暗い暗い大迷宮の奥底で
今まさに戦わんとする英雄と魔王
世界から光は奪われ、闇が希望を閉ざしつつありました。
あらゆる場所に病魔が蔓延り、飢えと寒さが世界を覆っていたのです。
しかしどんな時代でも
滅びの運命を良しとせず、闇に立ち向かう英雄はいるものです。
彼は全ての不幸と苦難の元凶たる魔王を倒すべく、恐るべき大魔宮を進んでおりました。
そして最深部の玄室で、ついに両者が相対する時は来たのです……!
魔王よ、とうとう会えたな!
今日がお前の最期の日だ!
愚か者が、英雄と煽てられてその気になったか……
せめて我が手で散らしてくれようぞ!
こうして闇の魔王は滅び、世界には再び光が戻ってきました。
めでたしめでたし……
聞こえてくる声を頼りに裏路地を急ぐ。
幾つか角を曲がった時、子供たちに囲まれている携帯劇場師の姿が見えた。
「どこにでもある、
幼き時分に、誰もが聞いたことのある英雄譚でございます。
しかしこのユメミヤ
ありふれた物語なぞ演目に選んだりいたしません。
そう、この物語はまだ終わりではありません。
これから始まるのです……」
彼女が手にしたハンドルをゆっくりとまわし始めると、
オルゴールの音と共に、劇場箱の中で人形たちが動き出す。
携帯劇場師の目が、こっちを見ている気がした。
何処とも知れぬ場所に
戦いを終えた英雄が一人
ついに平和は蘇りました。
人々は魔王に脅かされる日々から解放され、喜びを以て英雄を迎えたのです。
やがて、その熱狂が冷めたころ……
英雄は独り、俗世を離れて暮らしておりました。
彼の元へは、諸国の王たちから毎日のように使いが送られてきました。
是非、我が国の騎士長になっていただきたいぃ
その御名声をくすぶらせるというのは
いかがなものでしょうぅ
いや、英雄よ
お前はこちらへくるのだ
お前の家族は我が手にあり
その使者たち――『誘惑』や『脅迫』は口々に喚くのです。
王たちが、他国を出し抜くことしか考えていないのは明らかでした。
選択肢は無い そうだろう?
英雄さえいれば
誰も我には逆らえぬ
金ならいくらでも用意いたしましょうぅ
どうか我が国にぃ
……奴らに渡してなるものかぁぁ
英雄は全て拒否しました。
自らが新たな争いの種になることは、避けなければならないと。
「後悔するがいい 人でなしめ」
「足りませぬか もっともっと御所望かぁぁ」
何処とも知れぬ暗闇に
英雄が一人疲れ切って
全ての申し出をはねのけ続けた英雄。
しかし世界のほうでは、決して彼のことを忘れることはありませんでした。
魔王無き世界を生きる人々は、己のために英雄を求め続けていたのです。
やがて……それは希望から不安へと
魔王を屠った力が敵になるかもしれないという畏れへと転じていきます……
魔王が世界を脅かしていたころ、人々はただ残された希望にすがって生きておりました。
恐怖に支配されていたけれど、そこには人間の尊厳がありました。
魔王が世界を闇で包まんとしていたころ、人々はお互い慰め合って生きておりました。
不安におびえる日々でしたけれど、そこには身を寄せ合う温かさがあったのです。
それが今はどうでしょうか?
お互い相手を蹴落とすことのみを考え、力ある者は力なき者を見下し、
蹂躙し、同じ人間とすら考えていない。
そして虐げられた者はさらに弱き者を探す。
まるで人こそが魔物のよう……
でも、もしも今ここに魔王がいたのなら……
……そう、魔王はこの世界に必要な存在だったのです。
こうして世界は再び魔王を擁することとなりました。
彼の力が増していくたび
人々は失った人間らしさを取り戻していくことになるのでしょう……
歯車の軋みはもう聞こえない。魔王の衣装を纏った英雄の人形も動きを止めていた。
オルゴールが奏でる曲が終わり、劇場箱に幕が降りる。
「……続きはまた別の物語。
次回もまた、良き聞き手と巡り合えますよう……」
日の落ちた街角に
携帯劇場師の姿はなく
ふと気が付けば、広場にいるのは私一人。
皆、いつの間にいなくなったのか。
辺りは静かで、先程までこの場所で携帯劇場が開かれていたとは思えなかった。
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