6.
次の取引は、何故かマニアのほうから連絡が来た。怪訝に対応する臨也の気を知ってか知らずか、勝手に時間と場所の指定を話し始め、臨也は内心首をかしげながらもそれに応じると、電話はそこで切れた。通話が終わった携帯を不思議そうに見つめながらも、そのまま新羅とセルティに連絡を入れる。その最中、臨也はふとある事を思いつき、口の端をにんまりと歪ませた。波江が定時で退社すると、臨也はいつもより早めに仕事を切り上げ、いつものファー付コートを羽織って根城を後にした。待ち合わせ場所に向かう途中、コンビニに立ち寄りある物を購入する。
「はい。俺からのご褒美」
写真の取引三回目が無事に終了した後、三人はまたもや、近くにある児童公園の手ごろなベンチに並んで座っていた。臨也は自販機で買ったコーヒー缶とともに、さきほどコンビニで買った物を渡す。
臨也の手のひらに丁度良くおさまるほどの大きさの袋に入った、ややチープな感じのパッケージ。左上に某製菓会社のロゴが入った、どこのスーパーやコンビにでも見かけるような、ごくごく普通のお菓子である。しいて言うなら、対象年齢は児童向けのものだ。
はコーヒー缶とお菓子を受け取ると、見慣れない菓子の袋とコーヒー缶を見比べるようにまじまじと眺める。そして臨也の顔を見上げるなり、不安そうな表情で首を横に振った。前回コーラで酷い目にあったのを思い出したのか、警戒しているようだった。
「いやこれ、普通のお菓子だから。缶のほうは前と違って噴き出さないよ」
それでもふるふると嫌そうに首を振る。臨也が肩をすくめてセルティに助けを求めるような視線を向けると、セルティはの手元にある袋をそっと取り上げた。裏表ひっくり返し、しげしげと眺め、隅々まで見定めたあと。
『、変な細工はしていないと思うぞ』
はPDAに表示される文字をぼんやりと見つめ、渋々といった様子でセルティから袋を受け取った。コーヒー缶を太ももに挟み、袋を開けようとするのだが、どうにも開け方がわからないらしく首を傾げている。
「袋の横に切れ目あるだろ? そこ持って……」
臨也が助言すると、は袋の上部にある左右対称の切れ目を指でなぞり、臨也の言葉通りその部分だけを指で摘んだ。そうして困惑げに臨也を見上げ、小首をかしげる。それを見た臨也の口からは、溜息しか出てこなかった。仕方なしに手を伸ばす。の手をつかんで開け方を教えてやると、ようやっと理解したらしいが恐る恐るといったふうに袋を開封した。途端に甘い匂いが鼻をつく。
は不思議そうに袋の中を覗き込み、困ったようにほにょほにょと。
『埃の塊からいい匂いがする、だって』
絶句した。
「……いや、埃って。、これ食べ物だからね? ゴミじゃないよ?」
どうやら綿菓子を知らないらしい。臨也がそう言っても、は訝しげに袋の中を覗き込んだままだ。セルティも僅かに体を傾け袋の中身を覗き込み、そうしてカチカチとPDAを操作し始める。
『私もこれは初めて見たな。どういう食べ物なんだ』
「ま、食べればわかるさ。……あっ、セルティは食べれないんだっけ? 首がないんだもんねえ、残念だなあ」
ニヤニヤしながら臨也が言う。明らかに残念がっていないどころか、むしろ挑発とも取れるその物言いに、セルティの肩が僅かに震えたが、しかし憤慨する様子は見せなかった。期待していた反応と真逆の態度を取られ、臨也は肩をすくめつつに視線を向ける。相変わらず警戒するような眼差しを手元の袋に注いでいた。手を出す様子が見られない。
臨也は仕方なく、が手に持つ袋の中身を引っ張り出した。が埃の塊と称した、毒々しい紫色のそれの端っこを摘んで引きちぎり、口の中にいれる。途端に、果汁の入っていない、いかにも合成っぽい味が広がった。
「懐かしいなあ、小さいころ結構食べてたんだよねこれ」
しみじみ言えば、が困惑したふうに臨也を見上げる。そうしてようやっと、おずおずと手を出した。臨也に習うように端の方を引きちぎり、口の中に運ぶ。
「~~~!!??」
ほどなくして、が反応を見せた。目を見張り、両手で口元を押さえようとする。その拍子に袋が膝から滑り落ち、慌てた臨也が何とかそれを掴み取った。
『、どうした?』
