品川 勝貞(しながわ かつさだ) ?~1600
大膳の子、勘衛門、大膳が死去した後、久城領を治めていたが、関ケ原の合戦以降、益田元祥と共に須佐へ移った、妻は大塚兼安の娘で(1563~1610年まで生き2月22日に死亡している享年48歳)、品川家は大膳の勇士に肖り、代々「狼介」と名乗る。