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忌わしい過去  幼児編

 妻が過去の職歴(幼稚園の先生)と、子育ての経験から、子どもたちのおかしな言動をこのホームページで発表しようとしていたので、途中だったが、読ませてもらった。

前に聞いた事のある話も初めてのものもあったが、おかしいのやら、切ないのやら、子どものやる事は突拍子もない。

 子供なりの理由があって言ったりやったりしているんだろうなぁ、と読みすすんでいたが、ふと、自分自身が子供時代にしでかしてしまった事を思い出してしまった。

それは、妻が書いている、最近の子どもたちの言動に勝るとも劣らないというか、バカ度と、切な度では完全に勝ってる話で、本当は書きたくないのだが、このコーナーもネタが無くなってきたのと、本人以外には面白い話なので、書く事にした。

 その時私が何歳だったのかぜんぜん覚えていないが、やってしまった事から考えて、物心ついて間もないころだったと思う(思いたい)。

私には二つ上の兄がいて、おもちゃ類は必ず二人に同じ物を買い与えるというのが、我が家の方針であった。

 ある日母が買ってきたのが、空気でふくらませるビニール製の、「スーパージェッター」の人形だった。もちろん方針に従って、全く同じ物を私と兄にひとつづつ。

 右手に光線銃をにぎりしめ、足を開いて立っているポーズで、身長は40から50センチくらいあったように記憶している。

 空気でふくらませるとはいえ、当時の私には超大型のおもちゃだったのと、なによりアニメの「スーパージェッター」が大好きだったので、私は大喜びで、色々なストーリーを空想しては、そのおもちゃで遊んでいた。幸せだった。

 しかし、そんな幸せな日々は長続きしなかった。
ある日私は思った。

「ジェッターが持っている光線銃がほしい」

「ぼくのこの手で、悪いやつをビビビっとやっつけたい、ビビビっと」
そして私は、…私は…私は私は私は私は私は…。(ああっ書きたくない)
裁縫で使うにぎりばさみをもってきて、(やめろっ!)ジェッター君の右手と光線銃の間に刃を当て、(待てっ、よく考えろっ) ぎゅっと(やめてー)握り締めた(うぎゃああああああああ)。

 私の頭の中で生きて動いていたジェッター君が、私の手の中で死んでいった。
彼はあっという間に平面の死体になっていた。

約2秒の空白の後、私はハリケーンのように泣き始めた。
その声を聞きつけて、母と兄が(後に私が大事にしていたメカニコングのソフビ人形を壊してしまう悪魔のような兄が)とんできた。
二人は、ヘロヘロのジェッター人形とにぎりばさみを手に泣き叫ぶ私を問い詰めた。

「なにゆえにこのような状況が発生したのか?」

ハリケーンの合間に私は答えた。

「パラライザー(光線銃の事)が欲しかったのー」

母より一瞬早く状況を理解した兄が、爆発したように笑い出した。
兄は(後に私のウルトラセブンの腕ももぎとってしまう鬼畜のような兄は)、のどちんこが見えるくらい大口を開けて笑いながら私をののしった。
「世界一のバカ」と。

泣き叫ぶ私と、笑い死にそうな兄のかたわらで、母は困った顔で立ち尽くすばかりであった。

 さて。
その夜、ジェッター君は父の手により、光線銃の部分を切除され、傷跡をボンドで接着され、なんとかふくらませるようになった。「光線銃も着けて」と頼んでみたが、「そんなことできにゃあよ!」と静岡弁で一喝されてしまった。

 武器を失ったジェッター君を見ると胸が痛んだが、自分なりに光線銃を持っていないストーリーを考えて遊んでみたりした。
でもそれもすぐにやめてしまって、ジェッター君はおもちゃ箱の底においやられてしまった。

薄情?あんなに大事にしてたのに?
自分のせいなのに?

