とある街角にて
足早に歩く

封じられた書『グラン・メディカ』下巻の中に、疫病に対抗する手段があるかもしれない。

私は他の『グラン・メディカ』を試そうと、図書館へ出向いた。
それから貸本屋を巡り、その次は書を所持していそうな知り合いの元を訪ねて回った。

どの『グラン・メディカ』下巻も同じだった。
おそらく街中、いや世界中に存在する『グラン・メディカ』下巻は開くことができないのだ。

それでも、もしかしたら一冊ぐらいは封を免れた本があるかもしれない。
あきらめきれなかった私はバザールで古書を漁ることにした。
どうせ他にやることもないのだ。

どうやら本を探しながら口に出してしまっていたらしい。

事情を説明すると驚いたことに、彼も若いころ「開くことのできない本」を見たことがあるという。
詳しい話を聞かせてもらいたいと申し出ると、老人は笑みを浮かべて言った。

老獪な商人だ。苦笑いしながら私は古びた本の中に真新しい本を見つけ、それを買うことにした。
老人はこんな本うちにあったかなと訝し気な様子で代金を受け取る。

 閉ざされた本の話

古の図書館
若かりし日の老人

あれはいつだったか……そう、まだワシが大金持ちを夢見ていたころだ。
今じゃもうそんな煩悩はとっくに消え失せているがね。

とにかく若いころは金もうけのことしか考えていなかった。
珍しい本、貴重な書を求めて世界中を旅し、好事家の旦那方へと届けていたものだ。

あれはどこだったか……そう、ずいぶん前に地図から消えた国だった。
えらく古い図書館があるというんで、訪ねて行ったのさ。
あわよくば数冊盗んでやろうと思ってな。若いころは無茶したものさ。
もちろん今は盗みなんてしようとも思わないがね。

話を戻そうか。
そこでワシも見たんだよ。
どういうわけか、開かない本をね。まるで糊付けされたみたいに1ページたりともめくれやしないのさ。

題名かい? かなり古い本でね、表紙もかすれてて読めやしなかったよ。
だがそうだな……でも誰かの伝記だった。そんな記憶があるよ。

あんたと同じようにワシも不思議に思ってね。図書館の司書に聞いてみたわけだ。
すると、そいつは片眼鏡をくいと上げて教えてくれた。

本は世界そのもの。
筆者、あるいは力ある読み手が望めば、
世界を閉じて隠すこともできるのだ……

……とな。

もちろん若いころのワシには、彼が何を言っているのか理解できなかった。
いや、今でもわかっているとは言えんが……
それでも長年、本に携わって暮らしているとなんとなくわかってくるもんさ。

次の客に気づいた老人は、そこで私との会話を打ち切った。

静かな街角で、
は一人佇む

私はバザールの喧騒を離れ、老人の話を思い返していた。
『グラン・メディカ』の下巻は、何者かによって隠されていると。そういうことなのだろうか?

私は先ほど買った本に目をやった。一冊だけ目立っていたので何気なく手に取ったのだが……
この本はページを繰ることができるようだ。

レストラン
、そしてお客様

ここはせせらぎのレストラン。
従業員は私とシェフの二人だけ。私はフェルリアで、パートナーは姉のメルリア。
私たちは双子です。

川の流れる心地よい音に涼やかな風。
私たちのレストランは橋の上にあるのです。

まだ貴方は来られたことがないかもしれません。
でも、誰もが一生に一度はお客様としていらっしゃいます。

貴方がご来店されるときには、
きっとご満足いただけるお食事をサービスさせていただきます。
ええ、この私、フェルリアの名にかけてお約束いたしましょう。

今朝も早くから姉は大忙し。
ウェイターの私は、お店を開けてお客様がいらっしゃってからが出番です。

そんなことを言っていましたらほら、
本日最初のお客様が店の入口にお越しになりましたよ。

ねえお父さん、川の上でお食事なんてなんかすごいね。
私こんなの初めて。

待たせてしまってすまなかった。
さあ共に食べよう。

お客様は小さな女の子と、そのお父さんのようです。
親子連れで来られるお客様もいるんです。

姉のメルリアがお客様のために用意したのは、真っ赤な実を使った小さなケーキ。
この近くで採れるとっておきの果実です。

私はお皿を丁重にお運びいたします。

この果物
何だか夢みたいな味がする!

