高橋 頼永(たかはし よりなが) ?〜?
上吉田(かみよしだ)の地頭、一族は毛利元就に滅ぼされた名門の高橋氏の氏族が分かれ高橋頼之の代に本家、15代益田兼尭の家臣となった、頼之の孫で、1441年に播磨赤松の乱で戦功を立て、1471年の大内弘幸の乱で益田貞兼の軍に従軍し活躍。