だって、光線銃を持ってない話は考えつくけど、右手から少しづつ空気が抜けてふにゃふにゃになっていくスーパージェッターの話なんてぜーんぜん思いつかなかったんだもーん。

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忌わしい過去  小学編

 子供のころの失敗話ばかりだとなんだか「ちびまる子ちゃん」みたいだが、今度は小学生時代のお話。

「スーパージェッター事件」が残した心の傷に比べたら、たいしたことはないが、年齢を考えると、バカ度は、かなり高いといえる。
 それは小学4年生の時。私は、前の年に買ってもらった5段変速の自転車に乗って、どこへ行くでもなく、ひとりで近所をぐるぐる回っていた。

遊ぶ相手も無く、暇をもて余した末の行動だったのだが、そんなことが楽しいわけもなく、かといって他にやる事もなく、ただただペダルをこいで、同じ道を回っていた。

 死ぬほど退屈だった。このままペダルをこぎながらゆるゆる死んでいくんじゃないかというくらい退屈だった。
 しかし、死亡3秒前くらいに、私の頭にすばらしいアイデアがひらめいた。

「目ヲツブッタママドレクライ走レルダロウカ?」

今思えば悪魔のささやきだが、その時の私にとっては、その考えは光り輝いていた。

 さっそく私はチャレンジを開始した。
初めはおっかなびっくりで、「ゆっくりまばたき」程度だったが、それが「まばたき?」になり「もはやまばたきと呼んでほしくないまばたき」へとエスカレートしていき、最終段階として、目をつぶったまま、一瞬だけ目を開ける、「逆まばたき」とでも名付けたい状態にまで到達した。

私は、もはや視覚に頼ることなく自転車に乗れるのだと確信し、視神経からの情報処理という過大な負荷から開放された脳髄は自由な思想の宇宙という高みへはばたき始め、そのまま私はどかん!道路に投げ出されていた。

 痛いよりびっくりで(ひさしぶりに)目を開けて見てみると道路脇に木の植わったバカでかい植木鉢が置いてあり、どうやらそれに激突、転倒したらしい。

幸いケガもなく、気を取り直して自転車を引き起こし、また乗ろうとした。ところが。

動かない。前輪が。押しても引いても。ぜんぜん。

見たところどこも壊れているようには見えないのに、まったく動かなくなってしまった。

 一気に目の前が真っ暗になり(目は開いていたが)へたりこみそうになったが、しかたなく前輪を持ち上げて家まで運搬した。

家にいた母には「電柱にぶつかって自転車が壊れた」という報告をした。

 まさか、目をつぶって乗っていたとは言えるわけがないが、植木鉢より電柱の方が許されるような気がしたのだ。
 その時の母との会話は記憶にないが、まあ、いい顔はされなかったはずだ。

 次の休日に、父と販売店に行き、みてもらったところ、「前輪とハンドルをつなげている部分がゆがんでしまっているため、全部交換しなければならない」とのことであった。
なんだかおおごとになってしまった。

 父はそんなにひどいのかと、店員と話していた。
私は、トンカチでカンカンっと直してくれないかなと思いながらも、壊した原因が原因なので、そのへんを追求されずに事が済むのを祈って、黙っていた。

ようやく父も納得して、部品を交換することになり、私は、これでこの件は一件落着、目をつぶって乗っていた件もばれずに済んで、やれやれと店を出ようとしたところ、店員が「しかし、どうすればこんな壊れ方をするのかわからないなあ」とぬかしやがった。

俺にもわかんねーよ。目をつぶってたからな。

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ずっと20世紀だった。


生まれてからずっと20世紀だった。だから、「来年から21世紀ですよ。」と言われても戸惑うばかりである。

だいたい21世紀といえば、エア・カーが走り回り、自宅で仕事ができるようになり、各家庭にはお手伝いロボットがいて、洗濯をしたり、皿洗いをしたり、年賀状を書いたり、大掃除や年末の買物を済ませて、新年を迎える準備をすべて整えてくれたりしているはずだった。こどものころ本で読んだ(マンガだけど)。

それがどうだ。もう12月も残り一週間を切ったというのに、年賀状はまだ出してないし、大掃除は手が冷たいし、年末のスーパーは大混雑だ。

 だいたい私が子供のころには、21世紀なんてものはやって来ない事になっていた。
1999年第七の月に終わってしまうはずだったのだ。ノストラダムスがそう言っていたはずだ。当時は半分くらい信じていて、「1999年ていうと、39歳かぁ、俺の人生も39歳で終りか…」と悲観していたが、実際1999年になってみると、私は37歳であった。

