斉藤 源吾(さいとう げんご) ?〜1575年
大谷吉隆の長男、斉藤泰家の娘と婚姻し斉藤家を継ぐ、匹見の道谷笹山城の城主、1573年頃、同族の斉藤為久と不和になり領地が乱れた為、益田藤兼に斉藤兄弟の同族・斉藤将頓が刺客として送り込まれ、宴で殺された。