セルティが不安そうな雰囲気を纏わせながら、PDAを使ってに問いかける。は驚きを顔にはりつけたままその文字を見つめたあと、フルフルと首を左右に振った。恐らく、大丈夫という意思表示だろう。それでも不安そうなセルティに対し、両手で口元を覆ったままはにゃほにゃと話しはじめる。が、の口からパチンと大きく弾ける音が響いたとたん、はビクッと肩を震わせ、それっきり何も喋らなくなってしまう。そのまま怯えたふうに俯きがちになり、文字通り動かなくなってしまった。
その動作にセルティが何らかの異常性を捉えるのもごく正常で、ともすれば、矛先が臨也に向くのも、臨也には想定内の事だった。
『臨也、お前、に何を食べさせた!?』
「……君ってほんとにさぁ、なんつーか、過保護すぎなんじゃないの? というか俺が信頼されてないだけ?」
『信頼されていると思っていたのか? するわけないだろう! ていうか、質問に質問で返すな!』
「ひっどいなあ。仕事のお得意様にそういう言い草はないんじゃない?」
『ああもう話を逸らすな! に何を食べさせたんだ!』
「そんなに怒らなくても、ちゃんとした売り物だって」
手元の袋を見下ろす。紫色の、いかにも児童向けらしいどぎついデザインの袋に、でかでかとロゴが印刷されている。
「わたパチっていう、食べるとパチパチする綿菓子だよ」
言いながら、袋の中身である淡い紫色の綿飴を引きちぎって口の中に運んだ。
わたパチの存在は知らなくとも、パチパチキャンディくらいセルティは知っているだろうと臨也は思っていたのだが、まさかそれすら知らなかったとは、臨也にとって意外だった。とはいえ新羅がこういう菓子を好き好んで買うようには思えないし、知らないのも当然かと結論付ける。
臨也は口の中でモゴモゴと舌を動かし、綿飴が溶けきってから、セルティに見せ付けるように口を開けて舌を出した。小さな飴の欠片が臨也の舌の上で弾けると、セルティは少し驚いたように身じろぎしてみせる。とたんに、セルティの尖った空気が一気に丸くなったように感じられた。
『それ、食べても平気なのか』
口を閉じて舌の上にある小さな飴を転がし、隅っこに追いやってから、
「平気に決まってるだろ? じゃなきゃ俺が食べるわけない」
『それもそうだな』
納得する理由が妙に癪に障ったが、臨也は気にしない事にした。口の中で溶けて小さくなった飴を噛み砕く。
「うん、やっぱ久々に食べると面白いなこれ」
もう一度綿菓子を口に運ぼうとすると、に袖を軽く引っ張られた。視線をに向ければ、がほにゃほにゃと話しかけてくる。
『このパチパチする飴はどういう仕組みなのか、と聞いている』
セルティに尋ねようとするよりもさきに、セルティが翻訳してくれた。
「……確か、飴の中に圧縮した炭酸ガスを入れてるとかじゃなかったかなあ」
臨也の言葉を聞き終わるなり、が首をかしげた。ほにょほにゃと言葉を発し始める。
『炭酸ガスとは』
「が昨日飲んだ飲み物に入ってた奴だよ。あのシュワシュワするやつ」
臨也の説明はひどく適当なものだったが、それで納得したらしい。は「ほーっ」と歓声ともとれるような声を上げ、目をきらきらさせ始める。
「……これは気に入ったみたいだねえ」
がこくりと頷いた。本当に気に入ったらしく、次の瞬間には臨也の手元にある袋に物欲しそうな眼差しを注いでいる。苦笑を浮かべ、袋ごと渡してやると、が嬉しそうな声を上げた。綿飴を千切って口に運ぶ様子を尻目に、臨也も千切ったまま手にしていた綿飴を口の中に運んだ。
ベンチに腰掛けてから置きっぱなしになっていた缶コーヒーを手に取り、タブを開ける。コーヒーを口の中に流し込みながら、隣に座るを見下ろす。綿飴を口に運んでは、しごく嬉しそうに足をぷらぷら揺らしていた。
「ねえ、常々疑問に思ってたんだけど、は夢魔なわけだろ? 人の食べ物で満たされるわけ? そもそも主食はなんなのさ?」
がきょとんと臨也を見上げた。ほにょ、と何か言いかけたところで、ぱちんと大きく弾ける音がしてビクッと身体を震わせる。わたパチはごくまれに大きな飴の欠片が入っているが、恐らくそれに当たったのだろう。は口の中でパチパチとくぐもった音をさせながら、しきりにもごもごと口を動かし、ようやっとのことでまたハニワ言葉を口にした。
『主食は大体人と一緒だが、人と違って毎日何かしら食べないといけないわけじゃないそうだ』
すぐにセルティが翻訳してくれた。
