益田 兼任(ますだ かねとう) ?〜?
益田宗兼の次男で藤兼の叔父で重臣、通称・三河守、1554年には日原下瀬城へ降伏勧告を促し1555年に匹見の紙祖小松尾城主になり3500石を支配、三隅・吉見氏が絡む複雑な支配化を治め活躍、藤兼に従い様々な合戦で活躍した、藤兼の参謀、合戦の時は甥・藤兼と諜略戦を考えたと言う。