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2000年9〜12月の 雲竹斎日誌



Sat.2000/12/2

 私は雲竹斎。
 私は拘束されるのが嫌いである。いつでも自由にしていたいのだ。できれば、服なども着たくない。おむつなんていう代物もあまりしたくない。だからといって、トレイで「おちっこ」をするのなんて、私の美学に反する。一時期、腰掛けてみたりもしたが、やはりトイレは水を流して遊ぶのがよい。
 そんなわけで、まだ、おむつ愛用者の私は、おむつ替えの際、女将がおむつを取った後はそのまま走り去り、おむつとそれに続く「じゅぼん」の呪縛から逃れようとする。女将も、しばらくは「寒いよ」とか「風邪引くぞぉ」とか言いながら追いかけてくるが、私の決意の固さを知ると、あきらめる。そうなればこっちのもの。
 私は自慢のぷりぷりおちりをシャツの下から覗かせながら、あちこち走り回る。最近は寒いので、時々断念しそうになるが、とりあえずおちり出し走りにトライする。が、あまりに長い時間こうしていると、女将の「ぷりぷりおちりペチペチ攻撃」、或いは、「お○ンチンつんつん攻撃」にあうため、適当なところでうさちゃん付きおむつを取り出し、「おむちゅはく〜」と女将に甘えた声で頼む。「甘えた声」であるのがポイントである。其の折に、私はお気に入りの「ぼくのおしりにぷーしゃん」の歌を歌うことにしている。が、「ぷーしゃん」は「はかせるおむつムーニーマン」であり、私の愛用のそれは「メリーズパンツ」であり、更には、「ぷーしゃん」は「ぷーしゃん」ではなく、「ぷーさん」が正解らしい。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。我が家には私から「ネッピアっ」と呼ばれている「スコッティ」や、「くっちー」と呼ばれている「ビスケット」や、時折「ママ」と呼ばれる「パパ」こと旦那がいる。
 私と女将が理解していればそれでよい。時々、女将にも理解できないことがあるようではあるが、いっていることが全て理解できれば幸せゥゥゥとは限らないものである。
 うーーーん、我ながら深いな、っふっふっふ。

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Sun.2000/11/26

 私は雲竹斎。
 この日誌では、私と女将との攻防について書くことが多い。が、やはり、こう毎日一緒にいると、信頼関係もうまれ、私も、時には女将の役に立ちたいとの想いから、女将の手助けをし、とても和やかなムードで一日を過ごすこともあるのである。
 例えば、私は女将の家事の軽減の為、家事の一部、洗濯を負担している。
 具体的には、洗濯機に洗濯物を入れ、タッチスイッチを操作し、水を入れ、洗剤を入れる。普通の主婦、或いは洗濯担当者は、ここで仕事が一段落と思うのか、その場を離れるようであるが、私は雲竹斎。詰めの甘さは許さない。洗濯槽に水が満たされ、洗剤が泡立ちながら洗濯物がぐりぐりと回る様をじっくりと監視し、洗濯機が確実に作動しているか否かまで確認をするのだ。私の仕事はいつでも完璧なのだ。
 女将も、これには感謝しているらしく、私が洗濯物を洗濯槽に入れ始めると、「おお、上手だねぇ、助かるなぁ」などと言い、私もまんざらでもない。
 が、どーーも、やればやるほど誉められるというわけでもなさそうなのが「お手伝い」の難しいところである。私としては、女将に少しでも楽をしてもらおうと、日に二、三度、いや、五、六度ゥゥいや、ともかく、思いついたらいつでも洗濯を始めるべく、そこらに転がっているものゥゥ痰Aお昼寝用のタオルケットやクッションのカバー(もちろん女将にはがさせる)、たたんで置いてあるセーターなどを洗濯槽に投入。また、私が着用している衣服は脱いで、さらには、気を利かせて女将や旦那が着用している衣服をも投入すべく脱がせようとするのだが、女将の気が向かない時は、「もう、今日は洗濯はおしまいなの」と制止されてしまう。洗濯が溜まると、困り果てているくせに、私が洗濯をしてやろうとすると、制止する。全く、女って奴はわけがわからない。しょうがないので、私は時折、女将の目を盗んで洗濯をする。
 女将が、息抜きをしている一時、私はそっと洗濯機に近づき、そこらにある物を洗濯槽につっこみ、スイッチオン♪ゥゥゥぐおーーーぐおーーーという音に続き流れる水の音、私の大好きな音の一つである。が、しかし、女将は「あーー」とも「うおーーー」ともつかぬ声を出して、「うんちゃん、何やってんのっっっっっっ」と洗濯機に突進する。が、既に洗濯槽には水がゥゥA一度洗い始めたら、止まらないのが洗濯機。こうなれば私の勝利である。
 今日もまた、一枚のタオルを洗う為、私は洗濯機を回すのであった。
 こうして、和やかな一日は暮れてゆくゥゥB

