邯鄲の夢枕(かんたんのゆめまくら)               

我が町、向横田に根付く「邯鄲夢枕伝説(かんたんゆめまくらでんせつ)」である、辞典で意味を調べて見ると「むやみに他人の物を真似ると真似も身につかず自分自身も見失う」と解読してあった、まさにそんな物語である・・世間では陰陽師が脚光を浴び始めたが、これにも「獏」は通じる生き物であり、まんざら全てが作り話ではないと思う。
135邯鄲の夢枕・中身9年、向横田頚ヶ滝(むかいよこたくぎがたき)城主・領家正利(兄)と三星池(みぼしいけの)城主・領家恒利(弟)の兄弟紛争はもはや修正不可能まで悪化し、そこで度々、向横田の領家正利(兄)が三星の領家恒利(弟)を攻めたがいつも敗北していた、兵力では主家の正利(兄)が優っているのに何故いつも負けるのか悩んでいた所、向横田評定で正利(兄)の側室・初音姫が
「三星池城には邯鄲の枕と言う3日先まで予知できる枕があるのでこちらの諜略が悉く失敗するのです」
と進言した、そこでこの枕を盗む事にした、丁度、側室・初音姫は恒利(弟)の縁者であったので何知らぬ顔で三星城(弟)へ行き、もてなしを受け、頃合を計り「恒利殿、夕立が来る気配がします、早々に衣服をしまわれた方が宜しいのでは?」と語り掛け、外では正利(兄)の家臣が笹を揺らしていかにも夕立の前触れと偽り恒利(弟)が着物を締っている隙に「邯鄲の枕」を掠め取り、表に止めてあった夫(兄)の馬へ乗り向横田へ持ち帰り、直ぐさま家老・椋木行定、豊田春霞、豊田高次の軍勢200人を率い、三星池城を攻め攻略し弟・領家恒利を殺した、既に安富へ隠居していた兄弟の父・領家恒正は子供の争いに怒り、正恒(兄)を呼び出すと短慮者とし殺害したと言う。

「邯鄲の枕」の舞台となった美星池城(みぼしいけのじょう)

*この内乱で代々、向横田町と三星町は仲が悪く第二次世界大戦の後まで互いの町同士の者では「結婚できない」と言う暗黙の了解が約600年間もあったと祖母が話してくれ本当でした、その後「邯鄲の枕」は石東の豪族・小笠原長隆へ渡り、現在は川本の長江寺に祭られていると言う、枕の中身は獏(ばく)の頭蓋骨が入っていた模様。

ここで自分は当然であろう矛盾に気が付いた「あれ、3日前が分かるなら枕パクられるんも予測できたのでは?・・・」まぁ、ここに触れている作家もいないのであえて伏せておこう、合戦があったのは間違いないし枕も小笠原氏が確実に保有した時期もあり確認されてある、伝説にファンシーは付き物、人間には限りない夢があるだろうから。 

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