 本当は「恐怖の大王」とやらは、もうやって来ていて、ちょこちょこ悪さをしているというのが私の説だが、ダムスが言うほどには凄いことにはなっていないようだ。

 多分21世紀はやって来るであろう。エア・カーもお手伝いロボットも無い21世紀が。
 子供のころ思っていた、未来世界としての21世紀は当分やってこないだろう。
 そして、当たり前のように生活していくのだろう。20世紀と同じように。ひょっとしたら、21世紀であるということも忘れて。
 なにしろずっと20世紀だったから。しょせん人間なんてそんなものだ。突然変われるものではないのだ。

 それでも私は信じようと思う。来年の私が12月の半ば頃までには年賀状を書き終わっていることを。

今年はこれでおしまい
みなさまが良い新世紀をお迎えになるようお祈りしております。
2000年12月
オトーラの書一同
(新年のあいさつにつづく)

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21世紀大予言

2001.1.13

 と、いうわけで21世紀がやって来た。

子供のころに見た元旦の新聞には、「未来の生活はこうなる!」というような特集があって、頭にへんてこなかぶり物を着けた家族のイラストが付いていたりした。じーさんばーさんまで、アンテナの付いたヘルメットみたいなのをかぶって笑っていて、「こんなじーさんにはなりたくないな」と思った記憶がある。

 最近は、というより、今年はそういうものは見当たらなくて、かわりに多かったのは、新聞でもテレビでも、「昔の人は21世紀をこう予測した」というようなものだった。それを当たっただのはずれただの言い合って、感心したり笑ったりしているのであった。
昔の人が考えた事を評論しているだけなのだ。

何も造り出そうとしていないのだ。
これでいいの?
人類は未来の事を考えなくなってしまったの?
子供は夢見ることを知らないの?
お腹の子供はどうなるの?
それでは良くないと思うわけですよ。私は。

というわけで、今回は新春にふさわしく、21世紀百年間の予言をしてみました。
 予言をするのは久しぶりなので的中率は保証しませんが、私と一緒に夢を見ましょう。


西暦(年)

で き ご と

2001

紅白歌合戦、紅組連勝。

2007

ポケモン1000匹に。「ドラクエ8」制作発表。

2008

アンテナ付きヘルメット大流行。

2009

ヒクソン・グレイシー五百連勝達成。
長州力、2度目の引退。

2010

ウルトラ兄弟50人突破。
「ドラクエ8」発売延期発表。

2022

東京大阪間を45分で結ぶ夢の超特急開通。

2023

ヒクソン・グレイシー六百連勝達成。

2032

有人火星探査ロケット打ち上げ。 

2040

特に何も起こらない。

2048

「ドラクエ8」発売。

2050

人間そっくりなアンドロイド誕生。

2053

人間そっくりなアンドロイド発売。気味悪がって誰も買わない。

2068

オリオン座タウ−星人滅亡。地球人は誰も気付かない。

2092

第7の月、東の大陸で黒い目玉がぎょろりと動くが、誰も気付かない。

2093

第3の月、西の湖で大きな鼻がヒクヒクするが、少数の者だけがその意味に気付く。

2094

オト−、惜しまれつつこの世を去る。享年134歳(ぐらい)。

2095

第2の月、南の海で蒼ざめた唇がパクパクするが、皆見て見ぬ振りをする。

2100

21世紀最後の大みそか、統治する者とされる者の真の戦いが開始される。最初の一撃の直後、除夜の鐘がゴンと鳴る。

いかがでございましょう。駆け足ではございましたが、ざっとこんな感じで21世紀は進行するでしょう。
ともあれ、本年もよろしくお願い致します。

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シルバーボディの憎い奴
(AIBOじゃないよ)

2001.1.13

 西暦2000年のある日。

近所のスーパーで買物をしている時、ある物が私の心を捕らえた。
70年代の歌謡曲をBGMにしているその店で、私は以前、子門真人の歌う「スターウォーズ」のテーマを聞いたことがあり、内心あなどれない物を感じていた。

