黒谷 満善(くろだに みつよし) ?〜?
次男ながら兄の思惑で家督を継いだ、下黒谷(現在の黒周)の黒周原城(くろすはらじょう)の城主1556年12月の吉見氏の侵攻で兄は防衛したが、黒谷氏は吉見氏へ降ったと言う、そこで苦肉の策として兄は益田氏へ仕え、自分は吉見氏に仕える事で両者の衝突を意図的に防いだと言う、1586年には中山八幡宮を建てる。