世界平和巡礼

ガーナの競歩のオリンピック選手ビン
セントと「平和の巡礼者」の靴を手に。
彼は「平和の巡礼者」により、歩くこ
とが運動であるばかりでなく、祈りで
もあることを知った     

セネガルでお世話になった家

ナイジェリアで

ザンビアで

私が参加した世界平和巡礼は、「諸宗教合同巡礼ー中間航路・奴隷制の旅路をたどって」

という、ノーベル平和賞を受賞した南アフリカのデズモンド・ツツ大司教を委員長とした世

界的プロジェクトでしたが、様々な宗教の人々とともに1年1ヶ月の間、アメリカ合衆国、

ヨーロッパ、アフリカの国々を、世界の平和と人類の平等を願って祈り歩きました。

巡礼の主旨は、400年間続いた人類の悲惨な歴史である「奴隷制度」への深い反省と懺

悔でしたが、「一つながりの命の中の自分」との認識から、私は人類の一員として参加しま

した。またこの巡礼を通して、自分のライフスタイルを物質的なものから精神性に重きを置

いたものに変えていくきっかけにしたい、との思いもありました。

巡礼はまさに「背負えるだけの荷で生きる」生活でした。この巡礼から私は多くのことを

学びました。水も食料も満足でないアフリカでは、ひもじい思いもしましたが、しあわせを

感じる水準がずーっと低くなり、どんな所であろうと寝る場所があるだけでしあわせ、どん

なものであろうと空腹を満たせるものを頂けるだけでしあわせ、バケツ一杯の水を浴びられ

ると天国、ただ生きているだけでしあわせ、という気持ちになりました。

危ない目にもずい分とあいました。南アフリカのダーバンでは猛スピードの車にヒットさ

れたり、ヨハネスバーグでは電車の中で強盗団に襲われたりもしました。そんな修羅場を経

験すると、自分で生きていると思うのは不遜で、何か大きなものに生かされているとの思い

を強くいたしました。

そして「人の情け」です。なけなしの食事を分け与えてくれたセネガルの人々。雨に濡れ

てふるえている私を見て、わざわざ靴下を届けてくれたスペインのおばあさん。多くの人々

の無条件の親切を受け、人の情けで生かされていると強く感じました。

中国でも同じで、人の情けで生かされ、また学んできました。私は必要のないものはどん

どん捨てて極力簡素に生きたい、と思っています。ですから大きな希望はありませんが、中

国で授かった知識と技術がささやかでも人々の役にたって、ひいては巡り巡ってそのことが、

私が情けを受けた人々に「情けを返す」ことになってくれれば、と願っております。