書架坑の底で
老人と私 そして一冊の本
差し出された本を受け取り、私はその表紙に目を走らせた。
あの携帯劇場師――ユメミヤが着ていた道化服と同じ色の革、同じ模様の装丁。
表題は『ユメミヤ殺し』と読める。
老人の言葉に、私ははっとして視線を上げた。そう、この本は彼女そのものなのだ。
机の前に再び腰を下ろした老人は、箔押しの道具の手入れを始めた。
彼は机の上に置いてあった最後の一冊を取り上げた。『グラン・メディカ』の下巻だ。
……これが何を意味するかわかるかね?
世界に疫病を解き放ち、害をなそうというのであれば
治癒の術が記されたこの物語をそのままにしておくわけがない」
老人は私の目を見た。
私は手にした本に再び目を落とした。老人がうなずく。
だが、一つ忠告しておこう。ユメミヤには深く干渉しないほうがいい。
世界の改変を実行に移すような輩だ。
探し物だけに注力するが良かろう……」
どこかの街の広場に
携帯劇場師と子供たち
物語が語られはじめる。携帯劇場師の演目を見ていた私は気付いた。
これは……『グラン・メディカ』の下巻だ!
しかし彼女の手は止まってしまった。
劇場箱のハンドルはそれ以上回らず、人形もその動きを止めてしまう。
ユメミヤは私がいることに気づくと、苦し気な笑みを浮かべた。
劇が進まないので子供たちが騒ぎ始める。
謝罪の言葉を口にしながら携帯劇場師はあめだまを配り、私のほうへとやってきた。
そして一冊の本を差し出す。
人の尊厳を取り戻したのです。
……最後に穢れを祓う必要があります。
人に頼むのは心苦しいのですが……その役目、お願いできるでしょうか?」
そして彼女は、「本当なら種をまいた私が刈り取るべきなのですが」と呟くように付け加えた。
『グラン・メディカ』の下巻。私はその表紙に指をかけた。
今まで封じられていた物語は、
何事もなかったかのように開いた。