「ふうん、じゃあずっと食べなかったらどうなるの?」
『ほんの少し痩せる』
「……それだけ? 死なないの?」
が控えめに頷くそばで、セルティがカチカチとPDAに文字を打ち込む。
『の種族は基本的に不老不死だ』
PDAに表示された文字列を見て、臨也は僅かに目を伏せる。
不老不死――老いることもなく、死ぬ事もない。の体型はおよそ大人と呼べるほど背丈もないし、むしろ子供と呼ぶほうがしっくりくる。これで臨也より長生きをしているというのだから、どうにも滑稽に思えた。そもそもは生まれたときはどうだったのだろうか。今の体型のままで生まれてきたのだろうか。はこのまま、ずっとこのまま、子供の形のままで未来永劫あり続けるのだろうか。――気にしだすとキリがなかった。
脱線しかけた思考を戻すため、ゆるくかぶりを振って無駄な疑問を払いのける。
「じゃあ、こういうのはあんまり食べないんだ?」
の手元にある袋を指差せば、が素直にこくんと頷いた。そうしてほにょほにょと喋り始める。
『むしろ、こういう食べ物があるなんて初めて知った。昨日の爆発する飲み物といい、いい経験になった。ありがとう』
「爆発て、あのね。……まあ、礼を言われるほどの事じゃないんだけど」
呆れ気味に言い放つ臨也をは真っ直ぐに見上げ、ふるふると首を振る。そんなことはない、ときっぱり言われているような気がして、臨也は言いようのない感情を誤魔化すように苦笑を浮かべるのみだった。缶コーヒーに口をつけ、一息ついたのちに口を開く。
「はクッキーもビールも知ってたんだよね」
が小さくうなずいた。
「それは、自分――あるいは他の夢魔が作った事があるから?」
首を振る。
「……じゃあ、は今までどこに住んでたわけ?」
尋ねると、が戸惑いがちに視線を逸らした。その横で、セルティがカチカチとPDAに素早く文字を打ち込み、にそれを見せつける。
『、無理して答えなくても良いんだぞ。答えたくなかったら、拒否権を行使するんだ』
迷わず盗み見た。拒否権のくだりは明らかに新羅の入れ知恵だろう。苦笑しか浮かばなかった。
「なんか、やけに邪魔してくるよねえ。まあいいけどさ」
ぼやきながら、溜息をつく。先日、セルティに言われた言葉が脳裏をよぎった。あまり仲良くして欲しくはない――とはいえ、きっぱりと『仲良くするな』といわれたわけではなく、頭に『あまり』を付けるあたり、セルティの意図がよくわからなかった。
を見れば、不安げな表情を浮かべ、臨也とセルティを交互に見ている。
と、セルティがずいっとPDAを突きつけてきた。
『臨也、お前、頭は大丈夫か?』
「……は?」
思わず聞き返してしまった。PDAの文字列とセルティのヘルメットを交互に見比べる。臨也のその反応に釣られてか、も僅かに背伸びをしてPDAを覗き込み、そうして労わるような眼差しを臨也に向けた。
「――ごめん、ちょっとよく意味がわからないんだけど」
口元を引きつらせながら臨也がつぶやく。あまりにも唐突な文面に、臨也が困惑するのも無理はないだろう。対するセルティといえば印籠を突きつけるポーズのまま固まっていたが、臨也との反応に首をかしげ、PDAの文字を覗き込む。
しばらくして。首の上に乗せたヘルメットを振り落としそうなほどあたふたし始めた。ここまで取り乱すのも珍しい、と臨也は僅かに目を見張る。
『すまないそういう意味じゃないんだ本当にすまない馬鹿にしているわけじゃないんだすまない』
「とりあえず君が謝意の念でいっぱいなのはわかったから、ちょっと落ち着こう」
どうどう、と宥めると、ようやっとセルティが落ち着いた。
「で、どうして俺の頭がおかしいと思ったのさ?」
尋ねた直後に、カチカチとPDAを操作する音が聞こえてくる。
『なんというか、臨也らしくない、と思って』
臨也のこめかみが、ピクリと動いた。
「……らしくない?」
『ああ。珍しく人間じゃない存在に興味津々っぽいところが、かえって気持ち悪い』
背筋に冷たいものを当てられたかのような、時間が止まったような感覚が爪先まで走り、臨也は思わず息を呑んだ。
底冷えするほどの悪寒を振り払うように口を開けば、次いで出たのは皮肉じみた言葉だった。
「気持ち悪いて! ははっ、年がら年中首なしの君に言われたくないなぁ!」
