平和の巡礼者

peace pilgrim(平和の巡礼者)

巡礼の間には不思議なことがたくさん起こりましたが、中でも私の巡礼に大きな意義を与え

てくれたのが「ピース・ピルグリム(平和の巡礼者)」の靴をお預かりしたことです。

「平和の巡礼者」とは、1908年生まれのアメリカ人の女性で、46歳の時から交通事故

で亡くなる1981年までの28年間に渡り、平和のメッセージを人々に伝えながら歩き続け

ました。28年間でアメリカの全部の州を7回巡ったといいます。彼女が持っていたものは、

上着のポケットの中のクシ、歯ブラシ、ボールペンくらい、服は着たきりです。何日間も何も

食べなかったり、ガソリンスタンドのコンクリートの床の上や、道端の草の上で寝ることも

度々でした。

私が巡礼への参加を考えていた頃、ある本で彼女のことを知りました。そのことが何か象徴

的な思いがしましたし、何よりも彼女の生き方に強く惹かれ、自身の生き方の手本としたいと

思い、手に入れた彼女の本を巡礼に持参しました。

巡礼で歩きはじめてちょうど1週間目にマサチューセッツ州フレミングハムの「平和の僧院

(ピース・アビイ)」に泊まりましたが、驚いたことに「平和の巡礼者」の履いていた靴(ス

ニーカー)が、他の世界平和に貢献した人たちの資料と共に展示してありました。私が「平和

の僧院」の設立者であるホストに、私の彼女への思いを伝えると、そのホストは「平和の巡礼

者」の靴を我々の巡礼に持っていってもらいたいと言い、私にその靴を手渡してくれました。

信じられない気持ちでした。

それから私は「平和の巡礼者」の靴を背負って毎日歩きました。巡礼の最終地、南アフリカ

のケープタウンまで彼女の靴を運びました。毎朝のお祈りの時には祭壇に置いてみんなで祈り

ました。巡礼の行く先々で望む人にはその靴に触れてもらいました。その人たちは私が「平和

の巡礼者」の靴を持っていることが初めは信じられず、私はそのことを彼らにしばらく説明し

なければなりませんでした。それから彼らは靴に触れて、涙が出そうだと言います。どう言え

ばいいのでしょうか。日本で彼女の本を読んで彼女の思想と生き方に深く共鳴し、感動し、か

く生きたいと願い、彼女の本をまるで聖書のように携えて巡礼に参加し、そして「平和の僧

院」で「平和の巡礼者」の靴を託される。私にはそのことが単なる偶然に思えません。何か大

きな力が私をいざなって巡礼に参加させ、そして「平和の巡礼者」の靴をアフリカ、ケープタ

ウンまで背負って行くという役割を私に与えたのではないかと思うのです。そのことに深い意

味を感じます。

巡礼は終りましたが、私の中ではまだ終っていません。一生巡礼者として生きていきたいと

思っております。

「平和の巡礼者」の友人と(アメリカ)

ロビン島にて(南アフリカケープタウン)