三隅 興信(みすみ おきのぶ) ?〜?
12代当主、元は益田一族だったが、次第に独立し対立していき西石見に勢力を広げていた豪族、大内教幸の乱の時は益田貞兼と組んだが戦国時代1500年代前半に本家・益田宗兼に執拗なまでに決戦を挑み、主家とほぼ互角に渡り合った武闘派の武将。
本家四代 | 益田兼高 | → | 五代 | 益田兼李 | ||||||
→ | 三隅初代 | 三隅兼信 | → | ・・・・ | → | 四代・名将 | 三隅兼連 | → |
→ | ・・・・ | → | 12代 | 三隅興信 | → | 13代 | 三隅興兼 | → | 14代 | 三隅隆兼 | → | 長男 | 早死 |
→ | 15代・次男 | 三隅隆繁 |