骨延長術について

骨延長術は、旧ソビエト連邦のユダヤ人整形外科医師イリザロフ(故人)によってはじめられたと考えられています。彼は「distraction osteogenesis」と言う概念を提唱しましたが、簡単に言えば、「骨の長軸方向に引っ張る力を与えておくと骨折部に新たな骨が形成される」、というものです。彼の考え方は骨延長に限らず、様々な整形外科疾患の治療にヒントを与えるものでした。たとえば私たちが開発した先天性股関節脱臼に対する開排位持続牽引整復法は、牽引により股関節の柔部組織に持続的緊張を与えているのですが、このやり方はイリザロフの考え方にも影響を受けています。

イリザロフの方法は長い間広まりませんでしたが、その優れた成績によって、やがて旧東ドイツを径由してイタリア、フランスに伝わり、1980年代の後半に初めてイリザロフ器械がアメリカに渡りました。その後アメリカでは主としてユダヤ系の整形外科医師によってイリザロフ法が広まってゆきました。
余談になりますが、わが国にも骨延長を独自におこなった医師がおりましたので紹介しておきましょう。確か1960年代だったと思いますが、札幌医大初代教授、河邨文一郎先生によりまったく独自の方法で骨延長が行われました。残念ながらこの方法は広まることはなかったのですが、わが国の独創的な仕事として特筆すべきと思っています。河邨先生は詩人としても有名で、あの札幌冬季オリンピックのテーマソングを作詞したことでも有名であり、そのお弟子さんの当時札幌医大整形外科講師であった渡辺淳一先生は小説家として皆さんご存知でしょう。渡辺先生の初期の小説には整形外科疾患をテーマとしたものが多いので私も興味深く読ませていただきました。感想を言えば、それぞれの疾患にたいしての視点は、私と小説家とでは随分異なっている、ということです。ただ、「麻酔」という小説は、国民の安全な医療という観点からは評価すべきでしょう。

私が骨延長法を知ったのは、1986年頃だったと思います。欧米の雑誌に紹介されていた骨延長法(イリザロフ器械を使った延長ではなかったのですが)を読んで衝撃を受けたのを覚えています。この頃はまだイリザロフ法というものを知りませんでしたが、ちょうどこの年に米国の子供病院に留学し、そこで初めてアメリカへ最初に渡った第一号のイリザロフ器械を見ました。帰国してから京大病院で骨延長を開始しました。しかし当時はまだわが国ではイリザロフ器械が手に入らなかったので、イタリア人の開発した延長器を使って細々と骨延長をやっていました。その後滋賀県立小児保健医療センターに移ってから本格的に骨延長を開始しましたが、1990年に念願のイリザロフの器械が手に入り、その後は柏木先生を中心にイリザロフ法による膨大な数の骨延長をおこなってきました。低身長に対する下肢延長だけではなく、上肢延長、指延長、骨変形矯正、陳旧性骨折治療、内反足矯正、関節拘縮除去など、今日、滋賀県立小児保健医療センターは、わが国で骨延長の数ならびにその高度な技術において最高の施設となっています。
わが国においてはイリザロフ法はまた一般化しておりません。特に私が赴任してきた東京、関東地方では一般的ではく、医療関係者でもさえも骨延長ができる、ということすら知らない人が多いのが現状です。どうして広まりにくいかというと、いろいろな原因がありますが最大のものは、治療側の意識改革が必要だということです。イリザロフ法を実施するにあたっては、手術方法、清潔不潔の概念、創外固定に対する考え方など、これまでと違った姿勢で取り組まなくてはならないからです。私は、滋賀県立小児保健医療センターではこの意識改革が比較的スムースに行われたことによって、イリザロフ法が戦略的技術に成長した原因と考えています。

下図は、私が、滋賀県立小児保健医療センターにおいて初めて行ったイリザロフ手術です。右の前腕の尺骨を延長しています。右図で骨折部を延長してできた隙間に新たな骨(うっすらと見える)が形成されています。

    

                                              

