大石 義胤(おおいし よしたね) 1551〜1585 享年 35歳
大内義隆の遺児、志摩守、四国愛媛で大内義隆の子が庄屋になったのは有名だが、益田の城一氏と大内氏が南北朝時代に繋がりがあり、その城一氏を頼り大内義隆の子を身ごもった大原氏の女官が「陶反乱」のおり、真砂まで逃走しこの地で義胤を生んだ、義胤は益田重臣の城一正納の食客として生き、後にこの地へ落ち延びていた福屋隆兼の娘と結婚、長男・國助(くにのすけ)は播磨・赤穂城の浅野家へ仕え500石を領した、その6代後の子孫が大石内蔵助だと言うがたぶん嘘である、1585年2月26日に亡くなる。