瞬間、セルティの足元から一筋の黒い線が飛び出した。刃物のような鋭利さを備えたそれが、臨也の首に向かって突き走る。臨也が驚きに目を見張るその時、ぱっと横から伸びた手が黒い影を掴んだ。鋭く尖った先端は、臨也の白い喉元に届くか届かないかといったところで止まっている。
緊迫した空気の中、セルティの影を掴んだのはだった。ひどく不安そうな顔で、臨也とセルティの顔を見比べている。そうして今にも泣きそうなハニワ語は、まるで喧嘩しないでと懇願するようなものだった。毒気を抜かれた気がしてしまい、臨也は自己防衛のために取り出しかけた折りたたみナイフをあらためてポケットにしまう。それと同じくして、セルティの影がするすると引っ込んだ。
セルティはカチカチとPDAを操作し、
『すまない。影が滑った』
「うん、影が滑るって今までの人生で初めて耳にしたよ、俺」
そうぼやく臨也の表情は余裕綽々だったが、正直なところ目で影を追うのに精一杯だった。恐らく本気でセルティと遣り合ったら瞬殺されそうだと肝を冷やしつつ、横目でちらりとを見下ろす。隣に座るは、今まで見た事がないような、ひどく悲しそうな表情で、綿菓子を口に運んでいた。まさか、いつも鈍そうなこのが、あんな動きをするとは流石の臨也にも想定外だった。流石は人外といったところ、かもしれない。
そんな感慨にも似た感情を抱いている臨也の事など露知らずといった面持ちで、は口の中をパチパチさせてから、小さな声でホニャホニャとセルティに問いかけた。
セルティがPDAを操作し、文字が表示された画面をに見せ付ける。
『大雑把でいいと思う。詳しく語ってみろ、後悔する事になるぞ』
恐らく、は自分の事をどこまで話したらいいのか、そうセルティに問いかけたのだろう。臨也はPDAに表示されている文字に口元をひくつかせ、セルティに何か言おうと思ったが、がほにょほにょとハニワ語を喋りだすものだから、すぐにそっちに気を取られた。
『生まれはヨーロッパ西部の山岳地帯だそうだ。人里に降りる事もしばしばあったようだが、革命後、かの地を離れたとのことだ』
「ヨーロッパ西部ねえ。すごい大雑把な説明だけど――セルティの故郷はアイルランドだよね? もしかして故郷は同じなのかな」
『いや、海を挟んでいるところだ』
「ふうん。まあセルティの故郷とはそれなりに近いわけか」
言いながら缶に口をつける。
アルプはドイツを東西にわけるアルプス山脈を筆頭に、その近辺の山々、はてまた人が到底たどり着けないその奥地に生息する妖精だといわれているが、――恐らくそのあたりに住んでいたのだろう。
『うん。だからなのかな、なんとなく私と波長が合う気がする』
「君が言うならそうなんだろうねえ。で、どうして日本なんかにきたわけ?」
がわずかに首を傾げながら、ハニワ語を口にした。
『単なる思いつきだそうだ。いろんな国を見てみたかったと』
「はは、ずいぶんと可愛らしい思いつきだね。世界を見てどうするのさ」
『特にどうもしない、と言っている』
だよねえ、と臨也は笑い飛ばした。
およその態度に明確な理由があるようには到底思えなかった。ただなんとなくで世界を渡り歩き、だからこそ帽子を落として、自分でなんともできずにこういう状況に落ち着いてしまったのだろう。人の道に外れた事をしても、罪悪感の欠片もなさそうだ。とはいえ、浮世離れしているからこそ、妖精なのかもしれない。
綿菓子を食べ終わったのか、は空になった袋を膝の上に置き、その代わりに太ももに挟んだまま放置していた缶を手に取った。緊張しているのか、はてまたおびえているのか、身体を小刻みに震わせ、口を引き結びつつ、ぎこちない手つきでプルタブに手をかける。
「だから、大丈夫だって」
臨也が見かねて声をかけるがそれもむなしく、缶の口からプシュッと空気が抜ける音がすると、は怯えたようにビクリと身体を震わせた。何も起きない事を確認してようやっと、それでもおずおずとした動作で口をつけ、缶の中身がただのコーヒーだとわかると、一気に緊張感を解して飲み始める。
一連の、ひどく単純なしぐさに、臨也は目を細めた。背もたれに寄りかかる。
「……ってさ、見たとこ望みなさそうだよね。望みのない人生ってつまらないもんだよ?」
苦笑気味に肩をすくめて見せると、がきょとんと目を丸くして臨也を見上げ、不思議そうに何かしら尋ねてきた。
