを食べる。「はい」と言って・・・・・・この繰り返し。時々は、きまぐれに自分で拭いてみたりするのだが、 どーーもこうした行為は私のイメージではないので、結局「はい」と言って手を出すのだ。

 女将は、私が道具を使わないことを時々悔やんでいるが、まだまだまだまだ、 インド文化探訪は続くのだ。いひひひひ。

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Thu. 2000/02/10

 私は雲竹斎。
 最近の私の趣味は、絵画である。それも、鑑賞ではなく、描く方。 これまで音楽に合わせて踊ったり、鼻歌を歌ったりと、音楽系のものには造詣を深めて来ていたが、 美術系のものは、女将の薦めにも関わらず、今一つ気が乗らなかったものであった。しかし、 この二ヶ月ほどの私といったら、描く道具を見ると、それを手にして、何かを描かずにはいられない。
 そういう私の姿を見て、女将は当初、たいそう喜んでいた。それはそうだろう、私の絵画の才能といったら、 色使いといい、線の勢いと言い、対象の捉え方と言い、他には追随を許さぬ独創性を持っている。 最初は、女将が与えてくれたF6版のスケッチブックにいろいろと描いていたが、 私の際限ない創作意欲は留まることを知らず、紙に描くという固定概念を打ち破るに至った。 幸い、女将宅には、描くにふさわしい画面となるものが豊富にある・・というより、私にかかると、 どんな物でもキャンバスと化すのである。
 まず手がけたのは、自動画像映写機の画面であった。似たようなものとしては、女将がよく私の相手をさぼって 遊んでいる個人用電子計算機の画面がある。もちろん、画面に描くと、その周辺や、突起や、ともかく、ありとあらゆるものに 自分の才能をぶつけてみたくなるのは人情。しかし、電子計算機周辺は、女将と旦那のガードが堅く、 なかなか私の作品を手がけることができない。そこで、私は描く場所を居間から、他へと移すことを考えた。 すると、あるあるあるある、白くて大きなキャンバス・・・それを女将は「洗濯機」と呼んでいるが・・・・つやつやとした 白い輝きは、私が手にした水性マジックを乗せるものとしては最高の描き味。発色もよく、ペンがよく乗る。 私は五色ほどのマジックで作品を仕上げると、たいへん似た素材の御飯製造器に突進し、 やはり、ほとばしるイメージをぶつけ、更に横にあった熱湯保存機にまで手を広げた。
 「うーーん、すばらしい・・・」と、うっとり自分の作品に酔いしれていると、例の興醒め女将がやってくる。 そして、「あーーあ、頼むよ〜。こんなとこに悪戯しないでよ〜。」と、また興醒めなことを言いながら、 私の作品を、よりによって私のお尻を拭く紙を使って、拭きはじめるのだ。私の作品は、私の尻と同じか〜!
 いつもなら、ここで抗議の声を上げ、床に寝ころんでクーデターを起こす私であるが、 芸術に携わった後の私はひと味違う。「ふん」と鼻で笑って、居間に戻り、お気に入りのピンク又はグリーンの水性マジックを手に、 床に新しい作品を描き始めるのであった。”ペンは剣よりも強し”。いくら女将が剣道有段者でも、私の芸術にかける情熱には勝てはしないのだ。 この場合の「ペン」が本来の意味とは違うが、そんなことは気にしないのだ。
 ふふん。今、私が目論んでいるのは、女将の顔に描くこと。 先日から、自分の顔に描くことの楽しさを味わっているので、是非是非是非是非、女将の顔、それも、鼻の穴あたりに・・・・と狙っているのである。

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Wed. 2000/02/09

 私は雲竹斎。
 この頃、女将は家事をさぼる。 以前から掃除の手抜きは圧巻であったが、唯一、見事なまでにやり遂げていた台所の片づけまでさぼるようになってきているのだ。
 旦那の弁当と我々の朝食の後片づけを昼食の片づけと一緒に行い、 私と女将の夕飯の片づけを、旦那が帰宅し、食事が終わるまでほったらかしにしている。大ざっぱなO型の女将はそれでも 気にならないのだろうが、几帳面なA型の私は、流しに食器が溜まっているのが、どーーーしても許せない。
 そこで、私は、教育的指導をすることにした。
 夕飯が終わり、食器を流しに下げ、「お風呂入れる間遊ぼうね〜」と、 私の相手をするということを理由に休憩をしようとする女将が、珈琲片手に座り込むその時、私の愛用の室内こぎ車、 別名「ミッキーマウスのパレードカー」(これは洗濯の進行状況をチェックする際にも使用している)を、踏み台にすべく居間から流しの前まで運び、設置する。そして、 洗い桶にたまった食器の中から、できるだけ長い物、そう、例えば菜箸であるとか、フォークであるとか、おたまであるとか、 そういったものを取り出し、「洗え〜」と叫びながら、そこらの食器や蛇口を叩くのだ。すると、効果てきめん。 女将は、珈琲タイムもそこそこに、「やめなさ〜い」と飛んできて、私の手からブツを取り上げ、 食器洗いにかかる・・・・かと思いきや、敵もさるもの。私をパレードカーから降ろし、「流しは遊び場じゃないの」と言いながら、 居間へと連れていく。しかし、私が遊んでいるわけではないことは、ここまで書いたことでおわかりかと思う。 当然、私は女将の横暴に抗するべく、抱きかかえられている間中、足をバタつかせ、抗議の声を上げる。 そして、居間におろされるやいなや、そのままクルリと身を翻し、流しへと戻るのだ。 女将は「ダメだ〜〜」と叫びながら私を追いかけ、長い物を隠すが、そんなことで私の指導は断念されるものではない。 そこらにあるものを触りまくり、時には器で水をすくって床にばらまき、自らも水をかぶり、身を挺して女将を教育・指導するのである。
 ここまで来れば、さすがの”おさぼり女将”も、あきらめるらしく、やっと、洗い物にかかるのであった。しかし、途中で手抜きをされては、 衛生上の問題が生じ、ひいては私の健康状態にも異常を来すことになる。したがって、私は、女将が食器を洗っている間中、 ごろごろと不安定な例のパレードカーに乗り、隣にはりついて、女将の作業を見守り、 時には手を出して、洗い方の指導を実践するのである。一応女、いや、むしろ主婦としてのプライドがあるのか、 私が洗い方まで手出し口出しするのが女将は勘に障るらしい。 時折、「あーーもーー、じゃまじゃまじゃま〜」と私の手を引き戻すが、女将の今後のため、私は指導を続けるのであった。
 全く、最近の女は手が焼けるぜ。

