ゴミステバブルースの続き。高校時代捏造・オリキャラ注意。


 3時間目終了後、静雄は隙を見つけて友人暦三日目のに、件の紙袋を差し出した。
 件の、とは去年の11月、の家で世話になった例の事だ。初対面でありながら、家に招かれ、風呂を借り、服を貸してもらい、夕飯をご馳走になり、静雄の家までわざわざ車で送ってもらったあの事については、物覚えがあまりよろしくない静雄でもいまだ鮮明に思い出すことができた。なんせインパクトがありすぎたのだ。親切という要素にお人好しを足し混ぜ込んで煮詰めたようなあの二人の人柄は、いまだかつて出会ったことがないタイプで、忘れようにも忘れることができなかった。とはいえその一人であるとは今では同じクラスなので、忘れるのはほぼ不可能に近いが。
 本当は始業式の次の日――入学式の日に返すつもりだったのが、静雄が寝坊してしまい、急いで家を出たがために服の入った紙袋を持つのを忘れてしまったため、それは叶わずにいた。そしてようやっと今日服を返すことができる事に、静雄はほっと胸をなでおろす。部屋の隅に置かれた紙袋を見るたび、早く返せと責められているような気がしてならなかったのだ。基本的に、母親や弟の買い物には付き合ったりするが、自分からはあまり外出することのなく、自室でのんびり過ごすことが多いインドア派の静雄にとって、それはそれはひどいプレッシャーだった。感極まるあまり頬が緩みそうになるのをグッとこらえ、そのせいで変な顔になっている静雄をよそに、の口からおおーと感心したような声があがった。
「袋に入ってる!?」
 たかが紙袋に入っていただけで、この反応である。それは驚くところなのか、と静雄は心の中で突っ込んだ。やや口元がひきつりそうになっている静雄には目もくれず、はらんらんと目を輝かせて静雄から紙袋を受け取ると、いそいそと紙袋の中を覗き込んだ。表情や、仕草のひとつひとつがなんだかすごく楽しそうで、静雄は何が楽しいのか疑問に思ったが、それでも悪い気はしなかった。ややあってから再度がおおーと声をあげ、静雄を見上げた。ものすごく嬉しそうな表情を浮かべている。
「キレーに畳んである!?」
「バカにしてんのか」
 静雄が間髪いれずにそう返すと、がごまかすようにへらへらと笑った。まあ確かに静雄は特別綺麗好きというわけではないし、掃除や整理整頓がうまいほうでもない。服を畳んだりするのは弟と比べて上手ではないが、それでも人並みではあると自負しているつもりだ。とはいえこの服を畳んだのは静雄の母なのだが。
「てっきり、ぐちゃぐちゃに詰め込まれてるかと」
 けろっとした顔で言われる。
「てめぇ、バカにしてんだろ」
「してないしてない! ちょっと意外だなって思っただけ」
 借りたものをぐちゃぐちゃにして返すほど、静雄は礼儀知らずではない。からそんな礼儀知らずに見られていたのかと思うと、静雄は少し腹が立った。しかし静雄の沸点に至るには程遠い。
 がもう一度、袋の中を覗き込んだ。
「へー、静雄くん、実はこういうの得意だったり?」
 言いながら、が静雄を見上げる。その瞳がきらきらと眩しくて、静雄は思わず顔を背けた。
「……いや、まあ、それ畳んだの、お袋なんだけどな」
 気まずそうにぽつりと呟く。ややあってからちらりとを見れば、その顔から表情が抜け落ちていた。文字通りの真顔である。
 やや間をおいて。
「期待した私がバカだったよ……」
 がそう吐き捨てた言葉は、静雄の胸に突き刺さった。がとぼとぼと物悲しい足取りで自分の席へ戻っていく。その背中が妙に切なくて、心をえぐられるような気分を味わった。その後には言葉に言い表せない不快感が残る。何を勝手に期待してんだ、と不満げに黙り込む静雄だったが、落ち着け、と心の中で何度も唱え、深く息を吸って盛大に吐き出してみれば、そんな気持ちはどこかに消えてしまっていた。それに、こんな事は、気にするほどのことでもないだろう。
「ねえねえ静雄くん、次科学だっけー?」
 現に、はさっきの事などなかったかのようにけろっとしている。この切り替えようは、かえって清々しさすら覚えるほどだ。
「ああ。つか黒板見ろよ。時間割かいてあんだろ」
「あーい」
 まるで静雄の忠告を受け流すような返事がから返ってきた。聞いちゃいねえなこいつ、と静雄は心の中でぼやく。ぽりぽりと後頭部をかいて、ぐるりと教室内を見回せば、慌てて顔をそらす生徒がちらほら見受けられた。そこまで気にするほどのもんなのか。静雄は眉間に皺を寄せたが、いちいち気にしても仕方ないだろう。次の授業は移動教室なので静雄も荷物を取りに自分の席に戻った。机の中から科学の教科書とノートを引っ張り出し、カバンの中からペンケースを取り出した。
 顔を上げて新羅の姿を探す。案の定新羅は自分の席にいて、ノートとにらめっこをしていた。新羅の席に向かうと、静雄が話しかけるよりも先に新羅が口を開く。
「ごめん、写すの時間かかっちゃって。もうすぐ終わるから」
 そう言ってまだ汚いままの黒板を見上げ、シャーペンをノートの上に走らせる。静雄がノートを覗き込めば、きっちりとした字が綴られていく。新羅は見た目どおり、頭がよく、ノートの取り方もうまい。静雄は何度も見せてもらったことがあるが、どうしてこうも見やすく書けるのが、常々疑問に思っていた。自分で書いたノートなど見るに耐えないから、テスト前はかならずといっていいほど新羅のノートをコピーさせてもらう。それでも静雄が自分で使わないノートを取るのは、ほぼ提出で点を取るためだ。
「新羅くん、字うまいねえ」
 いつの間にやら、が静雄の側に来て覗き込んでいた。新羅の肩が驚きで僅かに震えたのを静雄はちゃんと捉えたが、隣に立つといえば別のクラスメイトのほうを見ていた。一緒に行かないのー、と言う女子生徒の声に、ごめん先行っててーとが答える。思いのほか早く、クラスに馴染んでいるだった。静雄はさして意外には思わない。それじゃあ先に行ってるねー、なんて声に、うんと返事をしたがひらひらと手を振り返す。
 クラスに残る生徒がまばらになってきた頃、新羅の書き写しが終わった。新羅はうんと背伸びをした後、ちゃっちゃとノートと教科書を机の中にしまい始め、入れ替わりに科学の教科書とノートを取り出す。
