長門(ながと)

内藤隆春
妙光山 正現寺
開基由来(内籐一族)日本文化再建の訴え 道徳規範草案 平和の鐘等
長門を支配した名門・内藤一族が丁寧に分析されている、住職さまのサイトです、正現寺は内藤一族を祭りお寺であり、その一族の一生は主家は変わっても主家に最後まで尽くした家柄です、内藤隆春と内藤隆世の不和の原因や1615年の大阪・夏の陣での毛利輝元の取った策は毛利内外から物凄く不評を買っているのは分かりますが実際その捨て駒として使われた内藤氏は最後まで主家に従い徳川方と戦います、これほど主家へ忠臣な家柄でしたが輝元の評価はけして高くなかったようです、現在に残す内藤氏の偉大な足跡を拝見してください2004年に閉鎖されてましたが、2008年に復活しました。

吉見正頼
防長戦国譚
武将列伝 防長戦国夜話等 
長門・周防を中心に戦国史が分かる、河村真就さんのサイトです、山陰では残念な事に「月山富御所」が閉鎖してしまい、今や山陰を代表する集いの場です、超新鋭にしてその話題も豊富です、武将列伝では長門や周防の武将の詳しい事情が分かり、また「小説」では、その想像力豊かな淡い感情が書かれています、自分は何故か「京都一条寺の町並みや竹原の広島・景色を思い浮かべました」、今熱い、新星をごらんあれ。

石見(いわみ)

吉見正頼
吉見一族〜その経緯と事歴〜
吉見姓概観  範頼流吉見氏の起源  能登吉見氏の系譜と事歴  石見吉見氏の系譜と事歴  等  
吉見氏は自分も石見吉見氏を調べています、吉見三河守さんのページは全国に散らばって活躍している吉見氏を調べています、吉見の流れや起こった理由など非常に詳しく丁寧に分かります、本家・能登吉見氏は石見吉見氏の祖であり、それらの家臣団の末裔が吉見氏や益田氏に仕えて活躍した事は有名です、全国に散らばる吉見の歴史や人口分布など多彩な方面から吉見を調べられています、その中でも戦国期に活躍した吉見は自分としても非常に興味深い物であり、非常に参考になります、吉見一族の血はどこまでも。

益田藤兼

陰陽散策

陰陽散策
陰陽散策
自分のサイトです。

出雲(いずも)
山陰の鬼神(おにがみ)・・尼子経久のテーマ
火葬

尼子経久
雲州 尼子一族
本記 尼子武将列伝 尼子氏関連年表 諸勢力列伝 尼子氏関連施設 尼子雑記
とくかく凄い情報量で圧巻の、握仏人型さんのサイトです。
 本記では歴代の尼子氏の情勢から素顔まで分かり、尼子十勇士でも徹底的に調べ上げられています、周りを取り巻く武将等の活躍も詳細に乗っていて非常に参考になるサイトになっています、ここまで出雲の郷土を盛り下げるのは自分も知ってますが、そうとう量の時間が必要であり、まめに情報が集められています、今年一番の熱いサイトになりそうです。

尼子経久
月山御所
国盗れや物語 尼子資料館等
出雲の尼子氏を中心にいろいろ話題が尽きない、尼子さんのサイトです、ここの掲示板では尼子のIFを語り合えます、2004年3月7日に正式に閉幕しました。

尼子経久
伊勢国太平記
雲陽軍実記 等
寂譽さんのサイトです
 尼子氏を中心とした雲陽軍実記は画像が綺麗で見やすいサイトです、2008年10月18日に尼子氏関係は閉鎖されました。

尼子経久
戦国史記
尼子史記 大内実記 宇和戦記 幡多軍記 洛中略記等
尼子史記では尼子一族の一生が網羅されています、Guttiさんと未沙さんのサイトです。
 尼子史記では山陰の大大名・尼子一族の情報がほぼ完璧に記載されています、尼子氏本記では戦国期の尼子氏の行動・再興〜滅亡まで、また月山富田城では島根県随一の名城が丁寧に分かります、経久と元就ではその駆け引きや智略戦など分かり、尼子武将伝ではその家臣、全部が明細に分かり尼子十勇士も分かります、その他の武士では石見の尼子方の武士が載っています、尼子氏史跡では月山富田城の周りの十城や防衛機能が分かりいかに重要だったか分かります、2009年に閉鎖を確認しました。

