牛飼いの兄妹                 ラオス・シェンクワン県・ノンヘート郡

 昨年、牛飼いだった兄妹がいる。ツーとツァイ。毎日、どちらかが牛を追って、山の草場に行っていた。お父さんは亡く、お母さんと3歳の妹の貧しい家だ。今年、牛はいなくなっていた。山に村の共同の放牧場ができ、そこで勝手に草を食べているという。ツァイは言った。
「だからね、私、学校へ行けるようになったのよ。1年生になったの」ツァイは、もう10歳にはなっているだろう。少し大きな1年生だけど、「9月からは2年生になるのよ」と嬉しそうだ。

 お兄ちゃんのツーは、昨年のテレビ取材(NHK「アジア人間街道」)で主人公になった少年だ。毎日、山に牛追いに出かけ、小さい頃に覚えた民話を他の子どもたちに話してあげていた。まっすぐな目が印象的だった。取材のお礼に、自転車をプレゼントした。麓の町の中学校へは、歩けば2時間かかるのだ。でも、1年後の今、彼は進級試験に落第してしまった。「ぼく、軍に入ってタハーン(兵士)になろうと思う」とツー。「軍隊でも勉強できるっていうし・・それにね、ぼく家を出たいんだよ。母さんと顔を合わせたくないんだ」と言った。母は最近、短気でイライラとすぐ怒るそうだ。妹ツァイも「お母さん、ひどいこと言うわよ。私は言い返すから平気なの」と言う。

 母は、この1週間、山の畑小屋に泊まって戻ってこない。女手一つで、お母さんもぎりぎりの気持ちで働いているのだろう。母が怒りっぽくなる気持ちも、ツーが母に反抗し、外に出たいという気持ちも、わかるような気がした。彼は、中学に行くようになり、外の世界と自分の現実とのギャップを感じたに違いない。そして、落第してしまい、貧しさの中で進む道が見えずに、鬱積しているようだった。母と息子が、それぞれの現実を抱え、すれ違っている。小さながらんとした家の中が、ますます寂しく見える。
 妹のツァイが、食事に呼んでくれた。母は今日も畑泊まり、兄のツーは家に戻ってきていない。彼女は一人で鶏をつぶしてスープを作ってくれたのだ。自分たちもろくにおかずはないっていうのに。「そんなことしないでもいいのに」と悪がると、「何にもないけどお腹いっぱい食べてよ」とすすめる。小さくても、モンのもてなしの心が身についている。
暗くなりはじめる家、少女は一人でぽつんといるのか・・・
「さびしくないの?」と聞くと、ツァイは、「さびしくなんかないよ」と笑った。けなげに生きている。


ツァイ(左)と一緒に食事

 私は次の日、ツァイにくっついて、お母さんの泊まり込む山の畑に行った。山道を2時間。ツァイは、道々、口笛を吹き、歌を歌い、ヘビを見つけると、他の子たちを待たせておいて、棒でぶんなぐって殺してしまうという頼もしさ。 
畑には、お母さんと、3歳の妹と5歳の親戚の男の子がいた。二人はいつもいっしょ。そして、羽根の抜けた小さな鶏が、子犬のようにどこへでも二人の後を追う。鶏も寂しいのだろう。おチビ二人は、空に広がる黒雲を見あげて「わぁ、こんな雲、この生涯で見たことがない」と言い、(子どもの言葉とは思えないほど、語彙が豊かなのだ)、雨の後の増水した川に歓声をあげ、3歳と5歳は、こんな山奥で、日々発見をして生きている。
 草取りを終え、帰り道。さっきの雨で水溜まりがあちこちにできている。私は、子どもたちに続いて水溜まりを跳び越えた・・・ら、ずべ〜と滑って、すってん!尻餅バシャン。手に持っていたニコンFM2は、ずぶりと泥水に。私はだいじょうぶ、でもカメラが・・・あぁ、意気消沈。ツァイは気を使って、私の荷物を持ってくれたが、後ろを歩きながら、くすくす笑いが止まらない。私が振り向くと、おかしくてたまらないという、顔からはみ出すほどの笑顔で、ツァイが歩いている。私もその笑顔を見て、おかしくてたまらなくなり、笑い出してしまった。
きっとこれからしばらく、「あの時、パヌンたらさぁ・・」と、話しては大笑いするんだろう。ツァイの笑顔を思うと、カメラを壊したことも、「まぁ、いいかぁ」と思えた。                              2002年




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