「一緒に行かなくてよかったの」
 新羅が立ち上がりながら、に向けてそう言い放った。なんだか妙に含みのある言い方に、静雄は微かに眉を寄せたが、はけろりとした顔でうんと頷いた。
「――そっか。じゃあ行こうか」
 さっきの冷たい言いようとは打って変わって、ごく普通に新羅が言うので、静雄はほんの少し首をかしげた。含みのある物言いだと思ったのは、もしかしなくとも勘違いだったのかもしれない。新羅の後ろを、鼻歌交じりにがついていくので、静雄は黙って二人の後について行った。


 静雄くんって科学は好きなほう? なんて取るに足らない話をもちかけるに、ぶっきらぼうに「ああ」もしくは「おう」しか返事をしない静雄を見ながら、新羅はやれやれと心の中で嘆息した。のんきなものだなあ、なんて思いながら、探るように辺りを見回す。並んで歩く二人の後ろにいつしか新羅は回り込み、時々くだらない会話を聞きながらそれに混ざりつつ、極力回避したい人物――折原臨也の姿を探した。
 新羅がと知り合ってからかれこれ二日経ったが、その間臨也から近づいてくることは無かったし、そもそも姿を見かけることは無かった。とはいえ臨也と同じクラスである門田京平に聞けば、臨也は休んではいないという。学校に来てちゃんと授業を受けているのだろう。しかしここまで影を潜められると、かえって危なく感じるものだ。
 本当なら、誘ってきたあの女子生徒と一緒に科学室に行ってもらいたかったと新羅は思うのだが、きょとんとするや不満そうな静雄の顔を見ると、そんな事を言い出してはまるで空気が読めない奴みたいで、新羅は一緒に行くほうを選んだ。いつも静雄と二人っきりだったのに、それに女子生徒が混ざっているのがかえって新鮮で、新羅も少し面白くはあったのだが、それでも気が休まることは無い。危険な芽がどこに生えているかわからない。だからあのいやみったらしい顔を無意識に探してしまう。
「新羅くんは科学得意そうだね。ていうか勉強全般得意?」
「え? ……あ、うん。大体はそうかな。でも体育はちょっと……」
「えー。楽しいよ体育。ただ体動かすだけで5もらえるもん。お得だよ」
 言いながらが右手をパッと開いて、成績表に記される5を示した。運動神経がいい人特有の発言に、新羅は苦笑を浮かべるほかない。体育だけは、学力ではどうにもできないのだ。――とすると、は結構、運動が得意なのだろう。
「こいつ運動音痴だからな。ボール投げても全然とれねえしよ」
 体育だけ万年5の静雄が新羅を見ながらそうぼやいた。
「……君が投げるボールを受け取れる人はそうそういないんじゃないかな」
 新羅はいつも体育で静雄とペアを組み、そうしてもいつもあの底なしの体力に泣きを見る羽目になっていた。体育教師もそれに同情してくれているのか、いつも決まって成績表に2と3を交互につけてくれる。
 そうこうしているうちに、科学室についた。扉を開けると、クラスメイトの談笑が聞こえる。科学室特有の黒いテーブルが9台、3列ずつに分けて並べてあるが、そのうち後列のテーブルは殆ど埋まっていた。真ん中はまばら、前列はすかすかという有様で、静雄がかすかに聞こえるか聞こえないか程度の舌打ちをした。基本的に移動教室の席順は、自由と決まっている。なので教壇から遠い席ほど、すぐに埋まってしまうのだ。
「よし窓際の一番前にしよう」
 まだ誰も座っていないテーブルを指差しながらが提案するが、
「ぜってえ嫌だ」
 静雄が即座に突っぱねた。
「僕はさんに同意かな」
「何でまた」
 不満げにこぼす静雄のそばで、がふふん、とわざとらしく笑って見せた。
「先生ってあんまり、前列に気を配らないもんだよ。それに前列にいるほうが点くれるし」
 にやあっと笑うに、新羅が同調するようにうんうんと頷く。いつも後列に座っていたくせに、この手のひら返しはなんなんだ。と困惑する静雄だったが、が勝手に木製の椅子を3脚持ってくるので、静雄は仕方なく二人に従うことにした。
 テーブルの窓際側に静雄と新羅、その反対側に、という図である。うへえ、ひんやりー、と変な声を上げながらテーブルに頬ずりするを見て、新羅がさん汚くないの、と問いかけるのを静雄はぼうっと眺めながら、ふと黒板の横にかけられた時計を見た。授業開始まであと5分程度はある。
「思ったんだけどさ、このテーブル絶対埋まらないよねえ」
 がテーブルに頬ずりしながら、ぽつりと呟いた。言い終わると、くあ、と小さくあくびをする。静雄はきょとんと目を丸くして、新羅のほうをちらりと見れば、新羅もまた静雄を横目で見上げていた。確かになあと静雄は思う。校内一の不良で有名な静雄に、校内一の変態で有名な新羅に、半年近く入院して留年生になったである。この面子、普通の生徒なら寄り付かないだろう。
「なーんか忘れものとかないかなー」
 言いながらがパッと身体を起こして、テーブルに備え付けの引き出しを開けた。この引き出しは、前の授業で誰かがペンケースを入れっぱなしにしていたりと、結構忘れ物を見つけることが多いのだ。静雄も以前、どこぞのクラスの見知らぬ生徒のノートを見つけたことがある。その時はもう面倒くさくて、新羅に押し付けたのだが。
「あっ」
 が嬉しそうに声をあげた。
「ノート入ってる。お約束だー」
 ちょっとしたサプライズに、の顔が少し嬉しそうに綻んだ。新羅と静雄の視線が、の手元へ向かう。
「ほぉ。誰のだ」
 静雄が聞けば、がうーんと首を傾げる。
「モンタくん?」
 新羅が小さく噴出した。
「なに、そのマスコットキャラみたいな名前」
「いやいやそう書いてあるんだって。人の名前を笑っちゃあいけませんよ」
 そう言うの顔も、面白いものを見つけたかのようにきらきらしていた。
「フルネームは?」
 新羅が聞くと、は再度ノートの表紙に視線を落とした。
「えーとね、モンタ……きょーへーくん? かな?」
 もんたきょうへい。ぽつりとそう呟く静雄の横で、新羅は即座にその文字に漢字を当てはめた。すると、オールバックの友人の顔が、ぼんやりと浮かび上がった。
「何組って書いてある?」
 が学年とクラスを言う。新羅が思い浮かべた人物のクラスと一致していたので、すぐに合点がいった。だが静雄といえば首をかしげている。まだわからないのかと新羅は呆れた眼差しを静雄を向けたが、まあ静雄なら仕方ないだろうと一人で納得した。
