「匹見漁業協定」が結ばれる(1530年10月)
匹見川は現在も日本全国第3位にランクされてある絶品な「鮎」が取れる名川である、戦国時代でも有名で美味な匹見川の魚を巡る争いが益田氏と吉見氏の間で絶えず、大きな問題として浮上していた、上流の吉見領から流れてきた「鮎や流木などは吉見氏の物だから流れたら返せ」だとか、いや「益田領内に流れて来た物は益田氏の物だから返す必要はない」だとか・・周りの村で度々小競り合いが続いた。
その衝突を避ける為に漁業協定が結ばれ関所を設ける場所で会議が行なわれた、因縁の敵対関係にある益田氏と吉見氏だが、盟主は同じ大内氏なので同等の立場で話し合いが行われ、益田氏からは益田兼勝(貞兼の四男)・益田兼順(赤雁兼綱の子)・益田兼織・益田兼慶が出席し吉見氏からは吉見頼清・吉見頼景・吉見頼任・吉見成豊・吉見頼家が出席し洪水の時の流木の所有、鮎の登りと降り期の処遇など意見が飛び交い両方とも納得した。