ラオス北部のモンの村へ行く


                                                                  2003年5月

 4月末から5月はじめにかけ、ラオス北部、フアパン県のモンの村に行きました。村を訪ねるのは2年ぶり、7回目です。今回の目的は、村でずっと作られてきた民族衣装の取材でした。布は麻の種をまき、成長した茎を裂いた繊維から糸をつむぎ、織る。染めは、ミツバチの巣を溶かしたミツロウで模様を描き、藍から作った染料で染める・・・という、全部自然の材料から自分たちのスカートを作っているのです。

来年、子ども向けに出版することになったので、その追加取材でした。崖にあるミツバチの巣の近くまで這っていったり、ものすごい斜面の畑にくっついていったり、面白かった。ストーリーは、来年のお楽しみですが、女の子がおかあさんにスカートを作ってもらう・・という筋立てで書いていたのに、今回行ってみたら、なんと、5,6歳の子がすでに、自分のスカートのための刺しゅうをしているのです。びっくり!しかも、自分の両腕を広げた4倍もの長さの布の刺しゅうをしているのです。ちょっとやそっとの根気じゃできない。恐れ入りました。そう、私はストーリーを書き直さなくてはいけなくなりました。

女の子たちが、まるでおばさんたちが井戸端会議でもしているかのように集まって、ぺちゃくちゃ話しながら刺しゅうをしてました。私がカメラを持って近づいたら、箸が転げ出してとまらなくなった・・・・とでもいうように、ケラケラ笑いだしました。その刺しゅうをする姿は本当にかわいいけれど、あんまり一人前に見えるので、結構大きな子かと思ったのですが、立ち上がってみると、私の背の半分くらい、そして、まだ鼻たらしていたりして、改めてびっくりしました。女の子たちは、今年、おかあさんに刺しゅうを教えてもらったばかりだそうです。もちろん、布作りや染めなんかはお母さんがやります。


井戸端会議さながら、刺繍をする女の子たち・・・ケラケラ笑いどおし

 村はずれの小さな家に行きました。その家は子沢山で貧乏です。何年か前に訪ねた時には、お母さんが、「私は病気で・・・まだ子供は小さいのに」と言い、写真を撮ってくれるかしら?・・と、青白い顔に民族衣装を着て、よろよろと子どもたちと一緒に座ったのを、撮ってあげたことがあったのでした。その時はよちよちだった三女のジュアが、今回はまだ5歳なのに、上手に美しい刺しゅうをしているので、びっくりしました。お母さんは元気になってよかったですが、一家が相変わらず貧乏で苦しいことに変わりはないのです。お母さんは、自分で作ったろうけつ染めを見せてくれました。それは、これまで見た中で一番美しい模様でした。そして、娘たちには、ちゃんと刺しゅうの腕を伝えています。私は、なんだかハッとした気がしたのでした。


ジュアが自分で刺繍した布。おかあさんと一緒に

 彼等のことを貧しいと思ったけれど、彼等は村一番美しい衣装を作り、着ることができる。村一番の美しい衣装を作れるお母さん。お母さんは小さい娘たちに刺しゅうを教え、娘たちは美しい刺しゅうの腕を引き継いでいる・・・・きっと、少し前まで、貨幣経済が入るまでは、彼等のことを、「貧しい」とは呼ばなかったかもしれない。でも、今はやっぱり、彼等の生活は貧乏です。お金がなくて、ノートが買えず、薬が買えず、病院に行けない。長女は、食い扶持を減らすために、他の村に働きに行っているそうです。そんな状況でも、母はこんなに美しいものを娘に伝えている・・・「貧しさ」という言葉はどういうことを指すのだろう?などと考えてしまいました。でも、どんどん、モンの世界でも、金が幅をきかせる時代になってきています。

 2年前には、普段にみな民族衣装を着ていたのに、今回はみな着ていませんでした。買い付け人が来て買ったり、ペラペラのプリント地の腰巻きの布、数枚と交換していくのだそうです。きっと、美しさよりも現金の方が切実に必要になってきているのでしょう。そのスカートは、タイのチェンマイなどの観光地に運ばれていって売られている・・・という話でした。

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