益田 兼順(ますだ かねそう)?〜1559年


通称・伊豆守(いずのかみ)、兼順(かねそう)は四代目の赤雁当主、鎌手赤雁に領地があったので赤雁益田氏(あかがりますだ)と名乗る、赤雁日向山城の城主で赤雁の地頭、1511年11月21日に赤雁益田の家督を次ぎ、1530年に「匹見漁業協定」で益田氏代表として有利な判決へ導く、1530年に益田氏の奉公を務める、三隅氏との合戦で度々、先陣を務めた、1548年2月28日には木部東伝寺を建設、開祖となる、祖父・父が名字を赤雁(あかがり)に替えていたが藤兼が兼順を高く評価し名字も赤雁(あかがり)→益田へ復姓させている、1559年7月23日に亡くなる。

益田大斬りへ戻ります。

赤雁益田氏
本家14代 益田兼理 15代 益田兼尭
兼理・次男 益田忠勝 赤雁へ改名 赤雁兼治 赤雁兼綱

益田へ複名 益田兼順 嫡男 益田兼豊