 その日も「木綿のハンカチーフ」とか、「年下の男の子」とかが、かかっていたと思われるが、「奴」を目にした瞬間、なつかしい歌も耳に入らなくなった。
「ポケモン」「ウルトラマン」「仮面ライダー」など、誰でも知っているキャラクターのおもちゃ付きお菓子が陳列されているかたわらに、見たことも聞いたこともないキャラクターのおもちゃコーナーがあり、そこにキングのように奴はいた。最近流行りのブリスターパック(中身が見えるやつね)の中でシルバーボディを輝かせて。

カラーこそ例の犬っコロ型のロボとそっくりだが、スタイルは誇り高きゴリラのそれであった。
身長約15cmのゴリラ型ロボ。
しかし見た目より何より私の心を捕らえたのはその名称であった。
パッケージにはこう明記されていた。「メカッチョゴリラ」

「メカッチョ…ゴリラ」口元をへらへらゆるませてつぶやいてみた。
パッケージの説明によると、単三電池2本を使用し、腕をグルグル回して進み、転んでも立ち上がり、目が光り、おまけに右手のフックで色々面白い動きをするよ、との事だった。
見ると、中国製の花火のような怪しい外見の単三電池も2本ちゃんと入っている。(そもそもメカッチョゴリラ自体MADE IN Chinaだが)

値段は五百円。欲しい。
しかし我が家には、買物のついでに買うおもちゃは三百円までという暗黙の了解がある。

大人なんだから自分の財布から出して買えばいいじゃないかと思うかもしれないが、こういうことはそういうことじゃないのだ。
せこいルールを守る楽しさというものがあるのだ。世の中には。
というわけでその時は買わずに帰った。

しかし、その後もそのスーパーへいくたびメカッチョゴリラを確認して「欲しい」という気持ちをつのらせていった。
そんな日々が2ヵ月も続いただろうか。
そして結局買ってしまった。というか、妻が買って来た。というか、そう仕向けた。

とにかく、とうとうメカッチョゴリラが我が家へやって来た。

息子と私とで引きむしるようにパッケージを開け、背中に電池をぶち込みスイッチオン。2秒後に大爆笑。
基本動作は、足より長い腕を七回転させて前進、3秒間目が光る、という繰り返しなのだが、何しろその腕の回転が速いのだ。
五秒間で七回転もするものだからせわしないったらありゃしない。(0.7秒に1回転だよ)

コタツの上で動かしていたのだが、後ろに倒してみたら電池が重くて立ち上がれず、狂ったように腕をブン回して、カップ麺を蹴散らし、あっという間に転落、笑い死にそうな息子がスイッチを切るまで、床の上を狂ったように暴れ回っていた。
右手のフックを出すとさらに不規則な動きになる。まるでバカだ。
ああ、こんなに面白い物、どうしてもっと早く買わなかったんだろう。

その日からメカッチョと我々家族の生活が始まった。

私たちは辛い事、悲しい事があると、(あんまりないけど)メカッチョのスイッチを入れるようになった。

会社でいやな上司にからまれた日は、(あんまりないけど)メカッチョが転がり回る姿を見て笑い飛ばした。

私は思う。メカッチョのように生きたい。周りの状況などおかまいなしに腕をブン回すメカッチョのように。
そしていつか中国のどこかにあるメカッチョゴリラ製造工場に行ってみたい。

ベルトコンベアの上を組立てられながら流れて行く何千何万体のメカッチョゴリラ
製品の最終チェックで転んでは立ち上がる何千何万体のメカッチョゴリラ
それを見つめる中国美人のつぶらな瞳
想像しただけでドキドキする。夢と希望を胸に人生を送れそうな気になる。

犬っコロのロボで癒されるのは20世紀までにしようじゃないか。
21世紀はメカッチョゴリラの鉄腕大回転で、不景気や暗い世相を吹っ飛ばし、新しい時代を切り拓いて行こうじゃないか。


メカッチョゴリラ 前


横(右手にフックが確認できる)


けつ(シッポも動くのだ!)

