トゥーとボー

 難民帰還村の木陰で、ふたりの若者がのこぎりを引いている。二人は角材の両側に座り長い歯だけののこぎりの両端を持って横にひいて、身体を少しずつずらしながら薄い平板を切り出す作業をしている。

トゥー(左)とボォー

 トゥーとボーは同じ両親から生まれた兄弟だ。モン族の名前をもつ二人は、本当はラオ族の父と母を持つラオ族の子だ。(ラオスの主要民族はラオ族。低地に住みラオス語を話す。モン族は山に住みモン語を話す少数民族)

 二人がまだ小さい時、父の浮気が原因で母とけんかになり、父がひどく母をなぐった。その後、母は自殺した。父は幼い息子たちを育てられず、子のないモンの夫婦に譲ったのだという。兄のボーはリー姓の夫婦に、弟のトゥーはワン姓の夫婦にもらわれていった。二人の姓は分かれた。兄が7歳、弟が4歳の時だった。そして、その後まもなく、トゥーは両親に連れられて、メコン川を渡ってタイへ逃げ、難民キャンプに収容されることになった。二人の兄弟は、国境を隔てて別れた。


「小さい頃のこと、覚えるの?」「そりゃあ、覚えてるよ。」

「小さい頃は、ラオスの名前があったんでしょ?覚えてるの?」

「覚えているよ」兄のボーがにきび面の奥で、少しためらうように言った。

「ぼくの名はカンマン、トゥーはカムヤオ・・・」

 弟のトゥーは低い声で、確かめるように繰り返した。「カンマン、カムヤオ・・・」ずっと使っていなかった、記憶の底にしまってあった、ラオ族の子だった頃の名。

 私は、聞いてはいけなかったことを、聞いてしまったような気がした。

「今はどっちなの?ラオの名とモンの名と、どっちが自分名前なの?」

「そりゃモンだよ。だって、もうぼくらはモンになったんだよ。」トゥーは悪びれた様子もなく、でも、噛みしめるように言った。

 カンマンとカムヤオというラオ族の小さい兄弟が、ラオ族の親から捨てられ、離れ離れにモンの家族に引き取られた時、二人はモン語を知らなかった。でも、すぐにラオス語を忘れて、モン語で考えるモンの少年、ボーとトゥーになっていった。

「ラオス語は忘れちゃってたけど、小学校で勉強してできるようになった。今じゃ、ラオス語でもモン語でも不自由しないよ」トゥーは得意気にいった。

 ボーは、中学2年まで、ラオスのモンの村で育った。その後、モンの両親とともに、メコン川を渡って、トゥーのいた難民キャンプに一時収容された。

 私が難民キャンプで働いていた頃、兄弟はいないはずのトゥーが「にいちゃんがきた」と息せききって走って行ったことがあった。約10年ぶりに会うにいちゃんだった。

「その時わかった?」「うん、なんかそんな感じだな、そうかな?なんか似てるな?・・たぶんそうだな・・って思ったよ」

 別れ別れになったカンマンとカムヤオは、トゥーとボーとして再会した。そして、今は二人ともラオスに戻ってきて、同じ村に住みこうして一緒にノコギリを引いている。

「いったい一枚の板を切り出すのに、何分くらいかかるの?」

二人は顔を見合わせて笑った。「2時間だよ」「ボーの家を建てるんだよ。ラオス人のような高床の家を建てるんだ。」

トゥーが嬉しそうにいった。にいちゃんのボーは数ヵ月前に結婚したのだ。毎日毎日二人でのこぎりを引き、2週間かけて、やっと床にする板がたまってきた。木陰で根気強くギッコギッコとのこぎりを引き続ける兄弟の姿・・・やっと会えたんだね、二人は一緒に家を建てる