ここでは滋賀県立小児保健医療センターでの経験から得られた骨延長の原則的なことがらを述べます。

骨延長・骨変形矯正術の適応。
一番多いケースが外傷による骨変形です。場合によっては複雑な変形もおこりますが、イリザロフ法によって正しく矯正します。外傷や骨感染によって成長軟骨が損傷された場合にも変形や骨短縮がおこります。この場合には将来予想される短縮量を計算して延長をおこないます。先天性の骨成長障害に対しても延長術が適応となる場合があります。たとえば脛骨欠損、腓骨欠損、先天性大腿骨短縮、大腿骨中枢部局所的欠損などがあります。これらの場合の治療は単純ではありません。関節再建をも含めて綿密な治療計画をたてる必要があり、また通常複数回の手術が必要となります。

    

上図は、右下腿骨変形に対し、イリザロフ法で矯正しているところです。

骨延長の時期
理論的には4歳頃から成人にいたるまで、どの年齢でも可能です。しかし、あまりに年齢が低いと延長中の合併症に対応するのが難しかったり、延長中のリハビリテーションがスムースにゆかなかったりする場合があります。一方、年齢が高くなると骨形成に時間がかかったりして、わずかな延長距離でも治療長期間が長くなってしまいます。これまでの経験から1ケ所に限定した骨延長であれば、10歳頃におこなうのが望ましいと考えております。

快適な生活
延長中にはできるだけ快適な生活が送れるように様々な工夫をしております。一番大きなことは器械をつけたまま風呂に入っていただくことです。入浴しても安全であることを確かめるまで小児保健医療センターで様々な実験や取り組みがなされました。いまではその安全性が確かめられています。

上図のようにイリザロフ器械をつけたまま風呂に入っています。こうしたことはこれまでの清潔不潔の概念を変えないとなかなか実現しません。滋賀県立小児センターでは看護婦さんを中心にこうしたことが安全であることを実験し確かめた上で実施していました。

学校生活
長期入院は可能な限り避ける必要があります。特に小学校高学年ならびに中学生の場合は、長期間の入院によって友達等との間にあった心の絆が失われてしまう場合があることが明らかになっています。イリザロフの器械を装着したまま学校生活をしていただきます。


軟骨無形成症に対する骨延長術

ここでは特に軟骨無形成症の患者さんに対する変形矯正・骨延長について述べます。骨延長術の目的は、1)四肢延長により四肢体幹運動機能を向上させ、日常生活をより快適に過ごせるようにする。2)身体のバランスを改善し、見かけを改善する、ことです。骨延長は楽ではありませんが、延長終了後には劇的な効果があり、患者さんの心理的影響も計り知れません。
軟骨無形成症の脚延長は長期にわたるため、学校に通える施設で行う必要があります。一般の病院で行うものではありません。

 軟骨無形成症の患者さんには下肢短縮があり、背が低いことに起因するいろいろな不便があります。たとえば、自動販売機や券売機を利用しにくい、電気のスイッチに手が届かない、公衆電話がかけにくい、等です。また、椅子に座る際には下腿が短いと足が地に着かず、どうしても不安定になりがちです。また、大腿が短いため深く腰掛けることができず(特に便座に座るときなどは深く腰掛けることが必要です)に坐位が不安定になります。下肢延長術を受けた患者さんたちは背が高くなった喜びはもちろんですが、それ以外に椅子座位の安定感など、日常生活動作が改善されることを実感しています。
アメリカのように公共福祉が整備された国々では、背が低い人も車椅子に乗った人も普通に社会生活を送ることができるよう配慮されています。軟骨無形成症の患者さんが生活の不自由を感じなくなるような社会を作ることが理想的ですが、我が国においてそれがすぐに実現することを期待して待っているというのも現実的ではありません。したがって脚延長により生活をより快適にしてゆくことも一つの選択枝であります。


 下肢の変形はO脚変形が最もよく見られます。これは下肢の機能軸の内側偏位や、膝関節や足関節の傾きを引き起こします。これらの関節のアライメントの異常は変形性関節症の原因となります(もっとも軟骨無形成症の患者さんは変形性関節症になりにくいとも言われていますが・・・)。これらのアライメントの異常は骨延長を行うときに同時に矯正が可能です。特に私たちが行っているイリザロフ法では三次元的な変形矯正が容易に正確に行うことができます。