メカッチョゴリラの勇姿をもっと見たい方はこちらへ
メカッチョゴリラ大進撃

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掟を破った父と、眠かった僕。

2001.1.25

 どこの家でもそうなのかもしれないが、私の両親は、というか、母は、私と兄(二歳上)を平等に育てるという強い信念を持っていて、我が家には一人にしてあげた事はもう一人にもしてあげるという掟があった。

 具体的によく覚えているのは、一人におもちゃを買ってあげたら、もう一人にも同等の物を買い与えていた事で、それは、もう母の強迫観念のようになっていた。

それは、そうでもしないと、買ってもらえなかった方が、拗ねてひがみっぽくなり、やがて非行に走り、万引き、カツアゲ、覚せい剤、放火、とエスカレートしたあげく、南米でテロリスト、というような人生を歩むとでも思っているような強いものだった。

私としては、そんなに子供の将来が心配なら、毎日のように私をいじめては泣かしている兄を何とかしてほしかったのだが。

話がそれた。
あれは私が四歳か五歳の時だったと思う。

兄ひとりだけを連れて散歩に出た父が、途中でおもちゃ屋に寄り、兄だけにおもちゃを買って帰って来た。
その様子を見た母は、
「なぜお兄ちゃんにだけおもちゃを買ってあげたの!なぜこの子の物は無いのっ!」
と、父を問いつめ、
「この子がすねてグレたらどうするのっ!万引きにカツアゲよっ!覚せい剤にテロリストよっ!」
と、父を責め、
「ただちに即刻すみやかに再びおもちゃ屋におもむき、この子にもおもちゃを買い与えた後、帰宅しなさいっ!」
と、父に命令した。と、思う。

というのは、その時私は眠っていて、兄だけがおもちゃを買ってもらったことも、父が母にボロクソに(想像だけど)言われていた事も知らなかった。

そんなわけで私は無理矢理昼寝から起こされ、母から事情の説明を受けた。

これこれこういうわけで、お前もおもちゃを一つ買ってもらえる事になったから、今から行って、お兄ちゃんが持っている物と同じような物を買って来い、と。
見ると兄の手には、「ウルトラQ」に出て来る怪獣「ペギラ」の、手にはめて動かして遊ぶおもちゃがあり、兄は、父が母にボロクソに(想像だけど)言われたり、私が無理矢理起こされたりしていることには一切おかまいなく、一人で遊んでいた。

 

 私は強烈に眠かったが、おもちゃを買ってもらえるチャンスを逃すわけにもいかず、父にだっこされて、ハトヤ(おもちゃ屋)へ向かった。

ハトヤに着くと、父は「欲しいのはどれか?お兄ちゃんと同じ物で良いか?」というような事を私に聞いた。少し不機嫌だったような気がするが、よく覚えていない。とにかく眠くてしょうがなかったのだ。

それでも私は、手を入れて遊ぶおもちゃより、ちゃんと足が付いていて、テレビに出る物に近い形の怪獣が欲しかったので、父にだっこされたまま棚に並んでいる怪獣を見回し、力をふりしぼって、「ゴメス(やはり『ウルトラQ』の怪獣)がいい」と告げた。

そのゴメスはいわゆるソフビ人形で、ガッシとニ本の足で立っていた。これなら私の希望にぴったりだ。
誤算は父がゴメスを知らなかった事だ。というか、父にとっては怪獣はみんなゴジラで、正義の味方はみんなウルトラマンだった。

「これだな?これでいいんだな?」

と言いながら、父のごつい手が怪獣たちの方へ伸びていった。その手が兄の物とは色が違うだけのペギラをつかんだ時には私は夢の中だった。

再び目覚めた時に私のかたわらにあったのは、ネズミ色のペギラだった。(兄の物は青色)

それには当然二本の足は無く、手を入れて遊ぶために体はふにゃふにゃだった。

私は不満だったが、両親は今回も掟が守られて満足そうだったし、兄はもちろん自分が欲しかった物を買ってもらえたのだから大満足に決まっている。兄がなぜこんなふにゃふにゃ怪獣が欲しかったのか理解できなかった。

通常、新しいおもちゃはそれなりの地位を与えられるものだが、かわいそうな憎らしいペギラは、私のおもちゃ遊びの設定では、いつも最初にやられる雑魚キャラとしてデビューし、生涯その地位をまっとうした。
晩年はボールペンでらくがきまでされていたが、今思えば、立派な脇役人生だったと言えよう。

