※平和島家に家族が増える話の蛇足的な話です
静雄と臨也の女子力がべらぼうに高いので注意
「……静雄?」
トムさんの声で、ふと、現実に引き戻された。
「どうした、寝不足か?」
「あ、いえ、ちょっと……」
トムさんが心配そうに覗き込んでくるので、首を横に振って応える。それでも不安げに見上げてくるものだから、俺は正直に答えるほかなかった。
「いや、あの、あそこ……」
「んん?」
俺がやんわりと指差した方向に、3つの小さな子供の影。黒いランドセルを背負った二つの影の間に、赤いランドセルの影がひとつ。学校帰りだろう、手を繋いで歩く子供たち。遠目に見ても、楽しそうに喋っているのがわかった。
それを見てトムさんは何かを察したのか、あーと小さなぼやき声をあげた。
「……あれ見て、ちょっと、昔の事を思い出してました」
と付け足せば、
「そうかそうか」
納得したように頷いて、ひそかに笑ってくれた。
「そういや、最近見てないけど……元気なのか?」
「元気っすよ、多分。声聞く限りじゃ」
高校を卒業して、家を離れて。
それでもなお、1週間に最低でも4回は電話する、そんな間柄。家族だけれど、『姉』と呼ぶには近すぎる、そんな関係。そもそも、俺があいつを姉と呼んだことはないのだけれど。
いつだったか腐れ縁の医者が、『さんて割とブラコン入ってるよね』と笑いながら言ったとき、あいつは『うん』と無邪気に頷いて、あの新羅を絶句させていたっけな――
――などと考えながらトムさんの後ろをくっついて歩いていたら、トムさんが「あ」と声をあげて足を止めた。釣られて俺も足を止める。
「トムさん?」
「あれ」
トムさんに釣られてそちらを見れば、変な光景が目に飛び込んできた。あの小うるさい二人組みがこっちに歩いてくる。その奥には、いつにも増して仏頂面のまとめ役が。
「あっれー、静雄さんじゃないすか。奇遇っすね」
両脇の二人がパタパタとこっちに駆けて来る。よう、と声をかけると、二人もこんにちはと返して、
「シズちゃん、仕事中?」
「いや、もう上がりだ」
「そっすか。お疲れ様です。田中さんも、お疲れ様です」
遊馬崎が恭しく頭を下げれば、トムさんは「ああいや」と謙遜してみせる。そのまま俺にだけ聞こえるように、
「静雄、俺先に戻ってるわ」
「あ、ハイ。わかりました」
そんな言葉を残して、足早に立ち去った。そして、トムさんと入れ替わりになるように――
「門田?」
「……よう」
いつにもなく不機嫌そうな門田は、脇に妙なものを抱えていた。まるっこい、やたらでかいぬいぐるみ。渋い門田には、ひどく不釣合いだった。
「なんだそりゃあ……」
「狩沢さんがゲーセンでとったんすよ」
「いや、そういう事を聞いてるんじゃなくてな」
「プーさんだよ、知らない?」
「馬鹿にすんな。プーさんじゃなくてカピバラさんだろ。そんくらい知ってるわ」
吐き捨てるように言えば、狩沢の笑みが一層深くなった。
「へー、詳しいんだー」とからかうように呟くので、
「そういうのに詳しいのが身内にいるから仕方ねぇだろ……」
そう返せば、今度は遊馬崎にも笑われてしまった。
墓穴を掘りたくなかったので、害のなさそうな門田に向き合う。
「しかしでけぇな……500円のやつか?」
「ああ、狩沢が一発で取りやがった」
げんなりと呟く。まるで持ち歩くのが嫌だといった具合に。
「そうそう! 一発で取れたの! でもねー、正直いらなかったから、じゃんけんで負けたドタチンにあげたの」
じゃんけんで負けたのか。ちらりと門田を見れば、悲しそうに目を逸らされた。よほどショックだったらしい。
「――いや、おい待て狩沢。ハナからいらねぇなら、やるなよ」
「まあまあ、験担ぎみたいなものだからさー」
どうどう、と狩沢になだめられる。
「ゲンカツギって……なんかあったのか?」
「はい! ブレブルの大会があったんすよ! 非公式っすけど!」
「……ああうん、わかんねぇや」
付いていけそうにないので、切り捨てた。
