大谷 吉隆(おおたに よしたか) ?〜?
匹見の広瀬古土居城の城主、若狭守・刑部小輔、吉継、1500年代中期に益田軍へ貢献し広大な領地を持っていた武将、その後、隠居した後は広大な匹見の領地を子供達へ分けて管理していたが、子供達が毛利の敵対勢力と繋がっていたらしく、主君・益田藤兼・元祥に子供達を成敗された、自身は隠居していた為、滅殺劇には会わなかった。
始祖 | 平貞経 | → | ・・・・ | → | 初代 | 大谷盛胤 | → | ・・・・ | → | 勢力を広げる | 大谷吉隆 | → |
嫡男(斉藤泰家の養子へ) | 斉藤源吾 |
吉継・次男 | 大谷通光 |
吉継・三男 | 大谷内蔵丞 |
吉継・四男 | 大谷平内 |