 新羅がにノートを見せてくれと頼むと、はすぐに頷いてノートを差し出した。英語でキャンパスと書かれた水色のノートの下の名前欄に、黒い油性ペンで“門田京平”と書かれている。やはり門田のノートだ。だがその“門田”の文字の上に、誰かの悪戯だろうか、小さく“モンタ”と振り仮名が振られていた。シャーペンで書いたものらしく、表紙がへこんでいて消すこともできないのだろう。門田ならやられそうな悪戯だなと新羅は笑いを噛み殺しながら、静雄にノートの表紙を見せた。
「なんだ、門田のじゃねーか」
 静雄もようやっと合点が行ったらしく、乾いた笑いをこぼしながら、くっだらねえと呟いた。
「えっ、カドタくん? モンタくんじゃないの? 振り仮名ふってあるよ?」
「それ、悪戯だよ。多分」
 新羅がそう言うと、は腑に落ちた表情で、そっかーと小さく呟いた。フツーに考えればありえない読み方だもんねえ、なんて言いながらうんうんと頷いている。
「もしかしてさんて、騙されやすいタイプ?」
「そそそっ、そんなことはないよ!?」
「あっあそこにウサギが!」
「えっどこ!?」
 新羅が指差したほうをすぐに振り返るものだから、新羅は机に突っ伏した。こみ上げてくる笑いをひたすら噛み殺す。ややあって、向かい側のから、ぐぎぎと悔しそうな呻き声が聞こえてきた。
「……おい新羅、ウサギなんていねーじゃねーか」
 残念なことに、隣の席に座る静雄も、同類だった。
 数秒後に、騙しやがったなと怒る静雄のデコピンが新羅の額に炸裂するのだが、笑いを噛み殺すのに精一杯な新羅は、そんな事は予想すらしなかった。


 授業が終わってもなお痛む額を押さえつつ、新羅は廊下の喧騒に目を細めた。昼食をとるための飲み物を買いにいく生徒や、購買に向かう生徒、職員室へ用がある生徒でごったがえしている。いつもはなんとも思わない生徒の騒ぎ声も、静雄のデコピンを食らってガンガン痛む頭にはひどく堪えた。
「大丈夫?」
 職員室の前にさしかかった頃、隣に並んで歩くが心配そうに尋ねてくるので、新羅は苦笑を浮かべた。
「なんとかね。それに慣れてるから」
 新羅の言葉に、不満そうにが口を尖らせた。そうして静雄を見上げる。の不満そうな、責めるような視線から逃れるように、静雄がそっぽを向いた。やや間を置いて、騙すほうがわりぃんだ、と言い訳じみたことをぼやく。静雄は到底ごめんなさいと口にするわけでもなさそうだし、新羅は慣れていると言った。いつものことなんだろう。は気にしないことにして、静雄から視線をそらした。
「二人とも、お昼、昨日のとこで食べるの?」
 昨日のとこ、というのは、静雄の席の角のことだ。静雄も新羅も、クラス内で浮いている自覚があったため、できるだけ迷惑にならないよう角の席を二つ借りてくっつけ、そこで昼食を済ませていた。クラスメイトもそれをわかっているようで、自然と二人を避けてくれる。傍から見れば悲しい光景だが、二人からすればありがたい気の使われ方だった。
 静雄と新羅は顔を見合わせたあと、小さく頷いて見せた。
「お前は?」
 静雄が問い返す。といえば、始業式の次の日から、静雄と新羅とは別のグループに混ざって昼食を食べていた。誘われた手前、断れないのだという。まあそのほうがいいだろうと静雄も新羅もわかっていたので、昼食に誘うような真似はしなかった。
「ちーちゃんとこに混ざろうかと思ったんだけどね、今日は趣向を変えて二人とご飯を食べてみたいなって」
 ぐっと握りこぶしを作る。ちーちゃんって誰だ、と首をかしげてはてなマークを浮かべる静雄をよそに、新羅はそっか、と笑った。
「楽しくないと思うけど、それでもよければ」
「とんでもない。混ぜてもらえるだけでも有難いよ」
 ぶんぶんと首を振ってが謙遜する。悪い気はしなかった。それじゃあ早く戻ろうか、と新羅が言おうとした瞬間、どこからともなく、と呼ぶ声がした。が振り返る先には、担任教師が立っている。
「暇だろお前、ちょっと手伝え」
「えー今からご飯なのにー!? いいですよー」
 不満そうな声をあげたのち、けろっと笑って担任教師の方へ向かう。そのまま職員室に入っていくので、静雄と新羅は顔を見合わせ、とりあえずの後に続いて職員室に入った。
 静雄が入ってくるなり、何かまた問題を起こしたのかと、昼食をとっている教師の目が静雄に向いたが、幸い静雄はそれに気づかなかった。といえば窓際近くの担任教師の机の側に立っている。
「これをな、教室に運んで欲しいんだよ」
 そう言って、担任教師が椅子に腰掛けながら、机の側に詰まれた3つのダンボールを足で軽く蹴った。とたんにがうげっと呟く。
「な、何入ってるんですこれー……」
 しゃがみこんでダンボールの蓋を開け始める。静雄が首を傾げながらダンボールの中身を伺うと、何か分厚そうな本がたくさん入っているのがちらっと見えた。
「歴史の資料集。朝配るのすっかり忘れちまってな」
「あのう、これを一人で持てってことですか」
「もてねーのかお前」
「もももももてるわけないでしょう!!」
 くきーっとわめきだすのを、担任教師が笑いながらなだめた。そうして静雄と新羅に目を向け、やや思案げな表情のあと、ちょいちょいと手招きする。呼ばれたからには無視するわけにも行かないだろう。静雄と新羅はすぐにそちらへ向かった。
「平和島、手伝ってやってくれよ」
 静雄がきょとんと目を丸くする。こういう風に頼られたのは初めてのことだった。えーと、と逡巡する静雄が口を開くよりも先に、が恨みがましそうな視線を担任教師に向ける。
「まあ、いいですよ。運んでも。ええ運んでやりますよ。ただしその机の上にある美味しそうなまんじゅうをください」
 ふんと鼻息を荒くして、机の上にある箱を指差した。箱の仲には、茶色の一口サイズの饅頭が綺麗に並べられている。饅頭の包装の一つ一つに“水戸”と書いてあった。恐らく、誰かの土産品だろう。
「何様だよお前。目ざとい奴だな」
 担任教師が笑いながら右手を振り上げ、がひいっと奇声を発しながら身をすくめた。そのまま軽くはたかれる。
「めっ、目ざとく生きろ、と母に言われていますので」