「門田、どうすんだそれ」
「家に置いても邪魔だし、かといって捨てるのもアレだしよ、知り合いの子供にでもあげようかって」
たとえいらないものでも、人からもらったものは割と大事にする門田だった。
そんな門田は小脇に抱えたぬいぐるみをじっと見つめ、あごに手を添えてしばし考え込むふうに唸った後。
「静雄、お前、これいらねぇか?」
「あ?」
素で聞き返せば、門田がなんともいえない苦笑を浮かべて。
「ああいや、お前にというか……さん、こういうの好きだろ?」
確かに、あいつはこういうのが好きだ。それもかなり。
「……ほしい」
ゆっくり手を伸ばせば、門田が小脇に抱えたぬいぐるみを差し出してくる。
その後ろで狩沢が、どうしてか叫びだしそうになっているのを、遊馬崎が必死に両手で口を塞いでいた。
「そういえば、もうすぐで誕生日じゃねえか?」
「え? 誰の……って、あ」
すっかり忘れていた。
* * *
その店は、通りに面した一角にあった。
こじんまりとした、小さな花屋。店内のインテリアは割りと最近っぽいけれど、店の主人はもうかなり歳のいった婦人だった。
繁盛しているのか、繁盛していないのか。いまいちよくわからない花屋ではあったが、一応社員として人を何人か雇う余裕があるくらいには、繁盛しているのだろう。
店の中に入ると、脚立が目の前に飛び込んできた。脚立といっても、花屋の雰囲気にそぐわないようなアルミ製のものではなく、どこで売っているのやら、木製のものだった。丈夫なのかどうか不安になるような、普通に使って大丈夫かと首を傾げたくなるような、そんなもの。それでもこうして使ってるんだから、恐らくアルミ製のものと差はないのかもしれない。
「あれ、静雄君?」
その上に座り込んでいるが、不思議そうに見下ろしてくる。
「電球、とりかえてたのか」
「うん、切れちゃって」
そう言っては微笑んで、目線を天井へ向けた。きゅこきゅこ、と電球をまわしてはずす音が聞こえる。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫ー」
はずした電球をエプロンのポケットに突っ込み、もう片方の、不自然にふくらんだポケットから、真新しい電球を取り出して、再度きゅこきゅこと。
待つこと1分足らずで、電球の取替えが終わった。脚立を降りるの姿が少し危なっかしくて、なんとなく脚立に手をかけておさえてやる。
床に降りたはてきぱきと脚立を畳んで、やっぱり危なっかしくそれを抱えて奥に引っ込んでいった。かと思うと、ぱたぱたとした足取りで戻ってくる。
「今日はどうしたの?」
にこにこしながら言われる。
「……これ」
脇に抱えたぬいぐるみを差し出す。
「わっ、……ど、どうしたの、これ」
一度驚いてから、ぬいぐるみと俺の顔を交互に見始める。
餌をちらつかされ、今にも飛びつきそうな――それでも『まて』という命令を守り続ける子犬みたいな、そんな無邪気にきらきらした目が眩しい。
「……門田からもらったから」
「ぇと、京平君が?」
が首を傾げる。
「狩沢がゲーセンで取ったんだってよ」
「えりかちゃんが?」
不思議そうに俺の顔を見つめていたが、それで大体事の顛末がわかったのだろう。「そっか」と頷いたあとに、優しげに微笑んだ。両手を伸ばしてぬいぐるみを受け取ると、胸の辺りでぎゅっと抱きしめる。
「あとで、二人にお礼言わなくちゃ」
ぬいぐるみの、多分頭のあたりに頬を寄せながら、嬉しそうに呟いた。
――本当に、嬉しそうに。
「そういや、もうすぐで誕生日だろ? なんか欲しいのあるか?」
ぬいぐるみを思うさまモフモフしていたは、俺の言葉にぴくりと反応し。
「静雄君が欲しいな」
にこにこしながらの即答だった。こういう時に、はほんと怖いと実感する。
俺が欲しいなんてひどく滑稽な言葉に、それ以上の意味も、それ以下の意味もない事を俺はよく知ってるし、わかってるつもりだ。
誕生日に俺が欲しい……つまり一緒に祝って欲しいって事で――
