右田 宗味(みぎた そうみ) ?〜1615年      


隆正、与三右衛門・宗味など名乗る、大内重臣・右田隆次が大内義隆と共に討ち死にすると隆正は母と諸国を放浪し京へ住み「呉服商」で働きました、11歳の時に母が亡くなり、1600年に旧友の益田元祥を尋ねると関ヶ原の後で益田の地から撤去した後だった、益田氏が居なくなり寂れた益田の町を活性化させ発展させた、その一つが「宗味市」と呼ばれる定期的な市場を設立し、宗味が製造を手がけた「忍冬酒」は徳川将軍家に献上され浜田藩主の御用達に「右田酒」として伝えられた。

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