村に入って、少々・・いや、かなり・・いや、本当は一番切実に困ることは・・・モンの村にはトイレがない。トイレがなくても、回りに茂みや草むらがあれば、もう、私などは困らない。しかし、どういうわけだか、モンの村は、山の斜面や谷合いに家々が集っていて、家の回りに、草むらや茂みなどがきれいさっぱりないのである。家の裏に回れば、後ろの家の正面・・・家の横には隣の家・・・茂みを探そうとなると、5分か10分歩いてずっと村はずれまで行かなければいけない。しかも困るのは、道以外は山の斜面。茂みを求めて斜面を上っていくと、ますます見晴らしがよくなり、隠れる場所がますますなくなったりして、そのあげく足をすべらせて泥だらけになったりすると、もう!情けなく悲しい。「トイレごときで、なんでいちいちこうあたふたしなくちゃいけないの!」でも、やっぱり、困るものは困る。男の人がうらやましい。
夜はいい。暗闇にまぎれて家を出て、回りをぐるりと見回し、懐中電灯の明りが近づいて来ないかを確認して、自分の懐中電灯を消してしまえば、もう真っ暗闇だから、家のすぐ横だって、「エイ!」としゃがんでしまえ!
家の壁の内側で、誰かがせせらぎの音を聞いているかもしれないなんて、もう構ったことではない。
そう、これなら、朝、夜明け方まだ暗いうちに起きて、用をたしておこう!そう思って床につく。モンの家に泊めてもらうときは、外から来た客人は、家の入り口のそばに置かれたベッド兼長椅子がわりの寝台に寝る・・・モンの家は土間の一間で、そこが家族の生活スペース。家族の人たちの寝室は、壁で仕切られた奥の小さな部屋だが、客人は土間の隅の誰もが通るオープンスペースに寝る。私もそこに寝かせてもらっている。
さて、モンの人々は朝が早いので、私が夢うつつ目覚める5時頃には、もうすでに、おかあちゃんや嫁さん、娘たちはとっくの昔に起き出していて、囲炉裏に火をおこし米をかけ、家畜のえさの準備をしたりしている。そろそろ男たちも起き出して、朝の一服を吸っている。そのすぐ横のベッドで寝ているわけだから、私の一挙一動はすべて見える・・村には必ず携帯してきているシュラフの中でゴソゴソと着替え、それからゴソゴソと暗闇の中で目をひんむいてコンタクトレンズをいれ、そんなことをしている間に、あれあれ、朝はどんどん薄明るくなってくる。「うーん、でもまだ薄暗いから、きっと大丈夫。あっちの鶏小屋の陰でしゃがめば、こっちの家からは見えないはず・・」と、外に出てみると、ああ、もう時すでに遅し・・モンの村のさわやかな朝が始まっている。
あっちでは豚にえさをやっている人、こっちではココココ・・と鶏を呼んで鶏にえさをやっている人・・・向こうでは水くみから帰ってきた人・・・・「うーん、だめかぁ!でもまだ薄暗いからきっと見えないよ!」と、鶏小屋の陰に行き、えい!しゃがんじまえ!と思うと、遠く向こうの家の人がニコニコと手を振ってくる。モンの人はまた目がいいのである。そうしている間に、朝は容赦なくどんどんあけていき、私はあきらめて、村のはずれの草むらを目指して歩き出す。すると、赤ん坊をおんぶした女の子とすれちがう。
「何しに行くの?」「ううん、まぁね、ちょっとね」
「どうしてあっちの遠くの方に歩いていくの?」「ううん、まあね、ちょっとね・・・」
彼女はとても不思議そうな顔をしているので、私は言った。「チョジー(おしっこ)に行くの」
それでも、やっぱり彼女は不思議そうな顔をして、私を見送る。
さて、ずっと村はずれまで行き、斜面を上って草むらに分け入り、やっと救われた気分になる。はぁ〜!
そして、のこのこ歩いて戻ってみると、家のすぐ前で、女の子が、スカートの前後を持ち少し広げ、立ったままシャーとやっている。さっき、あの子が、たかがおしっこでわざわざ山の方まで行くのに、不思議な顔をしたはずである。彼女たちには何の不便もないのだ。女の人も立ったまま用を足せるなんて、なんて便利なんだろう。
本当になんて不便なんだ!と思う。いや、トイレがないから・・・ではなくて、トイレがないと、いちいちあたふたしなくてはいけないように習慣づいてしまって、そのような服装をしている自分が不便だな・・・と思う。たかが「小」ごときで、どうしていちいちあたふたしなくちゃいけないの!もう!私もいっそ立ったまま・・と思うけれど、やっぱり30ウン年間こうして、ついてしまった習慣をかえることは難しい。
さて、大の方の話だが、一体みんなどこでやっているのだろう?現場に出くわしたこともないし、村の中にモノも落ちていないのである。尋ねてみればいいのだが、どうも、いざ聞くとなると、私も妙に気恥ずかしくなってしまって、まだ聞いていない。だから、これは推測なのだけど、たぶん山の方に畑仕事、薪とりなどなどで行く時に、草むらに入っているのだと思う。また、人間様の落し物は、豚や犬がきれいに食べてしまう。人間様の落し物はまだ栄養がたっぷりなのだろう。そして、その豚をまた人間が食べる・・・・そ、そういうものなのだ。ここではそんな人間の落し物を含めた自然のサイクルがごくあたりまえに回っている。
大も小も、自然の循環、自然の一部の回り回るもの・・・・
ただ・・・やっぱり・・・トイレがないと・・・うーん、落ち着かない・・・私は・・・ (1998年)