『そういう臨也の望みは何か、と聞いている』
「俺の望み? そうだねえ、ありすぎて困るな」
うーん、と演技臭く考え込み、
「しいていうなら、さっさと君が俺に200万返してくれればってとこだね。返す当てのないこの役立たずの妖精に200万も金貸して、おまけに返済のために俺の数少ない貴重な時間をこうやって世話焼きに費やしているわけだ。妥当な望みとは思わないかな?」
絶句したように固まるセルティのそばで、がぐっと詰まったような声をあげた。ぎりぎりとぜんまい式人形のごとく機械的な動作で俯き、そうして一言、消え入りそうな声でほにょとつぶやく。
語尾を弱くしたその言葉――ごめんなさい、と臨也にはそう聞こえた。
「君が謝ったところで現状がひっくり返るなんて事は到底ないよね」
溜息混じりに言えば、がほにょほにょと泣きそうな声でつぶやいた。再度ごめんなさいと言われているような気がしてならない。
「……まあ、気長に行けばいいんじゃないかな」
缶に口をつけながらを見下ろす。見るからにしゅんとして縮こまってしまったの小さな方を、セルティがよしよしと撫でていた。
この流れで雑談などという和やかな空気になるはずがなく、がコーヒーを飲み終わるまで、臨也は無言のままやり過ごす羽目になった。会話らしい会話もない空間――とはいえ、人間としての範疇に含まれるそれは皆無だったが、妖精同士のやり取りは行われた。
臨也はおろか、おそらく今生きている人間のすべてが一生理解できないであろう言葉を小声で囁くの隣で、カチカチと無機質な音を立てて機械を操作し、文字列を並べたてて、それを人との対話として使うセルティ。
薄々感づいてはいたが――は人の言葉がはっきりわかるようだった。
「、それ、飲み終わっただろ? 捨ててくるよ」
言いながら手を伸ばせば、はひどく申し訳なさそうな顔をして、空になった缶を臨也に差し出す。
「……そっちもよこして」
ひどく曖昧な言い方ではあったが、その意味合いをちゃんと理解しているようで、は膝の上に置きっぱなしだった紫色の小さな袋を差し出してきた。それもちゃんと受け取って、臨也はゆっくりと立ち上がった。近くのゴミ箱に捨てて戻ってくるころには、もセルティもベンチから立ち上がって臨也が来るのを待っていた。
『解散ということか』
「そうだね。俺もそろそろ家に帰らなきゃならないし」
『わかった』
「それじゃあ、写真たまったら連絡して。あ、もしまたあっちから連絡来たら、その時は今日みたいになるけどいいかな」
『わたしは構わない。恐らくもそうだと思う』
その言葉を最後にセルティがPDAを袖口に仕舞う。その軽やかなしぐさを眺めながら、ふいに込み上げた欠伸をかみ殺す。携帯を出して時刻を確認すれば、よい子はもう寝ている時間、といったところだ。
携帯をしまってを見下ろす。はどこで寝ているのか、なんて疑問が湧き上がってきたが、セルティがPDAをしまった手前、尋ねるのはやぶさかであるように思えた。
公園の入り口までくると、セルティは路肩に停めていたバイクにまたがり、ヘルメットの位置を正した。ちらりと視線をよこすのがわかったので、臨也はにこやかに微笑み、右手をあげて手を振る。
大音量の嘶きが遠ざかる。黒い影が闇夜に溶け込むのを見送って、臨也は右手を下ろした。そのまま、僅かに視線を下げる。
「……俺はこっちだけど、はどっちに行くの?」
セルティが向かった先とは正反対の方向を指差せば、はじっと臨也の顔を見上げ、それからセルティが向かったほうを指で示した。
「そっか。それじゃあね」
臨也の言葉にがこくんと頷き、そして小さな声を発する。右手を掲げてひらひらと――ばいばい――笑顔で手を振ってくれた。
ごく自然に行われたそれにやや面食らいつつも、臨也はさっきと同じように手を振り返してやった。
が歩き出すのを合図に、臨也もくるりと背を向けて歩き出す。新宿までどう帰るか、ぼんやり考える。今の時間帯の電車は混んでいてあまり乗りたくはない。いっそのことタクシーで帰ろうか、なんて思いついたところで、臨也は何気なく後ろを振り返ってみた。
約二百メートルほど先までほぼ一本道の道路。隈なくあたりを見回すが、のあの小さな後ろ姿はどこにも見当たらなかった。
2012/09/17