国境を越える子どもたち(12)

「子どもたちに教えてもらったこと」


私とトゥー。難民キャンプで

 難民キャンプではじめてモンの子どもたちに出会ってから、もう16年。やんちゃだったガキどもも立派な大人になっている。私は相変わらず・・日本とモンの人たちの間を行ったり来たりしている。タイでラオスでアメリカで・・大勢の子どもたちに出会った。私はなんと多くのことを子どもたちから教わったか?と思う。

 私の背の半分くらいのおチビちゃんに、「清子は赤ん坊のおぶい方も知らないの?」と笑われ、サトウキビのかじり方を教わり、モン語の発音を、「違う、もう一回」と指導され、私はモンの子どもたちに育ててもらった?ようなものであった。私は一応大人なのに、子どもたちと対等に本気でつきあわなければ追いついていけなかった。

 モンの子どもたちは、小さくてもよちよちしていない。みんなしっかりと自分の足で生きている強さがある。それはきっと小さい頃から、親に保護されるという存在にとどまらず、自分も他の子の面倒をみたり、家の手伝いをしたり、社会の中で役割を持って生きているからなのかもしれない。

 「子ども小屋」にはスケジュールはなかった。子どもたちがやりたいことを思う存分できる場所にしたかった。はじめのうちは、しっちゃかめっちゃかであったが、そのうちに、子どもたちから湧き出てくる力−創造力や行動力、そして思いやり・・に驚かされた。子どもは大人の枠なんかをずっと越える可能性をもっているのだ。

 そんな子どもたちも、難民キャンプの閉鎖とともに、アメリカへラオスへと散って行った。小さい頃はお団子みたいにいつも一緒に遊んでいたのに、今は離れ離れに、まるで違う人生を歩み、同じ民族なのに、これからの長い世代に渡っての将来が遠く離れてしまうのかと思うと、戦争で難民になることの重さを感じる。でも、みんな新しい環境で、壁や限界にぶち当たりながらも一生懸命生きている。

 難民キャンプでも定住先でも、子どもの幸せは家庭にあるとも思った。いざかいばかりのぎくしゃくた家庭の子どもは、どこか不安定である。反対に、貧乏でもあたたかい家庭の子は安心していて幸せそうだ。たとえどこにいても、子どもにとっては、そんな小さな安心と幸せが一番大切なのだろう。

 今また戦争が起こり、新たな難民が国境を越えている。小さな幸せなど簡単にふっとんでしまう。戦争は、結局は人間の心の中のエゴ、欲望、差別意識などがあいまって起こしているように思える。それは私たち誰でもが持っているものであり、だから、私たち一人一人の心の中に、戦争も難民問題も、そして平和への道もあるように思う。

 

終わり

はじめのページに戻る