「――じゃあ、空けとくわ」
「いいの? お仕事とか大丈夫?」
「多分大丈夫だと思う」
トムさんの事だから、多分わかってくれるだろう。
は「えへへ、楽しみ」と嬉しそうに呟いて、またぬいぐるみをモフモフしはじめる。
「……お前、エプロンしてんだろ。汚れんぞ、それ」
「あっ、わっ! そうだね、せっかく貰ったのに汚しちゃう……」
わたわたとぬいぐるみを引き離し、店内を見回して、そっとカウンターにぬいぐるみを置いた。そこも汚れてるんじゃねぇかと思ったが、見たとこ綺麗そうだったから、口にはしなかった。
「静雄君の用事って、これだけ?」
「ああ」
「そっか」
にこにこしながら呟いて、それから商品用の切花が入った花瓶が沢山並べられている方へ向かった。その中から一本だけ花を手に取ると、ぱたぱたという足取りでカウンターの方に向かう。頼んでもいないのに、適当にラッピングをはじめ――
「はい」
赤いバラの花を、にこーっと笑って差し出してくる。
それを見てつくづく思う。なんで彼氏作らないんだろうな、と。
まあでも、多分、付き合う男はに話を合わせるのが大変だろうけれど。
「……ええと、『無邪気』」
「うん、正解」
花を受け取りながら、のせいでずいぶん詳しくなった花言葉を呟けば、は一層笑顔になった。
「でもね、ちょっと違うかな、確かにそれはバラの花言葉だけど、他の色なの。静雄君にあげたのは、赤色だよね」
「あっ、そうか。……ええと、『愛情』」
「そうそう! 大正解! はなまるだよー」
一発で正解したわけじゃないのに、“はなまる”をもらってしまった。
苦笑を浮かべる俺に向けて、が背伸びをして手を伸ばしてくる。指先で髪をなでられ、何も言わずに身体を傾ける。
が俺の頭を撫でやすいように身体を傾けるのは、いつしか俺の“癖”になってしまっていた。
指先から、今度は手のひら全体で頭をなでられる。この、ひどく優しい感触は、恐らく俺と幽しか知らないものだ。
が手を離して、俺に向けて、にこにこ微笑む。ひどく無邪気に。
そういえば、『無邪気』は何色のバラの花言葉だったっけか――そう考えながら手を伸ばす。
なで、なで。そんな音がしそうなほど、ひどくぎこちない手つきでの頭をなでる。指で髪を梳いて――が嬉しそうに目を細めた。くすぐったそうに微笑む。
不覚にも、何もかも忘れて、見惚れてしまった。
「静雄君、今日の夜、電話してもいいかな」
「……ぇ、ぁ、……お、おう」
ぱっと手をはなし、どうにか返事をすると、はぱああっと音がしそうなほど表情を明るくする。すごく嬉しそうだった。
「ほ、ほんとうに? いいの?」
「いや、何を今更……」
「だって、静雄くん、彼女、いるんじゃないのかなって」
固まった。
「……なんで?」
かろうじて、そう言葉を搾り出せば、
「だ、だって、すごくカッコイイから。それに優しいし、可愛いし、お茶目なところもあるし、すっごく家族思いで、思いやりがあって、可愛くて、だから、彼女とかいるんじゃないかって……」
ものすごく、反応に困った。
……ていうか、今『可愛い』って二回言ったぞこいつ。
「ぁ、あのなあ、それ、誰の話だよ」
「静雄君の話」
すごく恥ずかしがってるような声で、それでもきっぱり言われてしまった。を直視できなくて、視線を彷徨わせる。
新羅いわく『割とブラコン入ってるよね』とのことだが、どう考えてもそういうレベルじゃないだろう、これは。どういうフィルターを通して俺を見ているのか。不思議でしょうがない。俺がそんな風に見えるのだから、かなり高機能なフィルターなんだろう。しかも、以外に使えない、専用の特注品だ、おそらく。
一度だけ深く呼吸して、なんとか心を落ち着かせた。そして、のほうを見る。
――目を逸らした。
「……ていうかなあ、それを言うなら、のほうだって――」
きゅっと手の甲をつねられた。痛くはなかったが、それでも俺が失言した事を気付かせる程度の力はあった。
「っ、……ちゃんのほうだって、付き合ってる奴は……」