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Fri. 2000/01/28

 私は雲竹斎。
 昨年の秋頃までは、機嫌が悪いことはあっても、けして大きな声を出すことがなかった女将であるが、 このところ、怒鳴る回数が増えた。スーパーで、台所で、公園で、大きな声で 「こらっ!雲竹斎!いい加減にしなさい!」と来る。何でも全力で貫き通すことがモットーの私にとって、 「いい加減」に「する」などということは不可能なのであるにも関わらずである。 そんな状態なので、「いい加減にしろ」と言われると、かんに障り、余計に暴れたくなってくるのである。  ところが、昨日の女将は、一段と迫力のある声で怒鳴り、私は思わず硬直してしまった。
 何が起こったかというと、朝から三度ほど、お茶を床にばらまいたのだ。どーーも、これは女将にとっては気に食わぬ行為であるらしく、 一度目は「こりゃっ。お茶をこんなところに捨てちゃダメでしょ」と、少し厳しい声で、 昼過ぎ、二度目にばらまいた時には、口をとがらせ、「う・ん・ち・く・さい・くん。だ・め・で・しょ」と一文字ずつにえらく力を込め、 私の手を握り、しばらく睨まれてしまった。そして、夕飯後。三度目に、同じようにやったとき、 どーーも、女将は壊れてしまったらしい。

「なにやってんのーーーーーーーー」

と、このコーナー初の大文字で表わすにふさわしく、かつて私が一度も聞いたことがない、太く、大きく、 どすがきいた声で言い放ち、 女将の椅子に立つ私めがけて突進・・・・まさに、突進してきた。そして、 やおら、私の手からお茶がはいっていたカップを取り上げると、立て続けに、わけのわからないことを言い散らし、 手に持った布巾で付近を(ぷぷ・・・おっと、こんなときに、不謹慎である。)拭きはじめた。お茶を拭いている間も、 なんだかモンクを言っているようであったが、不覚にも私は、かつて見たこともない女将の剣幕に気圧され、 いつものように抵抗する気もおきなかった。
 一通り、拭き終わると、女将は私を居間の中央に移動させ、「もう、ここから動いちゃダメだ!」と、 とても無理なことを言い、そのまま台所に戻っていってしまった。こういう時は、しばらく静観が一番。 私は、女将の怒りの原因を考えるべく、その場に座った。・・・・・・が、しかし!しかし!しかし!
 弁解するわけではないが、私がお茶をばらまいたのは、エアコンと電子カーペットで乾燥気味の居間に 湿気を与えるためと、昨日床の拭き掃除をしていない女将に掃除の機会を提供するためなのであって、 女将が言うように、断固「口にするものをおもちゃにして」いるわけではないのだ。確かに、三度目の時、 椅子の脇にあった、女将のバッグにお茶を浴びせたのは悪かったと思うが、 それだって、女将がそんなところにバッグをほっぽらかしてるのが悪いんじゃないか! 麦茶ではあるが、床を水拭きできて、奇麗になったじゃないか!昨日、寒いからといって、 「拭き掃除はしなくていいよねぇぇ」と独り言を言っているのを、私は聞き逃してはいない。 なのに、なんで、あんな風に怒鳴るのだ!理不尽!理不尽!理不尽!
 ここは、一発、ガツンと言ってやらねばと、台所へと向かったものの、 髪を振り乱し、おニューの服を着ている私とは違って一昨日と同じ服を着、私が使った数々の食器をはじめ、 鍋、ボール、やかん、布巾等々を半ばやけに・・・いえいえ、健気に洗う女将の 姿を見ていると、「ああ、疲れているんだな」と実感し、抗議を思いとどまった。 そして、相変わらず不機嫌そうにシンクを磨いている女将に「まま〜」と声をかけ、 私の必殺技、「いないいないいな〜い・・・・っっぶわぁぁ」をしてやった。
 最初、「ふんだ」というような顔をしていた女将も、私の技には勝てず、二度目にして「っっぶわぁぁ」を 一緒に言うようになり、次は「いないいない・・・」の部分から声を合わせた。こうなれば、もう大丈夫。 私は少し近づき、整理棚の影を利用して、「いないいない」をし、更には、女将とシンクの間に押し入り、 「抱っこしてして攻撃」をした。女将は「んもう、しょうがないなぁぁ、仲直りだね」と言って、私を抱き上げ、 「ほっぺすりすり攻撃」をしてきた。私もこれには負けそうになるが、ここで主導権を取られては男がすたる。 最後には私がとどめを・・・と思い、必殺中の必殺「必殺ちゅー作戦」を敢行した。
 案の定、「いや〜ん、ちゅーーしてくれるの〜〜」と女将はでれでれの声を出し、自分から私の頬にちゅーーをした。 私が、「いひひ」と笑って、対決は終了。女将はすっかり機嫌を直し、「洗い物が終わったら、よーぐる食べようねぇぇ」と、 人がかわったような声で言った。結局、半分以上は女将が食べることになることはわかっていたが、 私がスプーンを取り上げ、女将に食べさせてやると異常に機嫌がよくなるので、 よーぐるにつきあうことにした。家庭内において、女の不機嫌ほどこわいものはないことを私は知っているからだ。  

