益田 景祥(ますだ かげよし) 1577年〜1630年 享年54歳


元祥の次男、元々は北九州の名族・宗像氏景の養子となるはずだったが、兄の広兼が早死した為、この話は無くなった、父と共に毛利輝元へ仕え、朝鮮出兵で小早川隆景に軍功を称えられ「景」の一字を貰う、朝鮮から帰国する折に高麗の土を日本へ持ち帰り、「高麗焼」なる茶碗を作った、その後も萩転封の時、父と共に奔走し毛利宗家の経済を立て直す、晩年は小早川隆景の夫人が頼ってくるなど毛利重臣の信頼の厚い武将であった、1630年7月13日に亡くなる。

益田氏系図
20代 益田元祥 21代 益田広兼
元祥・次男 益田景祥

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