城一 兼正(じょういち かねまさ) 1459〜1530年 享年 72歳
真砂の地頭、3代当主、城市正雄の甥、益田貞兼の軍師・益田尹兼の参謀、益田家でもっとも猛将の名を思いのままにしている益田貞兼の先陣隊長、「六十四陣委勝」と言う兵法を極めた軍師で戦国初期に益田軍を勝利へ導き益田氏最全期に貢献、また益田尹兼の時代、1524年には益田領内の治水を改善しその活躍は「水分神社」(みくまりじんじゃ)に称えられている、その活躍は長く益田家へ貢献した。 |
始祖 | 楠正遠 | → | ・・・・ | → | 初代 | 城一正常 | → | 二代 | 城一正延 | → | 三代 | 城一兼正 | → | 四代 | 城一正賀 |