尼子経久
安来苑

尼子歴史の散歩道(尼子氏の史跡紹介) 尼子一族の系譜 尼子盛衰記 富田城略年表等

レストラン・安来苑さんのサイトです(左)、尼子の戦国記の歴史が分かります、(右)は直接、尼子のぺージへ飛びます。
 尼子歴史の散歩道では広瀬町の主な史跡が分かり、また広瀬町までの交通の案内などありこの町に行くには最適なサイトです、尼子盛退記ではおおまかな尼子氏の流れが分かり、富田城年表では出雲とこの城がきってもきれない関係にあると言う事が詳しく綴られております、また旅館の方では予約も受け付けているようです。

山中鹿介
イノコ〜の館
戦艦模型の館 山中鹿介の館 鹿介の伝説等
戦国・山中鹿介のページではその一生が分かる、イノコーさんのサイトです、その一生をみて当時を思い浮かべるとどれだけ自分と言う人格に生きたか分かります。
 自分のサイトで取り扱っている、益田藤兼の右腕・品川大膳を破った、山中鹿介(幸盛)の一生や不屈の精神が分かります、鹿ノ介伝説では誕生〜家督相続〜鹿之助の初陣、そして月山富田城の攻防戦では品川大膳との死闘で勝利を収める所も詳細に綴られています、さらにその後の尼子再興戦や美作上月城での戦い、そして最後など、鹿之助所縁の場所などその知名度は主家を上回っています。

山中鹿介
山中鹿之助物語

願わくば我に七難八苦を与え給え 尼子氏滅亡  等

山中鹿介の生い立ちから最後まで真実が書かれてある、筑後川(ちくごがわ)さんのサイトです。
 その一生はけして綺麗ごとだけではなく、海賊と横領した歴史や執念の塊のような人物像も浮かんできます、このような本質が分かっていれば毛利一族も鹿介を家臣にしようとは思わなかったかも知れません、そのような鹿介の英雄とは裏の顔が分かる貴重なサイトです。

山中鹿介
ドイツ参謀本部

いきなり第1次世界大戦 いきなり山中鹿之助  バーチャル?城郭見学

第1次世界大戦と山中鹿介を重点的に分かる、参謀足軽さんのサイトです、じっくり派向きです(^^;)、どこまでも多大な情報を集めておられるので広大なページに仕上がっています。
 まず、驚かされるのはその情報量の広大さです、いきなりコーナーで山中鹿介が本当の忠臣かどうかと言う、疑問点で異論を唱えている昔の著者の一方的な決めつけに疑問を投げかけています、自分も鹿介は忠臣だと思いますし、人それぞれの思いがあってしかるべきでしょう、どうも戦前の教科書に載っていて史実が物語りに追いついてない感があります(また日本が第二次世界大戦で負けたのは鹿介思考のせいだとか分けわからん事を言っている研究家も居ます、鹿介の思考を400年以上後の世界と比べて愚弄するなど筋違いです。)、さらにバーチャル城郭見物では月山富田城の麓〜順に分かり、自分が登っているような気分になれ大変楽しいです、擬似天守閣を作るのやめようでも、自分は非常に共感が持て嬉しかったです。

隠岐(おき)

なし


伯耆(ほうき)

なし


因幡(いなば)

山名祐豊
天台宗 東林山 法雲寺
法雲寺の歴史 「ものがたり山名氏八百年」 お気軽写経 
東中国地方を制圧していた大大名・山名一族の長い歴史が分かる、のサイトです。
 法雲寺の歴史ではその建った時から改名の歴史や思想などが分かります、通話の目次では合掌や精進と言った難しい言葉の意味などが分かり易く書かれています、法話などを聞くことも可能なようです、ものがたり山名氏八百年の歴史ではテキスト型となってまして山名氏の生まれから名将・山名宗全の全盛期の話し、そして滅亡までの歴史を知る事ができます、2009年に移転しました。

武田高信
鳥取市の城
鳥取関連の武将を紐解 鳥取市の城を紹介 武田 山名 吉川 宮部 池田氏 
幸田屋さんのサイトです。
 鳥取県因幡を中心に様々城、そして人物を紹介しています、その山名氏の家臣団の様子やどんな経緯で吉川経家が鳥取城へ入ったか分かります、益田元祥の部下も鳥取城へ入っていて、その身近さに親近感を覚えます、2005年2月5日にリニューアルしました。。

但馬(たじま)

なし


戻ります。

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