1551年10月・・鹿谷能登呂山の合戦

1551年9月1日、大内義隆は陶晴賢に追い込まれ、長門の湯本太寧寺で自害・・大内家は陶氏に乗っ取られる事になったのである、けして吉見正頼も黙っていた分けではなく長門の生雲まで軍勢を進めるも生雲で陣取っていた町野隆風の大軍に阻まれ動くに動けなかったのである、そして裏で繋がっていた益田軍が隙を付き日原へ進軍していた・・・

    
・・・・益田家・・・・

既に親密な石央(浜田)の周布元兼も益田氏と共に陶氏に従う事を約束し益田氏は隣接する三隅氏(尼子方)を囲い込み、尼子勢力を封じ背後の憂いを無くした藤兼は津和野進軍のみを目標としていた・・動揺する吉見氏を尻目に益田藤兼は500の兵で日原へ進軍していた、日原と津和野の境の一つである富田中木屋城・弘中氏の斡旋もあり藤兼は鹿谷能登呂山に陣張りをし、日原の中腹まで進軍していた・・尾中山城・中屋雅楽と小瀬大嶽城の板垣甲斐も平静を装っている・・


  
藤兼「日原へ進軍し様子を見るとは言え、鹿谷能登呂山(しのたにのとろさん)まで制圧できるとは」

予想外の簡単な侵略に男達の笑い声がする


    
・・・・吉見家・・・・・

その頃、吉見家では自領を犯され目に物を見せてやろうと考えている武将が居た・・下瀬頼定である・・

  頼定「親父殿は動くなと言うが、まったく同意できん、藤兼め・・、よしわしの手で追い払ってくれるわ、上領頼規を呼べ!」

たまたま日原の評定に参加していた若武者、上領頼規と共に益田軍へ攻撃を仕掛けた・・


    
・・・・益田家・・・・

  
益田軍・寺戸兼勝「若!申し上げます、下瀬頼定が我が軍の小荷駄隊を攻め、壊滅しました」

  藤兼「何!いつの間に、兼勝!直ぐさま切り替えし、下瀬軍を撃退するのだ!」

しかしそこは深く敵領に侵入しすぎた益田軍、水手も遮られ防戦一方の益田軍に追い討ちを掛ける用に隣接する青原小瀬城・板垣甲斐や高鉢山砦・水津新左衛門なども次々と援軍が到着、更に搦め手から下瀬頼定が配置した上領頼規が追い討ちを掛けるなど吉見軍の圧勝と終わった・・勢いに乗っていた益田軍は先手を封じられる事態になったのである・・

    
・・・・吉見家・・・・・

  
頼定「わしに戦を仕掛ければ、痛い目に合うと言う事が分かっただろう」

男達の笑い声がする・・・そこへ頼郷が現れた・・

  頼定「親父殿、わしの戦を見たか、戦は勝てる時に攻めねば勝どきを見失うのだ」

  頼郷「頼定、いい加減にせい、勝てたからよいものを影でわしが板垣殿と水津殿に援軍を頼まんかったら負けていたかも
     知れんのだぞ、まぁ良い、気性の荒いお前に言っても無理じゃろう、少し痛い目に合うといい」

  頼定「親父殿は慎重すぎる、まぁここは素直に聞こうかのぉ・・頼規殿良くやってくれたぞ」

  頼規「そうじゃのー、ここは頼定殿の戦略で間違っておらんと思うが、頼郷殿の言いつけは守った方がよいぞ」

男達の笑い声がする・・・この吉見軍の圧勝で吉見に「下瀬頼定、有り」と名が知れ渡る事となる・・


1552年 8月・・虫追大嶽城の合戦

前年の末には益田氏に敵対していた石西の三隅氏も完全に益田氏の傘下となり石見の敵は吉見氏のみと依然優勢は益田氏にあった・・

    
・・・・吉見家・・・・・

  
下瀬頼定「親父殿、頚ヶ滝の勘助(向横田・城市正雄)が亡くなり明らかに益田氏の最前線は手薄な状態ですぞ」

  頼郷「今は動いてはならん、益田氏の方が全般的に優勢じゃ、防御を固め、陶の大軍に備えるのじゃ」

  頼定「何をのんきな事を!今、益田氏を叩いて置けば高津小城まで攻め取れるのですぞ!」

  頼郷「高津殿は吉見の切り札、まだ動かす時期ではない!」

そう一括すると頼郷は下瀬家・評定から立った・・

  頼定「親父殿は分かっていない・・ここで勝てば我等、下瀬家が単体で益田氏と立ち向かえるほどの勢力を掴めると言うのに・・
   くぅー、叔父上(頼宣)、戦の準備をするぞ!」

そう言い放つと下瀬頼定・下瀬頼宣を初めとする下瀬軍は手勢で約300、益田領の向横田は素通りし、豊田ニ本松城・豊田宗勝や安富小倉城・安富兼正はまったく動かなかった・・

  頼定「高津殿には内応の約束を取り付けた、どうやら周布氏の飛び領・津田の周布権次郎が益田氏援軍に来るらしいが、この
     内応で益田軍には謀反者が後を立たないだろう、この城を取り込み、益田藤兼の手足を封じてくれるわ
     なぁに、元々領家氏も我等が吉見方の将だと聞く、少し脅せば我等に寝返るだろう」

下瀬軍の男達の笑い声がする・・・そのころ、虫追大嶽城(むそうおおたけじょう)の領家恒定は・・

    
・・・・益田家・・・・

  
恒定「何故だ!何故、向かいの安富小倉城・安富兼正殿は動いて下さらぬのか・・このままでは間違いなく敗北してしまう・・」

  領家定行「父上、落ち着きましょう、必ずや益田藤兼殿が援軍を送ってくださる、それまで持ちこたえるのです」

この領家定行こそ、後に益田領内の謀反人を次々と倒し、吉川氏に一目置かれる武将である、下瀬軍が虫追大嶽城を取り囲むと益田方の援軍・周布権次郎と高津頼満が到着した・・直ぐさま権次郎が下瀬軍を攻撃しようとした刹那・・。

  周布家臣「申し上げます、高津頼満、裏切りー!!」

  権次郎「何!頼満殿が、おのれー、こうなれば・・高津軍へ突撃せよー!」

こうして予測不能の事態に陥った周布軍は壊滅、周布権次郎は討ち取られた・・

    
・・・・吉見家・・・・・

  
頼宣「ふふ、棟梁殿が言ったように益田の援軍は壊滅しましたな、いやーまさか高津殿が我等に寝返るとは・・」

  頼定「あぁ、これでもう少し圧力を掛ければ大嶽城の領家も我等に下るに違いない」

その一報は益田藤兼にも届いた・・

  藤兼「おのれー、下瀬のうつけがぁ・・もはや生かして長野庄から帰すでない、喜島の備後(喜島宗勝)を呼べい!」

そう言うと素早く軍勢を纏めた、益田藤兼が虫追へ進軍した・・

  頼宣「棟梁、藤兼が大軍を率いてこちらに向かっていると言う一報が・・」

  頼定「なに、藤兼がそのように素早く動けるハズは・・」

  頼宣「虫追大嶽城はまだ落城する気配がありません・・決断を!」

  頼定「ええい、仕方あるまい・・退却じゃ」

こうして下瀬軍は痛手を負う前に撤退、もちろん高津頼満は下瀬軍の援助なしには虫追大嶽城を落とせる分けはなく敗北、益田氏から体裁を受ける事となるが詳細は分かっていない・・。

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