「ぃ、いるように見えるの?」
見つめあう。
うまく言葉が出てこなくて、唾液を飲み込んだ。ゴクッと音がした。
――逃げ出したい。
なんかよくわかんねぇけど、この空間から無性に逃げ出したかった。
たぶん、空気があまったるく感じるのは、恐らく店内に沢山ある花のにおいのせいだ。それ以外は断じて認めないし、認めたくない。
しばらく無言のままでいると、先に耐え切れなくなったのはのほうだった。
「ぇ、えと、ご、ごめんね。この話は、なかったことに……」
「……ぉ、おう」
消え入りそうなの声に対し、頷くほかなかった。
しかし、それでもなお、話が終わったにもかかわらず、は少し俯きがちのまま。
店内の空気は相変わらず、甘ったるい花のにおいが充満している。
「あー、くそっ!」
問答無用での頭をかき回すと、「ひゃーっ!」と気の抜けるような悲鳴があがった。それを見て、内心「ちくしょう」と呟く。
「それじゃ、俺、行くわ」
「あ、えとっ、うんっ」
手を下ろして、そのまま入り口まで早足で向かう。の声に引っ張られるように振り向きそうになったが、なんとかそれを堪えた。振り向いたらどうなるかわからなくて少し怖かった。
どうせまた、夜に長電話することになる。そう言い訳しながら店の外に出た。ドアを閉め、外の空気を吸う。手元の花を見下ろし、――やっぱり、耐え切れずに店の中を振り返った。振り返ってしまった。
胸の前で両手を振るは、にこーっと笑っていた。
そんなに一度だけ手を振り返して、俺はその場を後にした。
中学にあがって、別々の高校に進学して――毎年一つ歳をかさねるのに比例するように、はすごく綺麗になっていった。それを間近で見ていた俺は、いつかに大事な人ができて、家を出て行くものだと思っていた。
そう思っていたのに、いつまでたっても、に浮いた話はこれっぽっちも出てこなかった。
はガードが硬いとか、人見知りするとかいうわけじゃない。男性恐怖症というわけでもなし、むしろ初対面の人とすぐに打ち解ける。そんな、親しみやすさとでもいえばいいのだろうか、そういうのを持ち合わせていながらも、それでもにはそういう人が全く現れなかった。もしかしたら、意図的に作らなかったのかもしれない。
どうしてだろう? そう考える俺に、もう一人の俺が意地汚い声をかける。
わかってるくせに――
――恐らく俺は、“家族”として、道を踏み外したと思う。
いつからあいつとの接し方を間違えたのだろう。思い返しても、全くわからない。小中高と、俺はあいつにごく普通に接してきたつもりだった。でも、それは俺から見て“普通”ってだけで、傍から見れば“異常”だったのかもしれない。
普通に歩いてきたつもりだったのに、どこで間違えたんだろう。
俺も、あいつも。
もしかしたら――
――もしかしたら、あいつの事を『ちゃん』と呼んだ瞬間から、俺は間違えたのだろうか。
* * *
暫く歩き、ふいに、遠くで聞こえる馬の嘶きを耳にして、ふと空を見上げて立ち止まる。
「……やるよ、これ」
から貰った花をセルティに差し出すと、胸の前で手を合わせたセルティのヘルメットが一瞬だけすぽーんと飛んだ。セルティのヘルメットは、感激しすぎると、普通にすぽんと引っこ抜けるときがある。感激が影になって、首から噴き出すせいなのかもしれないが、実のところ仕組みはよくわからない。とりあえず一つだけ言える事は、周りに人が全く居なかったのでそれを見られていなかったのが幸いだった。
セルティがおずおずとした手つきで花を受け取り、ふるふると肩を震わせはじめる。セルティの雰囲気が一段と柔らかくなったような気がした。
『ありがとう静雄、すごく嬉しい』
「そりゃよかった」
どうせ俺の家に置いとくぐらいなら、セルティの家で枯れたほうが、この花も本望だろう。そう思ってセルティにプレゼントしたら、セルティは思いのほか喜んでくれた。
『やっぱり、花を貰うと嬉しいな。でも、これはから貰ったんだろう? いいのか?』
