少年の死

 少年、ポーが死んだという。村に行ってみたら、やっぱりポーはいなかった。もし、この世に神様がいるとするのなら、本当に不公平だと思った。姉のドゥアは泣いた。

「残念で悔しくて・・・5年生になって、勉強もできるし畑仕事も手伝ってくれるし、本当にいい子だったのに。来年中学になったら、通学するのに自転車買ってよ、って言うから心配しないでちゃんと勉強しなって、その日の朝、言ったばかりだったのに・・・」

 ボーは本当にいい子になった。私は彼がまだ小さくて、おにいちゃんたちの後ろを金魚のフンみたいにくっついていつもふにゃふにゃ泣いていたその頃から知っていた。タイの難民キャンプにいた頃だ。目立たなくて弱虫ですぐフエーンと泣いた。でも数年後、ラオスであった彼は見違えるほど元気ではきはきした少年になっていた。がき大将で、いつも先頭に立って走り遊び、ちょっと照れぎみにへへへとよく笑い、民話が大好きで、一生懸命真剣な顔で聞きいっていた。子供らしい無邪気なエネルギーにいつもあふれていた。  

 ボーは大人が畑に出かけている昼頃に、魚をとろうと銃 を持ち出した。モンの人がよく使う銃身の長い、鳥とか魚とかを撃つ、全然威力のないたいしたことない銃である。そして、ちびの弟を従えて村のすぐ前の沼に行き、岸辺でガシャガシャいじっているうちに誤って自分の右肩の付け根のところを撃ちぬいてしまった。

「ぼくに当たっちゃった!ぼくに当たった」

という声を聞いて、一人だけ家にいた姉ドゥアがかけていったら、肩から血が噴水のように噴き出して、ボーがうめいていた。血が噴水のように噴き出し続けた。彼女は何度もボロ布をあてながら自分も血だらけになって、となり村の診療所に運んだ。でも何も手当はできなかった。血は噴き出し続けた。でも、最後の最後まで、ボーの意識ははっきりしていた。「のど乾いたよ。水おくれよ」といっても、医者は飲んではいけない、「お腹すいたよ。ごはんが食べたい」といっても、食べさせてはいけないといったという。するとボーは「お湯ですら飲ませてくれないのかい?」と不満そうにいったという。

 数時間たって、やっと県立病院に運ぶために車がついた。しかし、輸血してからじゃないとだめだとの医者の判断で、車はまた血を買いに行くために走り去ってしまった。するとボーは、「どうして車がやっと来たのに、ぼくを乗せずに、また行ってしまったの?」ときいた。「輸血用の血を買ってきて、それを入れてからじゃなきゃいけないんだって」と、姉が答えると、「ちぇっ、それならもう間にあわないよ。ぼくはもう死ぬんだね」と言って、はじめて目を閉じて、そして死んでしまった。

 少年は血を流して、自分の血を流して続けて死んだ。弾は肩を貫通した。すぐ適切な手当ができていれば死ぬことはなかったろう。姉ドゥアも「だって、脚を切り落としても生きている人がいるのに、肩だし、死ぬなんて思わなかった。だいじょうぶだよっていっていたのに」と泣いた。

 もし、どこかの援助団体の車でもたまたま通りかかっていたら、もし、すぐ大きな病院に運んでいたら・・いや、 せめて、村の診療所の医者が適切な止血の仕方さえ知っていさえすれば・・・もし時を戻すことができるのなら、撃ってしまった直後まででいいから、その時まで戻したい。きっと手だてがあった。きっと間にあった。

 でも、ボーはもう死んでしまった。少年は死んだ。もう帰ってこない。

 日本では延命なんていうことに、力を注ぎ金を注いでいる時に、ここでは一人の少年が、たった一つの傷をふさげず、血を体から流し続けて死んだ。自分の血を出し切って死んだ。

 ボー、君はそんな壮絶な死に方をするには、全然無邪気すぎただろ?

 太陽の日の光をあびたような少年だった。

 ボー、また生まれてこいよ。元気な少年に生まれてこいよ。そして、もしもう一度生まれて来た時には、これくらいのことで命を落とすなよ。

 きみは、元気な少年のままいってしまった。