領家 恒定(りょうけ つねただ) ?〜? 


虫追の地頭、益田傘下の将で基恒の子、虫追大嶽城城主、1552年8月、虫追大嶽城へ攻めてきた津和野三本松城・城主・吉見正頼の先鋒隊と戦い、この戦いで住城が隣接していた高津頼満が益田氏を裏切り吉見方として攻めて来た為苦戦するものの主家・益田軍が掛け付けどうにか落城は免れた、恒定は三隅氏と戦い活躍したと言う。

虫追大嶽城の本丸付近(1552年8月に津和野領の吉見正頼が益田方の領家一族が篭る虫追大嶽城(むそうおおたけじょう)を攻め決戦が行なわれる、虫追大嶽城は吉見軍に包囲されるが益田軍が援軍に来て両方にらみ合いが続いたが高津小城城主・高津頼満が益田軍を裏切り益田家臣・周布権次郎を打ち取り益田軍は混乱するもののどうにか吉見軍を撤退させた)

領家氏
12代 領家基恒 13代 領家恒定 14代 領家定行

益田大斬りへ戻ります。

益田市教育委員会文化振興課・認定