有福 是長(ありふく これなが) ?〜?
貞兼家臣、城九郎の地頭、有福朝柄山城(ありふくあさつかやまじょう)の城主、1486年8月1日、「城九郎熊野神社」の本殿と玉殿の改修を執り行った、子孫は益田元祥と共に須佐へ渡った。
(城九郎熊野神社、後地の記念碑)