先天性股関節脱臼の仕組み
要約:先天性股関節脱臼における股関節には動的そして複合的変形が存在する。股関節伸展位で骨頭は臼蓋の前方に位置しており、屈曲位にすると臼蓋の後方に移動する。骨盤は仙腸関節を中心にして回旋しており、筋肉もその位置や方向を変化させている。これらを分析することにより新しい診断学・治療学が可能となる。
この疾患は名前が示すとおり股関節が脱臼している(外れている)状態をいいます。ただし、外れているといってもいわゆる一般の外傷性脱臼とは大きくことなっています。たとえば高速道路での衝突事故で追突した運転手の股関節がはずれることがありますが、これは外力によって生じた股関節の脱臼です。骨頭は股関節の後方に脱出して固定され、関節の周りを取り囲んでいる関節包などの柔らかい組織は大きく損傷し、多くの場合、臼蓋の骨の部分にも損傷が発生して患者さんは激痛のため動くことができなくなります。一方、先天性股関節脱臼では通常痛みはまったくなく、骨頭は後方に固定される、ということはありません。本人も股関節を自由に動かせます(健側と比較すると動きは悪いが)し、他動的に動かしても痛みは生じません。これはどういうことかというと、もともと関節を包んでいる関節包は緩く、骨頭は下肢の動きと同時にその位置を変えるからです。
さて、「下肢の動きによって骨頭の位置が変化する」、ということに関しては学問的に大論争があった事柄なので少し詳しく述べましょう。なぜならこの問題は診断や治療に大きくかかわってくるからであり、このことをよく理解していないと開排位持続牽引整復法などの高度な治療方法を理解することができないからです。
15年ほど前までは、先天性股関節脱臼における骨頭の位置は臼蓋の後ろにある、と誰もが信じていました。私もこれを当然のことと考え、疑うこともありませんでした。というのは、脱臼を徒手的に整復する際には、後ろに位置している骨頭を前方に移動させて臼蓋の中にいれるからであります。1988年に私は滋賀県立小児保健医療センターに赴任してきましたが、このころ超音波をつかって脱臼の検診をしていました。あるとき脱臼の治療のため牽引をしている患者さんがいて、なんとか牽引の状態を超音波で診断できないかと考え、股関節の前方から音波を入れて骨頭を観察してみたところ、この患者さんの骨頭は後方ではなく、前方に脱臼していることを発見したのです。これには驚いたのですが、これは特別な例であると決めつけていました。ところが、牽引している別の患者さんに同じように股関節の前方から超音波診断をおこなうとやはり骨頭は前方に脱臼していることがわかったのです。先天性股関節脱臼においては、下肢の位置によって、すなわち「股関節を曲げたり伸ばしたりすることにより骨頭はその位置を大きく変化させる」、ということに気づくのにそれほど時間はかかりませんでした。この事実を1989年に岐阜市でおこなわれた専門学会で初めて発表したのですが、このときとにかくほとんどの人が「信じられない」、ということで会場が騒然となったことをよく覚えています。その後にオランダでおこなわれた整形外科国際学会でも発表しましたが、このときはイタリヤのボンベリ先生(ポンべり手術を開発したことで有名な股関節学会の大物)が駆け寄ってきて私の研究に賛同してくれました。いまでこそ専門家であれば「股関節を曲げたり伸ばしたりすることにより骨頭はその位置を大きく変化させる」ということは理解していただいていますが、最初のころは発表するだけでも勇気のいることでした。
図1左図は左股関節脱臼のX線像ですが、これは投影像にすぎません。
図2 股関節を伸ばした状態での横断層像。脱臼骨頭は前方に位置している。
図3 股関節を曲げた状態での横断層像。脱臼骨頭は後方に位置している。
このことがわかってしまえば、新しい方法論が生まれてきます。診断方法は精度の高い確実な方法を開発できました。たとえば超音波診断であれば音波を前方から入れれば股関節の様々な位置で骨頭の転位を正確に判断できますし、X線では見落とすような軽度の脱臼も診断可能になったわけです。
このようにして、たくさんの例を超音波あるいはMRIで検討してゆくと、実は先天性股関節脱臼にも様々な程度があって、それぞれの重症度に応じて治療方法も変えなければならない、ということもわかってきました。たとえば股関節を屈曲させたとき、軽度脱臼であれば骨頭が臼蓋の後方に転位するけれども、その程度は軽く、骨頭と臼蓋とは接触を保っているケースもあります。このような場合には、骨頭を臼蓋の中に入れる操作は不要となるわけです。診断の精度が高くなれば、それに応じて治療学も進歩し、新たな治療方法を開発することができました。今日、私ならびに私のグループがおこなっている治療方法は上のような基礎的な研究を礎として確立されたものです。
さて、脱臼した股関節における骨頭と臼蓋との関係については明らかになりましたが、先天性股関節脱臼において発生する病的変化は、股関節全体に及びます。図2、図3のMR画像を見てみましょう。この断面図で臼蓋に注目してください。左右を比較してみますと、脱臼側の臼蓋は、その入り口がより前方に向いていることがわかります。これは仙腸関節において脱臼側の骨盤が前方に回旋していることによるものです。これは私がMRIによって証明したことで、1995年のJournal of Pediatric Orthopaedics15:812 に詳述しましたので興味のある方は参照してください。このことは、ソルター手術などの骨盤骨切り術の方法論とも関係しています。ソルターは、初期の論文で、脱臼側の臼蓋は前方に形成不全があるとのべ、それがゆえに、骨切りした臼蓋を前に倒すのである、と述べています。彼の方法は、こうした骨盤全体の形態を検討するといかに正しかったか理解できます。
臼蓋の変化だけではありません。図2をみてください。たくさんの筋肉も描出されていますが、ここで、特に骨頭の前方にある腸骨筋と腰筋の位置を検討すると、脱臼ではその位置が内方に移動していることがわかります。そうすると、これらの筋肉は超音波で容易に描出できますので、これが脱臼診断にも使えることを発見しました。実はこれは極めて敏感な検査であることもわかりました。
上に述べたような脱臼の病理を明らかにすることで、診断学、治療学は大きく進歩したと考えています。