「な、なんでから貰ったってわかるんだよ……」
『いや、そう考えるのが自然だと思って。女の勘、というやつか?』
セルティのPDAに、「そうかよ」と投げやりな言葉を返すことしかできなかった。女の勘って怖ぇ。
『本当にありがとう。大事にする』
「いや、大事にするっつっても、一週間もしないうちに枯れるからな、それ」
『そんな事はわかってる! 純粋に嬉しいんだ!』
「そ、そうか……」
怯みながらも頷けば、セルティは満足したようにヘルメットを縦にふった。
『そういえば、もうすぐでの誕生日だな。何か欲しいものはあるのだろうか。静雄は何か聞いてるか?』
「俺が欲しいつってた」
さらりと言ったつもりだが、それでも、少し頬が熱くなった。
『そうか』
くすくすと笑う。いや、実際のところセルティは全く笑っていないのだが、それでもそんな錯覚を覚えるような空気だった。
『私は必要ないだろうか?』
「……聞いてみるか?」
『頼む』
携帯を取り出す。電話帳の1番を呼び出し、通話ボタンを押す。
ワンコールもしないうちに、が電話に出た。
「出るのはえーよ」
『だ、だって、静雄君の着信音だったから、つい……』
ひどく照れくさそうな声だった。どんな顔をしているのかと、嫌でも想像してしまう。そして、簡単に、どういう顔をしているか、わかってしまう。
しかし、最初のコールが終わる前の着信音だけで俺からの電話がわかるって、一体どういう着信音にしてるんだろう。というか、普通わかるものなのか?
「あのな、誕生日、セルティが私も必要ないかって」
息を呑むような、小さな声のあと、
『ほしい!』
子供みたいな声だった。
「わかった。じゃあな」
『うん。セルティさんに、よろしくね』
「おう」
電話を切る。
「セルティも欲しいって」
『そうか!』
何が嬉しかったのか、俺にPDAを突きつけながら、またセルティのヘルメットがすぽーんとすっ飛んだ。
* * *
セルティが自宅である新羅の家に帰宅すると、思わぬ顔がそこにいた。
「ああ運び屋、おかえり。……それ、何持ってんの?」
新宿の情報屋は、ときどきこうして池袋にある新羅の家にやってくる。遊びに来るのか、仕事のついで、暇つぶしに尋ねきたり、薬を買っていったりと、用件はさまざまだ。
セルティは臨也の問いには答えずに、「おかえりー」と話しかけてきた最愛の人に向きあい、
『新羅、なんでこいつがここにいるんだ』
「んーとね、さっき四木の旦那もいたんだよ」
つまるとこ、仕事絡みという事らしい。セルティは部屋の中を見回し、はあ、と溜息をつくように肩をすくめて見せた。
「バラの花だね。セルティみたいにすごく綺麗だ。誰から貰ったの?」
『静雄からもらった』
「えええええええええってさんかぁ」
最初こそ驚きはしたものの、新羅はそう結論付けてほっと息をつく。
静雄が何かしら花を持っていれば、それは姉のから貰ったものだ、という暗黙の了解みたいなものが、新羅にもセルティにも、そして恐らく臨也にもあった。
「あはは、新羅の家に花とか、似合わないねえ」
『いいんだ、私の部屋に置くから!』
笑い飛ばす臨也にプンプンしながら、セルティがPDAを突きつける。
「ちょ、ちょっとセルティ、まさか飾った花に見惚れて一日中部屋に引きこもったりしないよね?」
『あほか! するわけないだろう!』
「そ、そうか、よかった……もしそうなったら、たかが花への嫉妬に狂って、怒髪衝天する事になっていたかもしれない」
片手で顔を多い、大げさに振舞う新羅を臨也は無表情に見上げ、まーた始まった、と小さく溜息を吐く。
第三者がいようがいまいが、新羅はセルティの事しか眼中にない。だからそういう振る舞いしかしない。
『たかが花って、されど花だ! せっかく静雄がくれたんだ!』
「静雄がくれたって言うけどねえ、俺はもうその文面で嫉妬に狂いそうなんだ。正直すごく不安なんだよ? 静雄と割と仲いいみたいだしさ」
はあ、と溜息をつくように肩をすくめ、セルティがテーブルに花を置いた。