 乱れた髪を直しつつ、が言うと、仕方ねえなあと教師が笑いながら、饅頭を3つ手にとってに渡した。の顔がぱあっと明るくなる。他の奴には秘密だぞ、と教師が付け加えるので、は何度も頷いてみせた。いそいそと制服のポケットに詰め込む。
「なあ、明日席替えしようと思うんだが、お前らは何がいい?」
「えっ」
 静雄が声を上げるそばで、新羅は目を丸くしていた。
「もう席替えですか? ちょっと早くないですかね」
「こーいうのは早いほうがいいだろ」
 早いほうがいいのだろうか。静雄は首を反対方向に傾げる。
「私としてはそうだなー。くじ引きとかあみだくじも楽しいけど、自由に選ぶのがいいなあ。もう高校生活もあと1年で終わりだし、みんな自由にやりたいんじゃないかなあ」
 が答えると、担任教師がんんんーと思い悩み始めた。
「だよなあ。おまけにくじ作るのめんどくせえんだよなあ……でも自由に決めるってなるとさ、もめるだろ」
「ああ百パーもめますね。でも仕方ないんじゃないですか。二人はどう思う?」
 いきなり話を振られ、静雄と新羅は固まった。実のところ、あまり席替えにいい思い出の無い二人だった。くじびきで決めるにしろ、自由に席を決めるにしろ、どちらもいい方に転ぶとは思えない。でもくじびきで席を決めるか、自由に席を決めるかどっちがいいと聞かれれば、断然後者だ。
「俺は、自由に決めるほうがいいっす」
「僕も静雄くんと同じ意見です」
 その返事を聞いて、担任教師がむっつりと黙り込んだ。ややあってから、そうか、と頷いた後、もう行っていいぞ、と言いながら追い払うようなジェスチャーを見せる。
 よし、と意気込んでがダンボールの上に手にしていた教科書やらを乗せた。よっ、と声を上げて持ち上げる。
さん、教科書、僕持つよ」
「ありがとー」
 新羅がダンボールの上から教科書を取った。器用に自分の教科書と重ね、胸に抱える。
「そういや、五代とかとは連絡取ってんのか」
 いきなり担任教師に問いかけられ、一瞬だけ、の動きが止まった。
「とってないです、残念ながら」
 へらっと笑みをこぼす。傍で会話を聞いていた静雄は、五代ってなんだ、とまたまた反対側に首をかしげていたが、新羅は眉をひそめての表情を伺った。教師の口調と話の流れから察するに、以前のクラスメイトの名前だろうと憶測をする。この微妙な空気、何かあったのだろうか、と新羅は思ったのだが、首を突っ込むことではないだろうとかぶりを振った。
「新羅、俺の教科書持ってくれ」
「うん」
 静雄が半ば押し付けるようにして新羅に教科書やらペンケースを渡すと、新羅は素直に頷いた。静雄はダンボールの側にしゃがみこんで一気に2つ持ち上げると、それを見た担任が、おお、と心底から驚いたような声を出した。
「帰り配るからな、教室の隅にでも置いといてくれ」
「うっす」
 適当に返事をして歩き出す。前方と足元が見づらいが仕方ないだろう。職員室のドアをどうやって開けようかぼんやり考えていると、新羅が入り口に立ってドアを開けたまま待っていてくれているのが見えた。素直に有難い。
 廊下に出ると、新羅がドアを閉めた。少し先にが歩いているのが見える。ダンボールを抱えなおしながら、重たそうに歩いている姿は、少し危なっかしく見えた。静雄が隣を歩く新羅を見れば、腕に三人分の教科書やらを抱えている。実に楽そうなのだが、いつもへらへらしている顔とは違い、妙に真面目な顔つきで、辺りの様子を伺っている。
「新羅? お前さっきからキョロキョロしてっけど、なんかあったのか?」
「へっ!? ……ああ、いや」
 なんでもないよと付け足して、新羅は窓の外に目を向ける。少しおかしいと静雄は思ったが、新羅がおかしいのはいつもの事なので、気にしないことにした。
 階段をのぼり、しばらく廊下を歩いた先、静雄たちの教室に黒板側のドアから入れば、先に着いたが教壇の上にダンボールを置いていた。
、それ隅っこに置いてくれって言ってた」
 言いながら、静雄は明かりのスイッチがある角に、積み重なったダンボールをそのまま置いた。新羅といえば、各々の席に預かった教科書やらを置いて周り、自分の席からカバンを取ってきて、静雄の席に向かっていた。
「あ、そかそか」
 納得したように頷いて、がダンボールを持ち上げようとする。
「そのままにしてろ。俺運ぶから」
 慌てて静雄が声をかけると、はわかったー、と教壇から離れた。そのまま自分の席に向かう。カバンを持ち、中央の後ろの女子の一角に向かい、が声をかけた。ちーちゃんごめん、今日静雄くんたちと食べるよ。その声にピシッと教室内が固まった気がするのは、おそらく気のせいではないだろう。ずいぶんとアレな態度だなあと思いつつ、静雄はダンボールを持ち上げて、二つ重ねたダンボールの横に置いた。そのまま重ねてもよかったのだが、見たとこなんとなく安定感がなさそうで、崩れたときに面倒なことになりそうだったから重ねるのは諦めた。とぼとぼと自分の席に戻りながら、やってはいけないことだと思いつつ、耳をそばだてる。
 の言葉にきょとんとしたのち、そっかあと声を上げたショートカットの女子が多分ちーちゃんだろう。勇気あるねえ、とちーちゃんの隣に座る生徒がしみじみと言うので、はまるで褒められたかのようにえへへと笑って見せた。そうして周りの女子生徒と二言三言会話して、静雄の席へとやってくる。新羅が机をもう一つくっつけようとするよりも先に、が隣の席から椅子を拝借してきた。二つくっつけた机の真ん中の脇に椅子を置き、そこにが座るような形になる。
 いそいそと弁当を出すをきっかけに、新羅と静雄も弁当を出した。静雄はそれに付け加え、菓子パン2つだ。
「静雄くんそれ全部食べるの?」
「おう」
「すごいなあ……成長期だねぇ」
「あのねさん、もうこの歳じゃそういうのは終わってるからね」
 とは言ったものの、静雄の場合はどうだかわからないな、と新羅は苦笑した。高校に入学したての頃と比べると、静雄の力は増していると言ってもいい。おまけに流血することも、少なくなった。たとえ怪我をしても、傷口をちろっと舐めてほっとけば治ると突っぱねる静雄の手当てなんて、ここ数ヶ月間した覚えがない。最近は殆ど臨也の手当てばかりだ。