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Tur.2000/09/14

 私は雲竹斎。
 度々書かせてもらっているが、私はA型なせいか、几帳面なところがある。従って、O型であるからという理由だけにしては度が過ぎるいい加減さを誇る女将や、AB型のせいか妙なところは几帳面で基本的には大ざっぱな旦那の行動が、時折気になり、思わず手を出してしまう。
 例えば外出時。女将も旦那も、キッチンと玄関をつなぐ扉を開けっ放しで出かけようとする。また、二階の寝室から出るとき、出入口の襖をやはり閉めない。更には、入浴後、直ちに何かを着用したい私と違い、いつまでも素っ裸でうろうろしているし、旦那も旦那で帰宅後、しばらく服を脱ごうとしない。そして、脱いだ衣類をそこらにほったらかしておいたりもするのである。更には、女将と2人の食事の時、食べ終わった食器類を、私がまだ食べているからという理由で、しばらく目の間に並べたまま、私のことを監視しているのである。
 かつては、それが女将や旦那のペースと、我慢をしていたが、もう、限界である。そこで、私はこのところ、奴らをしつけるべく、実力行使に出ている。
 まず、外出時。いつものように、扉を開けっ放しで出かけようとした折には、靴を履いている途中であろうが、私は戻って扉を閉める。寝室の襖と、ついでに向かいの部屋の襖も、階下へ降りる際には、必ず閉める。また、食事時は、女将の食事の進み具合を観察し、全てのお皿が空になったら「ないねぇ、ないねぇ」と空になったことを確認し、そのままそこに座り続け、ぼけっと休憩体制に入ろうとする女将を奮い立たせるべく、女将用の料理が乗ったお盆を女将の方へ押しやり、「あっち、あっち」とキッチンを指しながら片付けを促す。
 更に、入浴後は、「先ず隗よりはじめよ」の言葉通り、自らのおむつを「あれぇ、あれぇ」と言って探し、見つけると「あったあったあった」と言いながら手に取り、女将に渡す。女将は私のお尻をタオルでなで、なかなかはかせてくれないので、「足〜(を入れろよ)足〜(だよ、あし)」と訴え、着用する。そうして、私の衣類が入っている引き出しを開け、適当にシャツを出す。女将は、自分の仕事が減るので、嬉しそうに「雲ちゃん、偉いねぇぇ。もぉぉお、いい子なんだから〜ん」とでろでろな声を出す。私の着替えが終了すると、今度は女将の下着を探し、女将に渡す。これまた、女将は感動するが、時折、出した物が気に入らないらしく、自分で取り替えたりしている。が、これで、女将は裸で室内をうろつくこともなく、無事、服を着てくれるのである。
 そして、旦那。旦那の帰宅時は私は非常に忙しい。いろいろと指導すべきことがあるので、私は旦那の帰宅と同時に、仕事にかかる。まず、玄関に出迎え、「おかぇり」と声をかけ、靴を脱ぐのももどかしくその場で手を引き、室内にはいるよう促す。室内に入ると、ベルトをはずしてやる。この作業は旦那もやりたいらしく、途中からは自分ではずしてしまう。そして、パンツ(下着ではなく)を脱ぐのを手伝い、次は靴下。そして、下着のシャツを脱がしてやって、引き出しから新しいTシャツを出して渡す。脱がした靴下とシャツは洗濯機に「ぽい」しなくてはならない。更には、カバンの中から出てきたお弁当箱をキッチンに立つ女将に持って行く。女将が解いたお弁当の包みを受け取り、これも洗濯機に「ぽい」である。そして、たまに旦那が使ったティッシュをゴミ箱へ「ぽい」する。同じ「ぽい」でも、洗濯機への「ぽい」とゴミ箱への「ぽい」とは微妙に違いがある。私はその微妙な加減を見極める能力に長けており、今の所、「ぽい」違いをしたことはない。
 このように、旦那帰宅後には、部屋中をあちこち駆け回り、あれこれ細々と働かなくてはいけないのだが、これも、女将夫婦をしつける為、身をもって2人を指導しているのである。

 上記の躾とはあまり関係ないのだが、私は最近旦那の食事の毒味も担当している。旦那のお盆には、必ずと言っていいほど、私とは違う何かが乗っているのだ。旦那と女将は仲が良い方だとは思うが、このところ女将は機嫌が悪いことも多く、旦那への不満を私にぶちぶち愚痴ることもある。保険金ほしさに自分の亭主どころか、子供まで始末しようとするような事件が横行する昨今。一見、機嫌よさげで、よき妻であるように見える女将でも、自称「良き妻」であるだけで、何を考えているかはわからない。何もそこまでと思われるかもしれないが、油断大敵織田信長である。
 女将が、料理を乗せたお盆を持ってくると、私の考えを女将に悟られないよう、「おいそ〜(おいしそ〜と言いたいのだが、危険な任務であるので、緊張し、ちゃんと発音できないのだ)、おいそ〜」と言って、カモフラージュ。次に、旦那の膝によじ登り、まずは「びーーる、びーーる」と旦那にビールをすすめ、料理に手が伸びないようし向けておき、「あーーーん」とあれこれ口に入れてもらうのだ。緊張の一瞬である。
 が、今のところ、私も旦那も元気である。女将も、そこまで悪くないかゥとほっと胸をなで下ろしはしているものの、時折、どうしても毒味をさせてもらえないことがある。私が大声を上げ、床に転がって抵抗しても、旦那が、「ダメかなぁぁ」と言っても、女将が、けして許さないことがある。「もう、歯磨きしてるから」というのが理由らしいが、他のことに関しては極めていい加減な女将が、ここだけは徹底して譲らないところを見ると、そういう時の料理は要注意なのかもしれない。