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Wed. 2000/01/19

 私は雲竹斎。
 あまりに時期はずれであるが、「明けましておめでとう」でござる。何しろ、2000年を迎えて、 初めての雲竹斎日誌でござる。ちょっと、書かない間に、「ござる」という口調になってしまっており、 自分自身戸惑っているのでござる。
 昨年は、11月から二度の入院を経験し、年末にはインフルエンザとかいう難病に冒され、 大変忙しい暮れであった。その為、最後の雲竹斎日誌から、早二ヶ月が経とうとしている。 この間、私は私なりに、いろいろなことを理解できるようになり、成長をしたと自負している。
 物を口にする折には「おいちい」と言うべきであること、 動きのある生き物は「ぅわうわ」と呼べば女将と旦那が喜ぶこと、 女将を呼び寄せたいときにはでっかい声で「ままーーーーーー」と叫べば飛んでくること、 若い男女が一緒にいる時には、女性の方は必ず「あ、赤ちゃん、かわいい♪」と自分が子供好きであることをアピールすること、 そして、食べ物は床に落としてはいけないこと等々・・・・・あまりに多くのことを修得したので、 時々ストレスで物をぶちまけてしまいたくなるほどである。
 しかし、なんといっても有効であり、また、私の楽しみである新知識は、住まいの中にはいろいろと”押す物”があって、 それを「くちっ」とか「ぷちっ」とかやると、極めてドラスティックな変化を楽しめるということである。 そしてまた、この行為は、家庭内において、それぞれの機器が正常に作動しているか否かをチェックするという、 私の本業、パトロール士の使命も兼ねているのである。
 現在、気に入って・・・・いや、特に注目してしているのは、このところ旦那が寝ている部屋の灯りを、楽々つけたり消したりできる道具である。
 しかしながら、その部屋にはなかなか入らせてもらえず、入ったとしても、女将や旦那の監視が厳しいため、 思うようにチェックができない。従って、旦那や女将がその部屋に入ろうとするときに、その脇を素早くすりぬけ、 捕まらないうちに、できるだけ速く例の道具に達することが極めて肝要なのである。 この時には私もかなり急いでいるため、旦那の布団があると、それに足を取られ、倒れ込んでしまうことがよくあるが、 布団というのはありがたいもので、相当激しく「どたっ」と倒れても、痛いどころかむしろ気持よいのである。 夜、眠さをこらえて、トライしているときなど、使命を忘れてつい寝込んでしまいそうになるが、 そこは私、雲竹斎。使命はまっとうせねばと、必死に起きあがる努力を怠らない。そうして、 目的のものを手に入れると、私はしばし、かつて一斉を風靡した”ディスコ”の照明よろしく、 部屋の灯りを点滅させ、陶酔するのだ。
 ところが、このように苦労を重ねて、いつもその道具が置いてあるはずの旦那の「快適睡眠生活促進グッズコーナー」とでもいうべき 場所にたどりついても、肝心の物が見あたらないことが度々ある。女将の仕業である。 部屋の入口脇高さ130cm程度の場所にある、その道具のホルダーに、私の大事なそれを納めているのである。 もちろん、私はあきらめない。私には、脚立代わりの女将、もしくは旦那という強い見方がいるのである。 両手を必死にのばし、眉間にしわを寄せ、出来る限りの大声で「んーーーっあ、んあっ、あーー」と叫べば、 根負けして、私を道具に導いてくれるのだ、いひひ。
 時々、女将が大層怖いことがあるが、そんな時はもちろん旦那が頼り。二人が揃っているときには、 大抵どうにかなるものである。

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