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夢のせんす男

2001.2.7

 以前は、何でこんなへんてこな夢を見たんだろう、と思うような面白い夢をよく見たが、いつからか、現実的な夢ばかり見るようになってしまった。

会社に遅刻しそうになってあわてている夢とか、新しい家電製品を買う夢とか。
きっと歳をとって、人間がつまらなくなりつつあるんだな、と意気消沈していたが、久々にちょっと面白い夢を見たので、せっかくだから書き残しておく。

 私は友人(誰かは不明)と二人で、お堀のような川のようなものの前で腹這いになっていた。
水面は地面とほぼ同じ高さで、目の前を水が流れていく。
なぜそんな所にいるかというと、何かのテレビの企画で、そこに「扇子男」が現れるというのを見物に行ったのだ。
水の流れは下流で、大きなデパートのような建物に流れ込んでいる。

しばらくすると、すぐ近くに車が止まり、体格のいいカップルが降りてきた。
男の方は身長2メートル位で、女もそれに合う位の身長だった。
男は小型のクレーンのような物をかかえていて、
「これでイルカが釣れるんだ」
なんて言いながらクレーンを設置し始めた。女は
「えー、イルカなーて釣っちゃいけなーじゃなーのー」
と、バカまるだしの喋り方で言っていたが、
「ホントはだめだけど俺はいいんだ。俺には関係ねーんだ、そういうの」

と、男も今風のバカの論理で答えていた。
私は、(その前にこんな所にイルカがいるわけねーだろバカ)と思いながらも、身長2メートルにややびびっていたので、あまりそっちの方は見ないようにしていた。

 やがて、上流から「扇子男」が現れたが、それは水面からおでこだけ露出させ、そのおでこに、少しだけ開いた扇子が装着されているというもので、なぜこんなもの見に来ちゃったんだろう、と思うようなつまらないものだった。
扇子男はゆるゆるとデパートの方に移動して行き、他の見物人たちも面白くなさそうに黙ってそれを見送っていた。
扇子男の扇子は、中途半端に開いたり閉じたりしていたが、それがまた私をいらいらさせた。


 見物人たちの反応がまったくないまま扇子男はゆっくりとデパートの中へ消えていった。その間まったく水面から顔を上げず、よく息が続くもんだと、企画と関係無いところで感心してしまった。
しょうがないので、一人でデパートに行ってみると、入り口の所に小さな看板があり、
『午後2時から「かえる男」』と書いてあった。
ケッ、と思いながら中に入ると、そこでは何十人もの小学生が卓球をやっていた。
「今は卓球なのかぁ」と思いながら見ていると、デパートのガラス張りの壁を叩く音がして、見ると、昔のバイト仲間のアベちゃん(年下)が、
「もうだめっすよー。もうだめっすよー。帰りましょうよー」と私を呼んでいた。
そうだよなー「かえる男」なんか待っててもなー、と思い、アベちゃんと帰ることにした。

 そのデパート以外、建物が一つも無い田舎道を歩いていると、後ろで、ドドドドドッドドッ!とものすごい音がした。振り向くと、デパートが変型して、何か怪獣のような物になりかけていた。
アベちゃんは「やばいっすよー、やばいっすよー。」と叫ぶと、ジャンプして、ウルトラマンのパチもんのようなものに変身して、デパートの方へ飛んでいった。

私もこれは大変と、薄紫色に輝く、やはりウルトラマンのにせものみたいなのに変身して空を飛んでアベちゃんの後を追った。
眼下を凄いスピードで田舎道が流れていく。
その間にもデパートはよくできたCGのような変型を続け、屋上はすっかり、怪獣の頭になってしまっていた。

ものすごいスピードで飛んでいるのに、なかなか怪獣デパートにはたどりつけず、みるみるうちに下半身が黄金のライオンに変型を始めていた。

「しまった!あそこには子供たちが」と、低空飛行しながら必死で手を伸ばしたが間に合わず、怪獣は完全に変型し終えてしまった。
「間に合わなっかたか−!」
私はくやしさに薄紫色の巨大なこぶしを握りしめた。