 思い出に耽りかけていた新羅だったが、いただきます、と両手を合わせる静雄とにはっと意識を引き戻され、一拍遅れて新羅も両手を合わせた。箸を手にし、見てくれがあまりよろしくないおかずを口に放り込む。新羅の弁当は同居人のセルティのお手製だ。セルティは首から上がすっぽりなくなっている存在なので、味覚そのものがわからず、見た目はまともでも味はなかなか衝撃的な料理を作るのが得意だ。数年前に比べ、味は格段に良くなってはいるものの、料理下手という部類に入るだろう。けれども新羅が美味しそうにそれを頬張るのは、ひとえに“セルティが作った”という事実があるからだ。
「さて」
 が声を潜め、ほんの少しだけ身を乗り出した。その顔はニヤニヤと笑っていて、まるで面白い悪戯を思いつきましたと言わんばかりだ。
「明日の席替えの話をしようじゃあないかね」
 どこぞの刑事ドラマの悪者っぽく言うものだから、新羅は箸を口で食んだまま黙り込み、静雄はご飯を口に運ぼうとした体制で固まっている。
「いや、……え? もしかして二人とも、あんまり興味なし?」
「どっちかっつーと、なあ」
 静雄が曖昧な返事をこぼしつつ、もぐもぐとご飯を咀嚼する。口に入れたものは30回以上噛まないと気がすまない静雄だった。そんな静雄の向かいに座る新羅は、うーんと考え込み、ややあって口を開く。
「正直なところ、僕にしろ静雄にしろ、そういうのには無縁な学校生活を送ってきたんだ」
「うわっ、いきなり悲しい話を持ち出された」
「はは。だからさ、僕的には、余った所でいいんだよ」
 むう、と不満げに口を引き結ぶだったが、しばらくしてぽつりと、納得いかん、と呟いた。
「3年生ですよ? もう高校生活終わりですよ? 二人とも、近くの席に座りたいとか思わない?」
 しばらく無言になる。
「……あっ、そうですか。これっぽっちも思わないんですか……そかー……」
 おそらくこの無言の空間に堪えることができなかったのだろう。消え入りそうな声では言うと、ややしょんぼりした様子で、から揚げを口に運んだ。あまりにも落胆するものだから、静雄はんー、と考え込んだ末、咀嚼中のご飯を飲み込み。
「いやー、考えたことはあるけどよ。なんつーかさ、こえーんだよ」
「えっ、なにが」
 驚くのそばで、新羅もまた目を丸くしていた。人から恐れらるあまり影でバケモノ呼ばわりされているあの静雄が怖いと言っているのだ、そりゃあ驚くだろう。そんなバケモノ静雄といえばひどく言いにくそうにあたりに視線をめぐらし、そうしてぽつりと。
「女子の勢いが」
 きょとんとするだったが、新羅はああと納得した。くじびきなら運で決まるのでそういった事はないのだが、席を自由に決めるとなるとまず我先にと行動力のある女子生徒が突進し、そして余った席を余った生徒がのんびりと取り合うような形になる。静雄も新羅もいつも決まって、席を取るのは最後の最後だ。それゆえに嫌な顔をされることはしばしばあったが、それももう慣れてしまえばどうということはない。ただぼーっと席が埋まるのを眺め、あまった席に座る。それだけだ。わざわざくじびきで一喜一憂するよりはましである。と新羅は思うのだが、もくもくとご飯を食べている静雄はどうだかわからない。
 ごくんとご飯を飲み込んで、静雄が口を開く。
「なんかスーパーのタイムセールの主婦みたいになるじゃねーか。あれには近寄れねーなと思ってさ」
「ああ、そかそか……」
 も腑に落ちたのだろう。小さく笑った。
「二人とも気負わず自由に席取ればいいのに」
「もともとそういうのには向いてないんだよ」
「その発想はいかんよ。実にいかん。というわけでいきなりですが提案です」
 こほんとわざとらしく咳払いして、が机の中央にとんっと人差し指を突いた。二人の視線がの指に集中する。
「どこでもいいや、静雄くんが席を取るでしょ。その周りにね」
 とんとんと指をついたのを中央として、その上下左右を上から順に指で示す。
「上下左右どこでもよし、私と新羅くんが座る。どうよ?」
 新羅と静雄は互いに顔を見合わせた。それから再度、の指を見据える。そうして、先に沈黙を破ったのは新羅だった。
「あのさ、さん」
「うん?」
「どうして僕らにここまでしてくれるのかな」
 何かしら、裏があるんじゃないかと新羅が疑った末の発言だった。新羅の今までの人生の中で、静雄や新羅に近づく生徒は大抵、何かしら利を求めて近づいてきた者ばかりだ。経験上、もその類だと疑うのは当然だろう。自分と一緒くたにしたら静雄は怒るだろうかと新羅はちらりと静雄を伺ったが、向かい側の席に座る静雄は珍しく神妙な面持ちで、特に何も言わずに菓子パンの袋を開けている。はむっとかぶりつくのを見る限り、まだ沸点には達していないようだ。
 新羅としては他にも聞きたいことがあったが、これ以上発言をしてしまえば静雄はいつしかブチ切れてしまうだろう。新羅は口を閉ざしての返答を待つ。弁当箱に視線を落としたは、ブロッコリーを口の中に放り込み、ゆっくりと咀嚼しはじめた。やや間をおいて飲み込んだ後。
「わかんないや。しいて言うなら、なんとなく?」
 最初、回答を誤魔化すためにそう答えたのだと新羅は思ったのだが、うーんと唸っている姿を見ると、意外と本心なのかもしれない。
「……まあ、去年、静雄くんと会ってなきゃ、二人に話しかけてなかっただろうしねえ。これ言うのも難だけど、静雄くんも新羅くんも、あんまりいい噂聞かないしさ」
 が苦笑する。
「まあそのあれだ。運命とかそういうのじゃないかな」
「はは、運命て。さんて意外とロマンチスト?」
「そういうわけじゃないけど……流れに任せて、なるべくしてなった、みたいなやつかな」
「なんだそりゃ」
 静雄が呆れたように呟いた。
「世の中には、こう、ドワーッと大きな、抗えない流れがあるらしいんですよ」
「らしいって、ずいぶんと曖昧だね」
「まー人から聞いた話だし。でも、自分じゃどうしようもできない事ってあるよねえ」
 しみじみと言いながら、レタスを頬張る。それからふと気づいたような顔をして、ごくんと喉を鳴らしたあと。
「なんか、話が変な方向に行ってませんかね」
「ああ、ごめんね。僕のせいだ。それでなんだっけ、席替えの話だったか」
