忘れられない光景
ぽっかりと日の光がたまっている、干し草色の谷間の向こうから、もうもうと砂ぼこりが近づいてきた
砂ぼこりをまきあげながら、子どもたちが、きゃらきゃらと笑いながら、水牛を追って走ってくる
あっという間にあたりは砂でけぶり、
水牛にまたがった女の子が、ちょっとはにかんだような、
でもとても誇らしげな目で私をふりかえり、通りすぎていった
その後に、小さな女の子をのせた水牛が続き、
そのシッポを男の子がぎゅっとつかんで、ずるずると引きずられるように走っていった
まるで、小さなつむじ風が
光の中を、笑い声をたてながら吹き抜けていった気がした
草原につくと、子どもたちは水牛をおりた。
水牛はひとしきり草をはみ、
子どもたちは草の上をごろごろころがりまわって遊んだ。
そしてまた、あっという間に水牛に乗り、風のように草原を後にした。
村へと続く細い急な山道、
女の子は水牛の斜めになった背に上手にひざをまげて座り、
棒でピシピシと水牛のおしりをリズムよくたたきながら、山道を下っていく
急坂を下りきると、先に駆け下りていた妹と弟が待っていた
女の子は水牛に妹と弟をのせ、悠然と山道を下っていった
3人のきょうだいは、水牛の上であんまり誇らしげで
私には水牛にのった 小さな王女さまの一行みたいに見えたのだった
私は、この光景をいつまでも心にとどめておきたいと思った。日だまりの中にぽっかり開けた谷でみた水牛と子どもたちの光景。
そこは、ラオスのベトナム国境にほど近い村。中国から南下してベトナム経由でラオスに来たモンの人々が、最初に住み着いたという、広く開けた谷あいの地だ。ハーターシェンといわれるその地にあった村は、もう廃村だが、一時はとても大きく栄えた村だったという。ハーターシェンというのは「女房、子どもを置いて一人で出てきた男たちの谷」という意味だそうだ。つまり、単身赴任者たちの谷。新たに移住する地を見つけるために、まず男たちだけで様子を見にきて、それから家族を呼び寄せたのだろう。
ここは、ラオスが二つに分かれて戦った内戦時、アメリカが支援した反共側についたモンの兵士の中の最高統率者として将軍になった男の出身の村だ。村の多くの人々は、彼とともに村を去り、アメリカ側の勢力に組み入れられた。結局、戦火に追われて避難をくりかえし、最後には国を去り、難民となっていったにちがいない。
今では枯れ色の草原に、風が吹き、牛追いにきた子どもたちや、たきぎや茅を背負って通る人々が通るだけだ。よく見ると、草の繁みのあちこちに、家の跡、そして草の生い茂った墓がある。
こんな話を聞かせてくれたのは、ラオスの文化研究所につとめるモンの人だ。彼は話をしながら急にびくっと後ろを振り返り、「場所をかえよう」という。「どうして?」「墓が聞いているよ」と。そして、そこから20メートルほど場所を移して「ここなら大丈夫」と話を続けた。(1997年)
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