『静雄とはいい友人関係なんだ。何度も言っているだろう。それに、私はお前しかそういう目で見ていないし、これから先もお前しか見れない』
「せ、セルティイイいいいだだだだだっちょっ痛い痛いチキンウィングアームロックを使えるセルティはすごく魅力的だし腕に柔らかいのが当たってちょっと嬉しいけどアダダダダダ無理無理無理痛いイダダダダダ」
関節技を決められながらも、今にも涎を垂らしそうに喜ぶ友人の顔を見て、臨也が何を思ったかは計り知れない。少なくとも、彼の表情は『呆れ』一色に満ちていた。
そうして、テーブルの上の花に視線を向け――
「シズちゃんが花ねぇ……んとこの花屋に寄ったのかな」
二人に聞こえるか聞こえないぐらいの声音で、そう一人ごちた。
臨也との間柄は、事務所に飾るための花を時々注文する、その程度のものだった。現に今日の午後、が勤める花屋に花を頼んでいる。
要約すれば『時期にあった花が欲しい』との旨を、電話の向こうのに言えば、
『紫陽花は、どうですか』
と、伺うような声が返ってきた。その声はごく普通の調子で、およそ静雄に会った後とは思えない普通のものだった。の声は静雄に会うとどことなく調子が変わるのだ、憎らしい事に。とすれば、臨也が電話をした後に、静雄はあの花屋に足を踏み入れたのだろう。
「何で寄ったんだろ……」
そんな呟きとともに、ぼーっとカレンダーを見つめていた臨也だったが、
「……あ、もうすぐで誕生日か」
臨也の、今更思い出したような呟き。それを耳にした新羅も、臨也と同じようにカレンダーを見て「あー」と小さく納得するような声をあげた。
そのタイミングをいい機会だと思ったセルティは、ぱっと新羅を解放してPDAに文字を打ち込み――
『の誕生日、私は家を空けるぞ』
「えっ、どうして」
『私も静雄と一緒にの誕生日を祝うからだ』
「えっ、なにそれ、聞いてないよ!?」
『今日決まったからな』
「えっ、ひどい! セルティがいない間俺はどうなるんだい? 寂しさのあまり死んで灰になってしまうよ!」
『じゃあ、静雄に話を通してみればいい。ていうか、通してみるか?』
「うん、お願い」
「ねえちょっと二人とも、俺は放置プレイかい?」
『なんだ? 臨也も参加したいのか? 無理だと思うけどな』
「いや、そうじゃなくてね……もういいや」
臨也は仕方なく、二人の会話を眺める事にした。
「でも誕生日を祝うとなると、何かしら用意したほうがいいよね。セルティはなんか欲しいものとか聞いてる?」
『はわたしが欲しいそうだ』
「えええええ!? セルティは俺のものだからあげれないよ!? はっ、もしかして静雄はセルティの事男と勘違いしてたしさんもその可能性がある!? じゃあ俺とさんは恋のライバルに……って、もしかしてそれ、そういう意味じゃないよね?」
『うん。予想通りの反応をされるとやっぱり面白いな』
「くっ……セルティにからかわれて悔しいと思うと同時に、すこしマゾ心が刺激されて嬉しいと思う僕がいる……これは抗いようのない事実だ。もうちょっとからかってからかって極限までからかってからの焦らしプレイをしてほしい」
『の誕生日に何をあげたら喜ぶか、一緒に考えよう』
「わー、見事にスルーされたー」
『スルーされてほしくなかったのか』
「そりゃあもちろん! あれ? なんでセルティはまた私に間接を決めようとしてるのかな?」
二人の一連の動きを見ていた臨也は――溜息をつくほかなかった。
立ち上がって一つ背伸びをした後。
「新羅、俺もう帰るよ」
「あっ、そう? 気をつけてねイダダダダダチキンウィングフェイスロックはちょっとかなり無理だよセルティ!!」
臨也が去った後、森羅に思うさま愛の関節技を決めたセルティは、ふうと一息つくような気持ちでぱんぱんと手を払い、ギブアップして泡を吹く新羅を抱えてソファに寝かせる。
そのうち目を覚ますだろうと楽観的に考えつつ、貰った花を一輪挿しに飾ろうと、テーブルに視線を向け……
――あれ、花、ないっ!?