「そうそうそれそれー。二人はどうですか? って話ですよ」
 新羅はとりあえず、今のところ、疑ったりするような真似はよしたほうがいいかもしれないとそう結論付けた。事が起きてから動くのは新羅としては嫌だが、見たとこは単純だ。お世辞にも、そこまで知恵が回るようには見えない。そういう変化にすぐに気づけるだろうと判断した。
「いいよ。面白そうだ。静雄は?」
「あ? あー……っと」
 ひどく曖昧にぼやき、それからしばらくして、うん、と小さくうなずいて見せた。予想通りの反応に、新羅が目を細めておかしそうに笑うと、静雄が拗ねたように睨んできた。静雄は好意を向けられるのに慣れていないから、こういう事には滅法弱い。それに加えて、の話し方や無条件に楽しそうな表情は、静雄に対し、他の選択肢を考えさせないだけの力があった。
 やったーと嬉しそうに笑うは、およそ裏がないように見える。本心からこういう話を持ち出してきたとなると、あまり利口な選択とは新羅には思えなかった。始業式の日、担任教師がに対し「こいつはバカだからな」と楽しそうに話したのを思い出す。確かに、ごちそうさまーと手を合わせ弁当をしまったあと、ぶしつけに静雄に菓子パンをねだる姿は、利発そうには見えない。とはいえ静雄並のバカでもなさそうだ。変わり者と評したほうがいいかもしれない。
「ちぇー。静雄くんのケチー。一口くらいいいじゃんかー」
「これは俺の金で買ったんだ。誰がやるか」
「静雄くんのけちんぼ。やーいやーいけちんぼ。けちんぼ静雄ー」
「怒るぞ」
「すいませんでした」
 静雄に凄まれ、何かを察したのか、がすぐに頭を下げた。ごちそうさまと手を合わせていた新羅も、静雄の声に一瞬肝を冷やしたが、静雄が怒り出すことはなかった。2個目の菓子パンに手をつけ始める。それを、が恨めしそうに見やり、静雄にしっしっと手で払われ、ぶつくさと文句を垂れながら、カバンから財布を取り出した。
「飲み物買ってくるー」
「あ、さん。僕も行くよ」
 新羅もちょうど飲み物を買いに行こうとしていたところだったのでそう申し出ると、が嬉しそうに笑った。
「新羅、牛乳買ってきてくれ」
「僕はお前のパシリじゃないんだけどなあ」
「じゃあ、頼む」
「いいよー」
 えっいいの? と新羅が聞き返すよりも先に、が鼻歌交じりに教室を出て行く。ほら行けよ、と静雄に促され、新羅は妙に納得しない気持ちを抱えたまま、の後を追いかけた。と並んで歩いてると、同学年からの視線が妙に痛く感じられたが、はさして気にした様子なく、楽しそうに鼻歌を歌っている。
さんって、意外に図太い?」
「おう。骨太だぜ」
 なんだかよくわからない答えが返ってきたので、新羅は笑って受け流した。その後は会話もなしに廊下を進み、階段を下りて、一階の事務室前まで向かった。自販機は事務室の傍においてあるのだ。
 有名な某清涼飲料水のロゴが描かれた赤い色の自販機と、それより一回り小さ目の何も描かれていない白い自販機、計2台が並べられている。赤い自販機のほうは缶コーヒーやペットボトルのお茶、スポーツドリンクなどが入っているが、メーカーの看板商品である炭酸ジュースなどは入っていない。白い自販機は、紙パック製品が主で、牛乳やコーヒーやらコーヒー牛乳やらフルーツ牛乳といったまともな飲み物から、飲むゼリーや誰が考えたのかセンスを疑うようなオレなど結構ゲテモノが揃っている。
 2年生だろうか、女子生徒と男子生徒が数人、談笑しながら順番待ちをしていた。この時間の自販機は混むから仕方ない。
「新羅くんはお茶?」
「うん。さんは」
「ぎゅーにゅー」
「……それは静雄に頼まれたやつだろ?」
「いや、ぎゅーにゅー。安くてオイシイ!」
 がにししと笑ってみせる。これはいよいよ利口そうに見えないな、と新羅は苦笑した。
「他のは100円なのに、ぎゅーにゅーだけ80円。400円出して五本買えるからね、やっぱぎゅーにゅーが至高にして究極だよ」
「力説してるとこ悪いけど、さん、前空いたよ」
「あっほんとだ」
 紙パックの自販機はあまり人気がないので並ぶ人も少なく、あまり待たなくてもすむ。メロディーが定かではない鼻歌を再開しつつ、が財布から100円硬貨を取り出した。自販機に入れるが、カラコロと音を立てておつりとして出てきてしまう。この自販機は少し反応が悪いので、入れた硬貨が戻ってくるのはごく普通のことだった。それがなおさらこの自販機の人気のなさに拍車をかけていた。
 が再度硬貨を投入するが、また戻ってきてしまう。ぐぎぎ、と悔しそうに唸って、再度投入するが、またカラコロと戻ってきてしまう。
「新羅!」
 聞きなれた声がして、新羅の肩がびくっと震えた。あたりを見回せば、昇降口のほうの階段から、ずいぶんと楽しそうな様子の臨也がやってくるのが見えた。
 これはまずいんじゃないか。新羅は口元が引きつるのを感じつつ、やあ、と臨也に声をかけた。
「姿見かけなかったから、てっきり学校に来てないのかと思ったよ」
「あのね、俺だっていちいちお前らに顔出せるほど暇じゃないの。新学期始まったばっかだし、忙しいんだよ」
 そう言って臨也は新羅の後ろに並んだ。新羅の前に立った男子生徒が飲み物を買いそそくさと立ち去ると、新羅は自販機に硬貨を入れた。瞬間、臨也の腕が伸びるのが見えたので、なけなしの反射を駆使して、お茶のボタンを押す。そうして出てきたのは、新羅が選んだお茶だった。臨也が選んだのは、おしるこドリンクと銘打った、およそ誰が買うのかわからないゲテモノ飲料だった。
「ちぇ、つまんないなあ」
「あのねえ、毎度毎度こういう悪戯、やめてもらえないかな」
「はいはい」
 聞いているのかいないのかわからない返事をして、臨也がウォレットチェーンに繋がれた長財布をポケットから出した。硬貨を入れて、どれにしようかなー、と迷っている。その隙に、新羅はちらりと隣のを伺った。見ればしゃがんで自販機から牛乳を取り出しているところだった。もう片手にも牛乳パックを手にしている。ちゃんと2つ買えたのだろう。
「ねえねえ、シズちゃん元気ー?」
「へっ? ああ、うん。すこぶる元気だよ」