 上肢の短縮は主に上腕骨の短縮によって起こっています。上肢の短縮が日常生活動作に及ぼす影響は極めて大きいものです。たとえば排泄の後始末の時、後ろからでは手が届きにくいことがあります。また、洗顔や食事などで上肢が短いことによりさまざまな不便があるとの訴えをよく耳にします。勉強や読書のときに上肢が短いと姿勢が悪くなりがちですが、上肢延長により前屈みの姿勢が改善します。人は走る時に上肢のバランスが重要ですが、延長により足が早くなったと聞いています。坐位姿勢のまま移動することを考えてみましょう。上肢が短いと上体を手で支えることが困難ですが、延長後には坐位での移動が改善します。また下肢を延長した患者さんは外観上の点からも機能上の点からも上肢の延長を希望されることが多いようです。下肢が長くなることでズボンや靴下の着脱が困難になるからです。意外と知られていないのですが、軟骨無形成症の患者さんには脊柱管狭窄があります。本センターでの研究の結果、正常と比較して脊柱管の直径が約半分になっていることがわかりました。脊柱管は脊髄神経の通り道ですので、脊椎へ過度の負担が続いて脊椎骨変形が生じると下肢麻痺をおこす可能性があります。したがって、脊椎骨への負担をできるだけ軽減するように小さいころから注意を払わなくてはなりません。たとえば、坐位をとっている時、背部が丸くならないように注意してあげることが必要です。また、背部の変形が強い場合にはコルセットの処方がいるかも知れません。上肢が短いと、日常生活動作において脊椎への負担が大きくなります。その意味で上肢を長くすることは、脊椎骨の変性を少しでも予防することに役立ちます。下肢延長術を希望されない場合でも、先に述べたようにリハビリがスムースにするだけでなく、脊椎を守る意味でも上腕延長は是非受けられることをお勧めします。脊柱管に慢性的負担がかかり過ぎると変性し神経を障害することがあります。上肢を長くして脊柱への負担を少なくしてあげることも必要です。また、上肢を延長すると機能的にはもちろんのこと、体全体のバランスが良くなるために、身長は低くても見かけが良くなります。上肢の延長はいろいろな意味で重要と考えられます。

  

上図は、軟骨無形成症の6歳の男子で身長90cmでした。下腿骨11cm、上腕骨8cm、大腿骨10cmの延長をおこない、9歳で120cmとなりました。6歳の時と比較して、身長だけでなく四肢・体幹のバランスがよくなっていることにも注目してください。

 骨延長の時期:理論的には4歳頃から成人にいたるまで、どの年齢でも可能です。しかし、あまりに年齢が低いと延長中の合併症に対応するのが難しかったり、延長中のリハビリテーションがスムースにゆかなかったりする場合があります。一方、年齢が高くなると骨形成に時間がかかったりして、わずかな延長距離でも治療長期間が長くなってしまいます。軟骨無形成症の患者さんが四肢の骨延長をおこなう場合は、最初に両方の下腿骨の延長(10cm、治療期間約10ヵ月)を8歳頃におこなうのが良いでしょう。この時期であれば、延長に対する本人の自覚も出てきます。またリハビリも積極的に取り組めますし、延長中の様々な合併症に対しても対処することができるようになります。下腿骨延長手術は整形外科医が二組に別れ両側同時に行っております。手術時間は、約2時間です。下腿骨延長が終了したら、上腕骨延長(10cm、治療期間7〜8ヵ月)もしくは、大腿骨の延長(8〜10cm、治療期間約8ヵ月)をおこないます。最近では上腕骨延長を先にすることが多くなっています。その方がリハビリがスムースに行える事がわかったからです。こうして下腿、上腕、大腿延長が終り、さらに希望があれば、数年後に再び下腿骨延長をおこなうことも可能です。

 延長中にはできるだけ快適な生活が送れるように様々な工夫をします。一番大きなことは器械をつけたまま風呂に入っていただくことです。入浴しても安全であることを確かめるまで滋賀県立小児保健医療センターで様々な実験や取り組みがなされました。いまではその安全性が確かめられ、全員入浴していただき、退院してからも続けるように指導しています。


 軟骨無形成症は骨の成長が障害されますが、周囲の軟部組織(筋肉、神経、血管、皮膚など)は正常に発育します。したがって骨を延長しても周囲に無理がかかりにくく、長く延長しても延長に伴う合併症は比較的少なく、延長に向いているとも言えます。しかし、軟骨無形成症における四肢の延長に対し反対の意見も存在します。実際、骨延長術はさまざまな合併症を伴う可能性があり、辛い事もあります。訓練の持続など、治療中は患者さんの日々の努力も必要です。従ってどこの施設でも行っている治療ではありません。


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