テーブルの上に置いていたバラの花は、忽然と消えていた。
――床にも落ちてないし……え? どうして……
必死に部屋中を探し、それでも花を見つけれなかったセルティが至った結論といえば、
――……あ、あ、あんの、黒狐ーーーッ!!
* * *
新宿の一等地、とあるビルの最上階。
その階で情報屋兼ファイナンシャルプランナーを営む男は、台所で、一輪挿しに水を溜めながら、手にしたバラをじっと見つめていた。
葉も棘もちゃんと取られた、完璧に咲ききったそのバラが枯れるのは、恐らく数日以内のことだ。
「……なんだっけ、『死ぬほど貴方に恋焦がれています』、だっけか」
一人ごちたあと、自嘲を浮かべ、壊れ物でも扱うような手つきで、バラを活ける。
あの花屋に注文を入れるとき、時折雑談もまじえてのものだったので、自然と花言葉に詳しくなってしまった。――いや、そのほとんどが、臨也が自分で調べたものだったのだが。
花瓶を持って、台所を後にする。
応接テーブルの上に花瓶を置いて、ソファに腰掛ける。
(当日、シズちゃんに電話でもしてみようかなあ)
毎年決まって同じ事を考えるが、臨也がそれを実行に移したことはない。
理由は簡単。の悲しむ顔を見たくない、ただそれだけだった。
紫陽花の花が届く日付は、幸か不幸か誕生日の後だった。
『じゃあ、臨也君のために、とっておきのを作りますね!』
電話の声を思い出す。まるで臨也の反応を楽しみにしているような声だった。それも、心の底から。
配達してくれるその日の担当が運よくであることを、臨也は願うばかりだ。いくら臨也が凄腕の情報屋といっても、経営者である婦人のその日の気まぐれで配達担当がコロコロ替わる花屋の業務内容など、臨也に予知能力があるわけでもなし、予想できるわけがない。
『と、とっておきって、あのねえ』と、戸惑うような臨也の声に、
『ふふ、とっておきったら、とっておき、ですよ? 楽しみに待っていてくださいね』
そう返した嬉しそうな声が、弾むようなその声が、耳に焼きついたまま離れない。
だから、の言うとおり、楽しみに待つしかない。
はど天然だ。間違いようのない事実だと臨也は思う。
静雄の天然ぶりも大概だが、のそれも大概だ。静雄は自分に向けられる悪意に敏感で、好意には無頓着だが、の場合は自分へ向けられる好意に気付くことすらしない。いや、そもそもそんな可能性すら微塵も考えていないのかもしれない。
だからこそなのか――自然に、ごくさりげなく、当たり前のように『口説き文句』を口にする。
毒気のない声で、こっちも毒気を抜かれてしまうような、そんな甘い声で。
根っからの“たらし”とでもいえばいいのだろうか。けれども臨也はのことを知ったのは高校生のときだったので、小学校や中学校はどういう性格だったのかわからない。それでもそのくらい、は人を『たらしこむ』ような素質があった。
(普通、客に対して“ために”とか“とっておき”とか、使わないだろ……)
口の端に苦いものを浮かべ、そうして、がっくり肩を落として盛大に溜息をつく。
ご覧の通り、臨也はにだけ、すっかり毒気を抜かれてしまっていた。
美しい花は匂いをちらつかせ、虫を引き寄せる。
甘い言葉で口説き落とされ、たらしこまれた虫は――棘で刺し殺されるほか道はない。
もちろん、あのにっくき弟“たち”の話である。
言い寄った何人もの男が、あの怪力と無感情に振り落とされたのを、臨也は知っている。
――いや、語弊があった。あの弟たちは直接手を下してはいない。言い寄った男たちは、兄のおよそ人とは思えない怪力と、弟の並外れた外見に根負けして、すごすごと引き下がっていくのだ。
しとしとと、雨の降り出した窓の外を見つめ、臨也は再度溜息をつく。
せっかく一輪挿しに活けた花を手に取り、手持ち無沙汰に弄んだ後、口元に近づける。バラの花特有の、甘いような爽やかな香りが、鼻腔をくすぐる。
「……『辛抱強い愛』かあ」
ぽつりと、紫陽花の花言葉を呟いたあと、新宿の情報屋は今日で何度目にもなる溜息をつくのだった。
2012/08/02