 新羅が回答するのとほぼ同じタイミングで、が器用に片方の牛乳パックにストローをさした。口をつけてちゅーっと吸い始める。話が長引きそうだから、暇つぶしに牛乳を飲んで新羅を待とうと思ったんだろう。新羅としては先に教室に戻ってほしかったが、そうもいかないのが現実だ。
「へえ、元気なんだ」
 すうっと肝が冷えるような声だった。臨也が自販機のボタンを押す。新羅と同じお茶だった。ガコンと音を立てて空き缶が落ちたのを合図に、臨也が身をかがめてお茶を取り出した。
「さっさと死なないかなあ」
 事も無げといった風に呟き、そうして新羅に笑いかける。
「あんまりさ、そういう事、言わないでくれよ」
「シズちゃんがこの世からいなくなったら言わなくなるんじゃないかな」
 そうして、今気づいたといわんばかりの視線をに向ける。がストローを銜えたまま、目を丸くした。まずいんじゃないかと新羅は思ったが、臨也といえば、が今飲んでいる牛乳パックを見た後、もう片手に持っている牛乳パックを見て、小さく噴出した。
 気のせいではないかと思いたかったが、今のはどう見てもの姿を見て笑ったのだろう。
「じゃあね新羅」
「……ああ、うん」
 臨也が鼻歌交じりに、昇降口のほうの階段へ向かう。ずいぶん機嫌がよさそうだなと新羅がほっと胸をなでおろすと「牛乳2パックとかどんだけ飲むんだよ、うけるー」なんて馬鹿にしたような臨也の声が廊下に響いた。
 ややあってから。
「新羅くん」
 新羅があわてて振り返り、に詰め寄った。
さんごめんほんとごめんあいつの代わりに謝るよごめん」
「ああいや、そうじゃなくて。折原ー……、えっと、折原くんだよねアレ」
 折原と伸ばした後に小さな声で、なんだっけ、と呟いたのが聞こえたが、新羅は突っ込まなかった。学年が違えば、そのくらいの知名度なんだろうという事を新羅はわかっていたからだ。
「うん」
 新羅が頷くと、は無表情に臨也の消えた方向を見て、フンと鼻を鳴らし、
「感じ悪いなあ」
 と、不快そうに呟いた。
「静雄くん待ってるかもしれないし、戻ろっかー」
「……ああ、うん」
 さして気にした様子なく、が来た道を戻るので、新羅は慌ててそれに続いた。
 の隣に並びながら、新羅は考える。あの楽しそうな臨也の様子から察するに、恐らく臨也は静雄がと仲良くしているのに気付いていない。でなければあんな反応はしないはずだ。新羅は視線を落とし、の足元を見た。の上履きは、新羅の上履きの色とは違う。もしかしなくとも、上履きの色が違うことに救われたのかもしれない。いくら情報通の臨也だって、全校生徒の顔を覚えているわけじゃない。留年生がいるのは知っているだろうが、顔は知らないはずだ。を新入生だと勘違いしたんだろう。
 教室に戻ると、静雄がちょうど菓子パンを食べ終わる頃だった。は何事もなかったかのように、静雄に牛乳パックを渡した。
「おお、サンキュー。これ金な」
 そう言って静雄がにちょうど80円を渡した。受け取ったは、うんと頷いて財布にそれをしまう。
「そういや、モンタくんのノート、返しに行かないと」
 今更思い出したようにが言うので、新羅はぎょっとした。にノートを返しに行かせたら、どうなるかわからない。
「いいよ僕が行くから。ていうかモンタ君じゃなくてカドタ君だからね」
 そう申し出ると、はやや不思議そうに首を傾げた。自分の申し出に何か違和感でも覚えたのかと焦った新羅だったが、そういやカドタくんだったねえ、とがしみじみ笑うので、そっちか、と呆れつつも、半ば安堵する新羅だった。


 放課後、新羅は帰る支度をした後、たった一人で門田のクラスへ向かった。手にはもちろん、門田のノートを持って、である。
 新羅や静雄がいるクラスは東校舎にあり、門田やあの臨也がいるクラスは西校舎にある――つまり、ほぼ正反対に位置していた。静雄と臨也を引き合わせたら何が起こるかわからないので、クラス替えの際に教師が二人をできるだけ引き離そうと目論んだのだろう。その目論見は今のところ成功しているともいえる。静雄はまだ問題を起こしていないからだ。
 西校舎はグラウンドに面しているので、常に日差しが差し込み、明るい。昇降口などがほぼ望めるが、外から丸見えということもあって、ベランダはない。対する東校舎は日陰にあるので、常に暗いが、ベランダがついている。どちらも一長一短と思える絶妙な造りだ。
 に途中まで一緒に帰ろうと誘われた手前、新羅はモタモタしていられない。は静雄と一緒に昇降口で待っているはずだ。何かしら問題が起きなければいいなと思うと、自然と早歩きになった。
 門田の教室の前まで来ると、ドアは開いていた。教室の中を覗き込むと、まばらに残った生徒の仲に、席に座って談笑に混じる門田の姿が見えた。臨也の姿は見当たらない。
「門田君」
 新羅が名前を呼ぶと、門田が顔を上げた。きょとんとしたのち、静かに立ち上がってこっちにやってくる。
「岸谷か。どうした」
「これ、君のだろ」
 ノートを差し出すと、門田が目を丸くした。
「ああうん、俺のだ。探してたんだよ。岸谷が見つけてくれたのか?」
「違うよ。このノート見つけた人は君の顔がわからなかったからね、僕は代理で返しにきたんだ」
 嘘も方便だ。
「そうか。わざわざ届けてくれてありがとな」
 人当たりのいい笑顔を浮かべるものだから、釣られて新羅もわずかに表情を緩めた。門田はあまり口数が多いほうではないが、いつもどっしり構えているせいもあってか、妙に頼られやすく、気づけはクラスの真ん中にいるような人物だ。しかし、それを鼻にかけることがない性格なので、門田を苦手だと言う生徒はほぼ皆無どころか、むしろ門田はクラスという枠に収まらず学年の中で人気者だった。新羅のクラスの女子も、ときおり、門田の話題で騒いでいたりする。
「静雄は元気か」
 昼休みにも別の人物に聞かれたことを思いだし、思わず苦笑してしまう。
「静雄の様子を聞くのって、このクラスのブームなのかな」
「ん?」
「いやこっちの話。気にしなくていいよ」
 乾いた笑いをこぼす新羅をじっと見て、合点が行ったようにははあと門田が唸った。
「臨也か」
「ご名答だよ。静雄はほんと人気者だね、全く羨ましくないよ」
 そう言って新羅は肩をすくめると、今度は門田が苦笑した。
「元気だよ。ごくごく普通に……うん、普通かな」
「そうか」