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Sat.2000/09/09

 私は雲竹斎。
 今日は重陽の節句。「桃の節句」と同じ言い方をすれば、「菊の節句」らしい。ふふん。雲竹斎の蘊蓄である。
 ところで、このところ雨続きで私は外に出ることができず、少々退屈している。その為、家の中での過ごし方を模索しており、結果、私用の車の模型や、イヌの剥製もどきや、雑誌、本、あれこれリモコン、フォーク、紙おむつ、新聞等々が部屋中にちらばることになる。これも、私の研究活動の糧となっているのだが、女将はどうも、この状況が許せないらしい。
 私が部屋中に物を拡げるのは、女将が邪魔をしない夕飯準備時である。この時には、女将は台所に張り付いているので、けして、居間を覗くことはないのだ。したがって、私は、心おきなく食器棚や整理棚の中を点検し、内容物を並べてみることができるのだ。今日(厳密には昨日)は、洗濯機の横の引き出しから、白い粉がはいった袋(怪しい物ではなく、洗濯槽洗いだったらしい)を見つけ、テレビの前に置き、他のピンクのボトルや黄色のボトルや詰め替え用らしきビニール入りの液体などもテレビの前に並べてみた。更に、食器棚の下の方から全ての丼を出してテーブルに並べ、テーブルの上から食器棚にアクセスし、私が日頃から狙っていたカットグラスの持ち出しに成功。それで麦茶を飲むという贅沢な一時を味わった。いつものティラノザウルス柄のグラスから移し替える時に、多少テーブルにこぼし、量が半分くらいに減ったが、男はそんな細かいことは気にしない。もちろん、愛読している雑誌や”ごごんごごん”こと電車の本、私の相棒"ぴー"ことスヌーピー他、電話帳、玩具の携帯、団扇、難しそうな本、おむつ、女将がたたんでほったらかしにしているタオルなどを床にレイアウトすることも忘れない。
 そんな折、女将が顔を出し「そろそろ、ご飯にゥゥうげーーーーーー」と悲鳴を上げた。
 そして、その後、いつものようにぶちぶちとモンクをいいながら、女将が部屋を片づけていくのを、私は旦那がいつも座っている安楽椅子上に立って静観するのだ。下手に声をかけたり手を出したりしようものなら、さらに愚痴愚痴言われるだけであることは承知している。一通り片付けが終わると、私の嫌いな掃除機を取り出し、私に対する嫌がらせのように掃除機をかけることもあるが、今日はそれは免れた。しかし、女将の怒りはおさまらないらしく、私が楽しみにしていた、冷や奴を、「お味噌汁があげちゃんだし、面倒臭いからゥ烽I」と、夕飯の献立から削除した。何が面倒臭いというのだ。豆腐切って,おかかと刻んでタッパーに入ってる葱かなんかかけて出すだけじゃないかよ〜〜。私用には醤油すらかけなくていいじゃないか〜〜。私は冷蔵庫の前で「とーふゅ〜、とーふゅ〜」としばらく粘ったが、女将は嫌がる私を無理矢理抱きかかえ、食事椅子に座らせた。くそう!食い物の恨みは恐ろしいのだ!頭に来たので、食事中、女将の煮物の浅鉢から、里芋を「おいも」と言いながら、全部取って食ってやった。ざまあみろ。
 ゥvったのも束の間。強敵女将は、その鉢を持って立ち上がると台所へと姿を消し、しばらくして、里芋その他をのっけて戻ってきた。くそう、おそるべし女将。
 あまりに悔しいので、また、その中から里芋だけを食ったら、好物のお揚げと大根の味噌汁も、きゅうりの塩もみも、あじの味醂干しも、里芋以外の根菜や鶏すらもほとんど食べないうちに、里芋だけで腹一杯になってしまった。白米は多少食べたが、今日の夕飯は「里芋と御飯」という、なんとも単純なものとなってしまった。
 しかしながら、なかなか美味しい里芋だったので、私は女将と仲直りするために、食後、私の食器をシンクまで運んでやった。女将も、これにはまいったらしく。「もーー、雲ちゃんったら、お手伝い上手なんだから〜〜」と、夕飯前の恐ろしさとは全く別人のような優しい声で食器を受け取り、食卓上の全ての食器がなくなったところで、「じゃあ、特別よ〜〜ん」と、私の好物の一つ「あいしーむ、別名:アイスクリーム」を渡してくれた。私は子供らしく「うおーーー」と満面の笑みで受け取り、女将が食器洗いをする間に、こんどはどこから何を引っぱり出すか、構想を練るのであった。うひひ。

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