益田 兼治(ますだ かねはる)?〜?


兼任の子、匹見小松尾城主、益田元祥の命で1575年に主家に対して横暴な振舞いが多かった匹見大谷氏の大谷内蔵丞を宴会に招き殺害した、法名を「全向」と言う、妻は主君・益田藤兼の姉。

匹見益田氏
17代 益田宗兼 18代 益田尹兼
宗兼・次男 益田兼任 匹見小松尾城主 益田兼治

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