 ほっとしたように門田が呟く。門田はこの学校では珍しく、静雄と仲良くしてくれる数少ない生徒だった。クラスが違うとはいえ、気にかけてくれる存在がいるのといないのでは大分違うものだ。静雄は結構な幸せ者だろう。
「臨也は?」
「職員室に行ってる。すぐに戻ってくると思うけど、あいつになんか用でもあったか?」
「いや。ちょっと気になって」
 今はあまり臨也に合いたくないのが、新羅の本音だった。
「もう帰るのか」
「うん。下で人待たせちゃってるから」
「――人? 静雄と帰るんじゃないのか?」
 しまったと新羅は内心ひとりごちた。ここは静雄を待たせているからと言うべきだった。墓穴を掘ったと後悔する。それが新羅の表情に出ていてしまったようで、門田は不思議そうに眉を寄せたものの、そうか、とそれだけ言って、新羅を問い詰めるような事は言わなかった。
「それじゃあ」
「ああ、ま」
 またな、と言うつもりだったのだろう。門田が言い終わるよりも先に、小走りで廊下を走ってきた男子生徒が嬉々とした表情で教室に飛び込んできた。新羅の肩にぶつかったのに、謝りもしない。門田が無表情に彼を振り返り、おい、と声をかけようとするよりも先に、男子生徒は門田の姿を見るなり、ひどくはしゃいだ様子で。
「おい門田、おれ今下でよ、すっげーの見た!」
「は?」
 テンション高めに捲くし立てるものだから、門田は若干身を引いた。新羅といえば嫌な予感がしてならなかった。静雄は嫌でも目立つ。も、どちらかといえば目立つタイプの生徒だ。そんなのが二人そろっていたらどうなるか。やはり、教室で待たせていたほうがよかったかもしれないと後悔するが、後の祭りだ。
「まあそう引くなって。お前も絶対驚くだろうから。いま事務室に行ってきたんだけどよ、昇降口であの平和島とさ、下級生の女の子がな、楽しそうに騒いでんの!」
「はあ?」
 門田の声が大きくなった。怪訝そうに首をかしげる門田の様子など気にも留めず、これがまた可愛い子でさーと男子生徒は話を続ける。まずいと瞬時に悟った。
「門田君、僕もう行くから」
「えっ!? あ、ああ。またな」
 門田が言い終わる前に、新羅は踵を返した。小走りで廊下を駆け抜け、西校舎の階段を降り、昇降口に出る。の叫び声がして、新羅は内心舌打ちをした。棒立ちになっている生徒や、興味しんしんと言った感じで様子を伺う生徒をかきわけ、3年生の下駄箱が並んだ列へ向かう。
「かーえーしーてー! まんじゅうかーえーしーてー!!」
「これは新羅のだっつってんだろ」
 そこには、さながら小学生かと思うような稚拙なやり取りが展開されていた。己の長身を巧妙に使い、右手を掲げる静雄のそばで、手を伸ばしながらぴょんぴょんとがジャンプしている。静雄の右手には昼休み、担任教師がくれたあの水戸まんじゅうが握られていた。静雄が手を左右に振るたび、の身体も左右に移動する。静雄は靴を履き替えていたが、は上履きのままだ。ちなみに、二人が立っている場所はざらざらしたタイル張りのいわゆる“タタキ”と呼ばれるところだ。上履きで出てはいけない場所である。
 バカなのかな。いやこれはバカ以外の何者でもないな。新羅は口元をひくつかせながら、とりあえず上履きを抜いだ。自分の名前が記された下駄箱からローファーを出し、入れ替わりに上履きを突っ込んで、乱暴に蓋を閉める。靴を履くと、それに気付いた静雄が動きを止めた。釣られての動きも止まる。
「しっ、新羅くーん、静雄くんがー! 静雄くんがあー!」
「あってめっ何新羅に助け求めてんだ!」
「……これはどういう事なのかな」
 静雄を見ながら問いかければ、静雄は開いた片手でぽりぽりと頬をかいて。
「こいつ、昼休みにまんじゅう貰っただろ。三個貰ったんだ、普通は人数分だと思うだろ。それをな、一人で全部食おうとしてたから」
「ちょ、ちょっとした冗談だってば! なんでそんな事もわかんないかなあ!!」
「わかるわけねーだろ」
 気がつけば、新羅の口から大きな溜息が出ていた。
「ああわかったもういいや。早く帰ろう。今だから言うけど君たちすんごい目立っちゃってるからね」
 そう言ってやっと、周りが見えたのだろう。静雄がピシッと固まり、は顔を赤くして静雄の後ろに回り込んだ。
「とりあえずね、上履き履き替えて。汚いから」
 新羅はあえての名前を呼ぶのを避けた。
「すっ、スミマセン……」
 とぼとぼと下駄箱の方に戻り、ローファーを取り出し、上履きをしまう。トテトテと移動し、しゃがみこんでタイルの上にローファーを置いて靴を履くと、あははと照れくさそうに笑いながら戻ってきた。
「さて、行きますか」
「そうだね」
「ほらよ新羅。まんじゅう」
 静雄にまんじゅうを手渡され、新羅は苦笑を浮かべるほかなかった。別にいらないんだけどなあという言葉は飲み込む。静雄が歩きだすのをきっかけに、新羅もも足を踏み出した。
さん、外出たらできるだけ静雄の影に隠れて」
 新羅は先を歩く静雄にばれないようににこっそり耳打ちすると、が驚いて新羅の顔を見た。
「どうして?」
 小さな声で問われる。
「その方が多分、いいと思うんだ」
「……もしかして、静雄くんがらみ?」
「うん。詳しくは後で話すから」
「わかった」
 神妙な面持ちで頷いた後、何事もなかったかのように小走りで静雄の隣に並んだ。新羅も慌てて追いかける。
 昇降口を出て、アスファルトで舗装された道を歩く。
「静雄くんは少し早とちりなところ、直した方がいいと思うよ」
「お前に言われたかねえよ。嘘吐きは泥棒の始まりって言うだろうが」
 自分で言うのも何だが、あんな事を打ち明けられた割に、普通に静雄と接しているに、新羅は少し驚いた。普通なら気になってあまり話が進まないと思うものだろう。しかしたかだかまんじゅうで静雄とあんな恥ずかしいやり取りを繰り広げてしまうのだ、案外気にしていないのかもしれない。とはいえ静雄も静雄だ、よく怒らなかったなと感心してしまう。
 新羅は二人と会話をしながら、ちらりと西校舎を盗み見た。門田のクラスの窓際に、数人立っているのが見える。その中にあの門田は混ざっているのか気になったが、いくらメガネをかけた新羅でもそれを判断する事は出来なかった。

2011/12/02
2011/12/05 修正