3月25日(水) さようならセビリア!

帰国が迫った23日、バルコンに来たゴンサーロが
「ヒロシちょっと来て」というので行くと、
バルコンの裏にJose Galvan(ホセ・ガルバン)の
「フラメンコ」スタジオがありました。
覗いて見ると、何人か日本人の顔が見えます。

こんな近くにフラメンコ教室があったなんて、全く知りませんでした。
それならそうと、早く教えて欲しかったなぁ。
チャンスをみて、日本人の練習生と話したかったですね。

今、日本国内では、スペインで修行してきた人の
フラメンコ舞踊教室が非常に増えています。
「このようなところで修行しているんだなぁ、、」と
感慨深く練習風景を見ました。

こうしてセビリアまで来て修行するからには、
当然プロを目指しているのだと思います。
でも、今ここにいる人達が日本に帰って教室を持つ頃には、
生徒の奪い合いになっているのではないか?
そんなこと、私が心配することではないんですけどね。

とにかく、日本のレベルアップのために頑張って欲しいです。

ホセ・ガルバンのフラメンコ・スタジオ
この奥の一郭に練習場があります


帰国前日の24日夕方、
旧知のエセキエル夫妻が訪ねて来たりして、
一緒に記念写真を撮りました。
私 マリアム アントニオ 息子 マリア(エセキエルの奥様) マリ
ペペ  エセキエル


その後夜10時頃、バルコンに行きましたが、
いつもより少し時間が遅かったせいか、
顔なじみのホアキン、ゴンサーロ、ミゲル
などの姿は見えなくて、ちょっと残念でした。
10時頃ならいる筈なのに。

彼らからは、いつ日本に帰るのか?
としばしば訊かれていたため、
日本に帰る前日には、顔を見せてくれると
ひそかに期待していたのです。

もう1つ、いつかの「マチスタ問題」です。
帰るまでには、何としても処理しておきたいと思い、
『夫婦別姓について』というレポートを作り、
ペペとマリに私の作った文の添削をしてもらい、
前日になってやっと出来上がりました。
それを今日ビルヒニアに渡すつもりでしたが、
ビルヒニアの姿も見えませんでした。
残念ですが、後日ペペから渡してもらうことにしました。

それでも、バルコンのマスター“カイマン”と、弟“カラマール”
なじみのパコなどに別れの挨拶をしました。


バルコン店内


マスターの“カイマン”と“カラマール”



店のマークの入ったカレンダー
左/弟:カラマール(イカ[絵はタコですが])、右/兄:カイマン(ワニ)







いよいよ別れのときが来てしまいました。
3時半
ペペ、マリとお別れをします。
1ヶ月半、過ぎてみるとアッという間でした。

アンダルシア訛りの早口にも少し慣れ、
半年ほどいれば、彼らの話すこと、
すんなりわかるようになるのではないか?
という気もしますね。


懐かしいセビリアの街
底抜けに明るい人々

さようなら。




セビリア→マドリード  新幹線AVE
マドリード→モスクワ   SU300
モスクワ→成田      SU575

モスクワでの接続待ちが13時間近くあり最悪
待時間を含め、合計35時間
やっと日本に着きました。
1ヶ月半の間、事故もなく病気もなく、
無事帰れたことに感謝します。


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