お客様の幸せなお食事こそ、私たち二人の幸せなのです。

さて、お代金はお一人様3カインスになります。
え? 安すぎるって? いいえそんなことはありません。ちょうどいいお値段ですよ。

親子は一緒に出口から出ていかれました。
私はお見送りしながら願うのです――どうか、良い旅を。

レストラン
、そしてお客様

ランチのお客様はどうやら裕福な方のようです。
豪華な衣装を引きずって入口からお入りになられました。

ワシはこれまで稼いだ金に飽かして散々贅沢をしてきた。
 
ここでは必ず満足いく食事ができると聞く。
未だ味わったことのないモノを口にしたいものじゃ。

かしこまりました。
きっとシェフに、そのようにお伝えいたします。

そこで姉のメルリアがお客様のために用意したのは……
私たちに馴染み深い、この川の水でした。

私はコップを丁重にお運びいたします。

これはただの水ではないな
何と純粋な、それでいて奥深い味わいであろうか……

お客様はコップの水を飲み干すと、かすかに泥のような匂いがするとおっしゃいました。
大変申し訳ありません、いつもはこのようなことは無いのですが……

お代金は500カインスになります。

お客様……たかが水一杯と言われますが、高いなどおっしゃらないでくださいませ。
本当に、これが適切なお値段なのですよ。

少し不満そうなお顔で、お客様は出口から出ていかれました。
私はお見送りしながら祈ります。――どうか、あの方の旅路が良いものでありますように。

レストラン
、そしてお客様

お夕食の時間になりました。今度のお客様は3人連れの団体様です。
お医者様と、従者の方、そして彼らの雇い主のようですね。

どうぞこちらへ。テーブルのご用意がありますので。

こいつは実に風情あるレストランだ。
さぞかし良い食事にありつけるだろう。
 
お前らはまだまだ頑張らにゃならんからな。
しっかり体力つけておけ。遠慮するな。

どうやら私の雇い主はご満悦のようだ。
私はメニューを手に取ってみた。そこにはただ一つ

と書いてあるきりだ。値段すら表記されていない。

メニューをご覧になった従者の方が怪訝そうな顔をしていらっしゃいますね。
一品しかないものですから、そういうお客様も珍しくはありません。

私はもう少し詳しく聞こうとしたのだが、
我が主はそれを制した。

まあいいじゃないか。
一番自信がある料理が出てくるわけだろう?
 
うむ、≪シェフのおすすめメニュー≫を3つ頂くとしよう。

姉のメルリアがお客様方のために用意したのは、ごく普通の肉料理でした。
時々、姉はこのような料理を作ることがあるのです。

私はお皿を丁重にお運びいたします。

そろそろ貴方はお休みになるべきと思います。
あとは我々にお任せください。

満足そうに料理を口に運んでいた我が雇い主は、主治医の言葉に露骨にイヤな顔をした。
だが、彼女の意見に私も賛成だった。

今、彼に必要なのは安静だった。

何かと理由を捏ねだす我が雇い主に内心あきれながら、私たちは二人がかりで説得を続けた。
そして食事が終わるころには、何とか納得させることに成功したのだった。元々聡明な方ではあるのだ。

しかたねぇな。運命には逆らえんか。
……ほれ。今後やるべき手順をしたためておいたぞ。

いいか、くれぐれも頼むぞ。
お前らが失敗したら、全て御仕舞なんだからな。

何やら難しい話をしていたようですが、いい感じに落ち着いたようです。
大事な話の御供に、姉の料理がお役に立てたみたいで、私も嬉しくなってきます。

お代金は……ええと、お一人分で結構でございます。
450カインスになります。

こうこともたまにあるのです。ええ、何も問題はありません。

お客様方は出ていかれました。
お一人は奥の出口から。
そして他のお二人はこのレストランへと来られになった入口から。
私は黙ってお見送りするのみ。

――全てが終わりましたら、また是非お越しください。
私たちは、せせらぎレストランはいつまでもあなた方をお待ちしております。

今日もよく働きました。
閉店のお時間です。しかし……今日は違和感を感じられるお客様が多かったようです。

仕入れた食材がちょっと痛んでいたのかもしれません。

それはそうと、最近のお客は疲れ切った者が多いようです。やせ細り、息も弱い。
せめてしっかりと食べていただき、幸せに包まれて先へ踏み出していただきたいものです。
そのために、明日も頑張りましょう。

それでは、おやすみなさい。

静かな街角にて、
は一人佇んで

読み終えた『せせらぎレストラン』を閉じる。
読み進むうちに私自身が登場人物になっていたような……そんな感覚が残っていた。

ふと、本に何かが挟まっていることに気づく。

取り出してみると、それは蝋で封がされた封筒だった。
物語の中で私が受け取った――確かにそう感じた――書類が入っていた封筒によく似ていた。

口の中に、あの料理の味がかすかに残っている気がした。
これは……ああ、血の味だ。  



これが果たして私の物なのかどうか。
どうにも判断しかねる。

しばらくたつと私の手の中で書類はその輪郭をぼやかしはじめ、
やがて溶けるように消えてしまった……

人影の無い坑の深く、書架に囲まれた机で老人が一人うめく。
彼は開いているページを何度も読み返し、長く深いため息をついた。

彼は傍らに置いてあった『グラン・メディカ』の下巻を取り上げた。
そのページは微動だにしなかった。

老人は幾重にも重なる書架に目をやった。
何冊かの本からは、明らかに瘴気が漏れ出しているのがわかる。

彼は腰を上げ、立ち昇る瘴気の条を数えはじめた。
そう、ここには全ての”物語”が収められているのだ。

老人は一瞬苦しそうに胸を抑えたが
すぐに凄味のある笑みを浮かべ、書架の間を歩きはじめた。


>>> NEXT CHAPTER>>>