津和野三本松城の合戦 (1554年3月2日〜8月23日)

合戦人数

総大将

吉見正頼 1200人 VS 1万5000人 総大将 大内義長(陶晴賢)

前哨戦では前年の11月13日に吉見正頼が津和野三本松へ向ってきた敵将・乃美賢勝・久芳賢重と交戦したが撃退した、また戦ってはいないものの益田藤兼も参戦する形だけとった。

大内軍の戦略
2月末 安芸国人衆へ援軍を要請。
3月1日 陶晴賢を先鋒とした軍勢約13000人が山口を立つ。
3月2日 吉見方の長門勝山城へ向かい合戦、吉見方・田中次郎兵衛が陶軍へ寝返り落城。
3月16日 陶晴賢は木曽長野へ移動し益田藤兼の軍2000人と合流し吉見方の鹿ヶ獄城・鰐坊山城・平山星城・舜城・櫛崎城を陶・益田連合軍で攻略。
3月19日 江良房栄を津和野三本松城の搦め手に配置する、そして本隊を「栃ヶ獄」へ陣を張る。
3月20日 陶連合軍は吉見方の中入茶磨城を攻める、大内義長は渡川へ向う。
4月17日 津和野三本松城を激しく攻撃する。
5月1日 遂に吉見方の出城・嘉年城を攻略。
大内義長の軍が吉見氏の支城・吉賀城、墨城、下風呂谷城を攻略。
8月2日 総攻撃を仕掛けるも城は落城せず。
8月17日 大内義長は戦後処理を陶晴賢へ任せ津和野から去り、9月に山口へ着く。
8月23日

吉見正頼は息子・広頼を人質に陶晴賢と和議を結び引分けに終わる。

吉見軍の戦略
毛利隆元へ援軍を要請する。
町民2000人を津和野三本松城の城内へ入れ、合戦へ備える(傭兵1200人+町民2000人=3200人)
3月2日 長門・勝山城の合戦が起き、味方の田中次郎兵衛が裏切り落城、城主・波多野滋信・吉見範弘が討ち死、下瀬頼定が撤退し津和野三本松城へ退く。
3月16日 吉見方の鹿ヶ獄城・鰐坊山城・平山星城・舜城・櫛崎城を陶・益田連合軍に攻められ落城。
4月17日 大内連合軍から激しい攻撃を受ける。
5月1日 遂に出城・嘉年城は落城。
吉見正頼は日原下瀬城へ本陣を替え、長期戦を覚悟、津和野三本松が落城する時の事も考えていたと思われる、津和野三本松城は石見では一番巨大な城で屋根伝いに吉見方の様々な城と繋がっていた、その為、本城へ兵士を集めて戦う事ができない、替わりに篭城にはその威力を発揮した。
8月2日 大内連合軍から総攻撃を受け、吉見家臣・長嶺信五右衛が戦死するもののどうにか持ちこたえる。
8月23日

息子・広頼を人質に陶晴賢と和議を結び引分けに終わる。

益田藤兼の戦略(大内・陶軍の援軍)
3月16日 益田藤兼の軍2000人は陶晴賢と木曽長野で移動し合流、吉見方の鹿ヶ獄城・鰐坊山城・平山星城・舜城・櫛崎城を陶・益田連合軍で攻略、その後、益田軍は日原下瀬城に攻撃を加える。
3月23日 藤兼の参謀・益田兼任が吉見方の下瀬城主で吉見正頼の参謀・下瀬頼郷(しもせよりさと)の軍へ降伏を勧めるが失敗。
3月24日 日原下瀬城へ攻撃。
4月18日 藤兼家臣・大恁盗ウが益田別働隊を率い津和野喜汁原(つわのきじゅうばら)で吉見軍と激突。
4月26日 陶晴賢家臣・伊香賀家明の策書を藤兼の間者が日原下瀬城の板垣氏・田村平兵衛へ送るが懐柔できず。
5月10日 藤兼家臣・寺戸兼勝が下瀬城・吉見頼明・野口氏・水津氏へ諜略を仕掛けるが失敗。
5月25日 藤兼自ら「偽文書」を作成し吉見正頼の元へ送るがどう言う分けか成功しない。
6月7日 陶晴賢の命令で藤兼は調停に頼み、尼子氏と大内氏が和平するように仕向けた。
8月2日 益田藤兼・兼貴は吉見氏の坪尾城で敵将・長嶺信五右衛を討つ。

毛利軍の戦略(吉見正頼へ援軍)
吉見家・家臣・下瀬左京助から援軍要請を受ける。
約4ヶ月 評定を開き、元就は隆元・元春・隆景と桂元澄・福原貞俊・口羽通良を集めて意見を聞くがなかなか結論は出ず。
3月始め 陶晴賢の援軍へ行こうと決めていた元就に毛利隆元が「陶は吉見を潰した後、間違いなく毛利を攻めるので吉見へ付くべきである」と説き吉川元春が賛成する。
3月10日 陶晴賢が安芸国人衆へ諜略を仕掛けてくるが平賀弘保が陶方の間者を捕らえ元就の前へ突き出した為、隆元が「諜略を仕掛けてくるような者へ味方する義理はない」と激怒し元就の反対意見を振り切り吉見援軍を決める。
5月11日 手始めに大内方の佐東銀山城・己斐城・草津城・桜尾城を攻略し大内と敵対の意を表す。
夏頃 毛利家臣、二宮元経・伊藤元種が吉見の援軍として掛けつける。(兵力40人)
9月15日 折敷畑の合戦へと向う。

津和野三本松城・戦略図1554年3月1日に大内義長を総大将とした先鋒・陶晴賢に江良房栄・内藤隆世・白井賢胤(しらいかたたね)・乃美賢勝・勝間田盛治・脇兼親・伊香賀家朋・久芳賢重と言う武将を携え津和野へ出兵した、3月16日には益田藤兼の軍と合流、した。

 この戦いで分かるのは陶晴賢が総大将に大内義長を添え、長門一国を支配する内藤隆世、瀬戸内警護衆の棟梁を務める白井賢胤、斬り込み隊長の江良房栄、そして西石見の大勢力・益田藤兼が集う大合戦だったのである。

(見取り図・・青色で書いてある陣は有名武将の陣、この戦いの要みたいな物ですね、藤兼軍の下に書いてある数字は軍勢の人数、赤の矢印が本丸場所、益田藤兼の軍が正面に江良房栄が搦め手に配置してある。)
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