 というところで目がさめた。
卓球をしていた子供たちを助けられなかったのが心残りだが、とっても気持ちのいい夢だった。

空を飛ぶ夢は昔はちょくちょく見て、気持ちのいいものだったが、変身する夢は生まれて初めて見た。
気持ちいいよー。変身するのって。

 夢に色々な意味を見つけようとする人がいて、私はそういうのはよくわからないけれど、この夢に意味があるとしたら、オレは正義の味方だってことかな。あ、あとアベちゃんも。「やばいっすよーだめっすよー」

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シルバーボディーの憎い奴 2号

 妻が、某ファッションセンターで、「メカフロッグ」というおもちゃを発見したのは、2月に入ったばかりの事だった。

 妻の報告の要点は「それはカエルの形をしている」「それは銀色である」「安売りになったおもちゃコーナーに埋もれていた」の三点であった。

「メカッチョゴリラ」の一件があったので、これは是非、実物を確認しなければと思ったが、そう頻繁に行く所でもないため、私がその実物に遭遇したのは、報告から2週間以上たった、ある土曜日であった。

 それはまったく妻の報告どおりで、銀色をしたカエルが、ホコリをかぶった、いかにも売れなそぉーなおもちゃの山の中に、売れなそぉーに、埋もれていた。

引っぱり出して見てみると、メカッチョゴリラよりひと回り大きい(というよりデブ)。パッと見、貯金箱。「はねる、鳴く、光る」なんて書いてある。正式名称は「ケロケロメカフロッグ」とあった。

 パッケージの裏を見てびっくりした。なんと製造元と発売元がメカッチョゴリラと同じではないか。

この会社はこんな物ばっかり作ってるんだろうか?シャチョ−が「我が社はこの路線で行くのだ!エイエイオー!」なんて言ってるのだろうか?言ってないだろう。

 疑問なのは、なぜ「メカッチョ」という絶妙な名称を使わなかったかだ。シャチョ−が「メカッチョはいかん!ふざけておる!メカで行けメカで!エイエイオー!」なんて言ったとでもいうのか?それともこっちの方が先に製品化されたのか?
と、メカフロッグのパッケージを手に、いろいろ妄想をふくらませてニヤニヤしていた。
ちょっと異様な光景ではあった。

 電池無しで880円だったので、買おうかどうしようか、あいかわらずセコく迷ってしまった。

まぁ、買ったが。

 帰宅して電池を探し出して起動させた(はっきりいって、メカッチョゴリラの時のような熱い期待はなかった)。
 結論からいうと、こいつは、はねない。鳴いて光るが、はねない。

正確に描写すると、「後足をけいれんさせながら断続的、かつ緩やかに前方へ移動する」である。

 動きのサイクルは、10回けいれん、眼を光らせて3回ゲロゲロ、の繰り返しである。

地味なギミックとして、舌だか口だかが、パクパク動くという機能があるが、これは手動である。
でも、電池やらギアを仕込んだボディーで、ガッチャンコガッチャンコはねたらすごいだろうけど、すぐぶっ壊れちゃうだろうなぁ。

 動きがつまらないかというと、そうでもなくて、丸い顔がジワジワ近づいて来る姿は、妙に迫力があって、笑いを誘う。
せめて、後ろ足がもう少しすべらなきゃなぁ。ゴムでも貼り付けちゃおうかな。

 しかし、私が言うのも変だが、これらの商品のターゲットはどの辺なんだろう?
幼児にはちょっと冷たいかんじがするし、小学生はゾイドだし、ひとり暮らしのOLにはAIBOがあるし。

結局、変わり者のオッサン(誰の事だ?)ぐらいしか買わないんじゃないかな?

いや、私はいいと思う。この路線。
このシリーズでもっと出して欲しい。
犬とかネコとか、じゃなく、もう少しマイナーな動物。マングースとか、でんでんむしとか。もちろん名前の頭はメカッチョ。見つけたら買っちゃうな−。メカッチョマングース、メカッチョデンデン。メカッチョキリンなんて、いい動きしそうだぞ。夢はメカッチョ動物園。あ、できたら電池付きで五百円でね。

頼むぜシャチョ−、エイエイオー!っとくらぁ。


ケロケロメカフロッグ

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ケロケロメカフロッグ見参

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