ランチボックス(後編)

 翌日。いつものようにを見送った後、エルキドゥはそのまま食堂に残り、調理場で軽作業を手伝った。主に茶碗を拭く作業だ。やっぱり誰か一人が増えるだけで大違いらしく、いつもより早く終わったと喜ぶブーディカを見て、エルキドゥは少し誇らしい気持ちになった。
 昼食の下拵えにも参加し、作業が一段落つくと、すぐさまキャットに腕を引かれて食堂を後にする。図書室に向かい、キャラ弁で何をモチーフにするか本を選び、それから談話室の料理雑誌をいくつか手に取って、再度食堂へと蜻蛉返りをする。
 食堂の隅のテーブルに本を広げ、二人でてんやわんやと会話をし、ああでもないこうでもないと議論を重ねていると、そこにちょうどカルデアのマスターである藤丸立香が立ち寄った。
 どうやら休憩らしく、真っ先にカウンター席へ向かおうとする。気配感知で気付いていたエルキドゥは、通り過ぎようとする立香に声をかけた。
「やあマスター。休憩かい?」
 立香は立ち止まって、それから方向転換してエルキドゥとタマモキャットのいるテーブルへ足を向けた。
「うん、そんなところ。……二人共、何してるの?」
「聞いて驚くなよご主人! なんとこの蛮族たるエルキドゥが弁当を作るのだ!」
「……は、……はぁ?」
 蛮族という表現はさておき、エルキドゥと弁当という単語がいまいち結びつかず、立香は困惑した。しかもエルキドゥが作るという。困惑は加速する。
「でもご主人用じゃないんだなこれが。許せよ。あとでアタシがご主人用にとびきり美味しいの作るからな! 重箱で、三段重ねのやつ!」
 タマモキャットはそう言って、立香ににかっと笑いかける。愛くるしい笑顔だ。
「えぇと……腹八分目でほどほどにお願いします」
 さらっと流して、立香はカウンター席へと向かった。背中に「いけず!」と罵声が浴びせられるが気にしない。
 いつもなら紅茶や麦茶やコーヒーなど、何かしら飲料が入ったポットやケトルが置かれているが、今日はタイミングが悪いのかもぬけの殻だった。どうするかなと迷っていると、カウンターからぬっとエミヤが顔を出す。
「マスター、休憩かね?」
「うん。何か飲もうと思ったんだけど……」
「すまない、今の時間はあまり人が来ないうえ、もうじき昼時になるので用意を怠った。紅茶でいいかね?」
「うん。ありがとう」
 エミヤが奥に引っ込むので、立香はカウンター席にの椅子に腰を下ろして、静かに待った。
 しばらくして、エミヤがガラスポットに紅茶を淹れて持ってくる。一人用の大きさだ。しかもご丁寧にティーカップに注いでくれた。立香は再度礼を述べて口をつける。
 おいしい、とほっと息を吐いてから、いまだに立ち去ろうとしないエミヤを見上げる。それから一度ちらっと遠くのテーブルに腰掛ける二人の英霊を盗み見たのち、声のトーンを落としてエミヤに話しかけた。
「発端はエルキドゥ?」
「ああ。しかし今はタマモキャットの方が迷える子羊のエルキドゥをけしかけて、木に登らせている最中といったところかな」
 羊の扮装をしたエルキドゥをタマモキャットがフシャーと威嚇し、困惑を滲ませながら木に登るエルキドゥの図をうっかり想像してしまって立香は吹き出しそうになった。何とか堪える。
「止めなくても大丈夫そう?」
「今の所、目立った問題は生じていない。無論、この先も何か問題が生じるようには思えん。試しに手伝わせてみたが、存外筋がいい」
「ならいいけど……どうしてこんな事になったんだか……」
「愛です。愛ですよ、マスター」
 立香の視界の横から、すっとティーチが出てきた。エプロンを身に着けているあたり、どうやら食堂を手伝っていたようだ。
「うわ出た」
「オウフ! 明らかな拒絶反応。しかし拙者、こんな事ではへこたれないのでござる」
 ティーチはフッと余裕に笑ってみせたかと思えば、カウンターとキッチンを隔てる柱にもたれかかり、そのまま腕を組んだ。さながら後方見守り面じみた姿勢であった。
 視線の先は、件の二人を捉えている。その眼差しは優しくもあたたかい。
 そんなティーチを見つめる立香の眼差しは生温かい。
 そしてエミヤといえば、調理器具の手入れのため、奥へと引っ込んでしまった。
「拙者、エルキドゥ氏には並々ならぬ可能性を感じておりましてな」
「そう……」
「無関心でも拙者は語りますぞ。拙者のあくなき探究心を刺激する異種族無性別っ子たんという特殊勢力に彼女が出来たとなると、まずはノーマルと百合どちらに配属するかの分岐があり、そこから穴の有無に加え生えているかいないかでさらに分岐が発生し、可能性は広がり続ける。そのまま性的なモノを匂わせないまんがタイムな純愛に徹するもよし、『俺も混ぜてよ』と汚いおっさんを登場させて脳を破壊するシチュエーションにするもよし! どうですマスター、次の同人のネタにどうぞ。拙者の妄想力EXおよび発想転換力EXによると、この二つのシチュエーションを混ぜた本を作れば絶対ウケるという天啓が出ておりますぞ!」
「どんな判断だ!? お前それ戦争だぞ! 双方の過激派に殺されるっての!!」
「二人共、なにやら物騒な話をしているようだね」
 立香の後ろから唐突に声がして、振り返る。噂をすればなんとやら、エルキドゥが真後ろに立っていた。
「うわあっ!! エルキドゥ!?」
「どうやら驚かせてしまったようだね。……お茶のおかわりはいるかい?」
「あっ……うん、貰うよ」
 中身がすっかり少なくなったティーカップに、エルキドゥが丁寧な動作で紅茶を注ぎ足した。その仕草の完璧さと、給仕をするエルキドゥという新鮮な光景を目の当たりにし、なんともいえない感慨が立香の胸中に広がった。感動にしばらく浸る。
 それからハッとしてティーチのいた所を見ると、もう居なかった。立香はくそうと心の中で悪態をつく。そしてエルキドゥの顔に目を向ける。ひどく穏やかな表情を浮かべていた。嵐の前の静けさ、という言葉が脳裏をよぎる。
「エルキドゥさ、もしかして、今の聞いてた?」
「僕に並々ならぬ可能性を感じている話かい?」
 神の宝具たるエルキドゥの聴覚は、並の英霊とは比較にならないほどの性能であった。
「あわわ……怒らないで……」
「ただの与太話だろう? 気にしてはいないよ。唐突に百合の話をする意味も、中年の男性の蔑称である『汚いおっさん』とやらによってどうして脳が破壊されるのかも僕には理解できなかったからね。無論、するつもりもないのだけれど」
「そ、そう……」
 立香は視線をそらし、紅茶に口をつけた。少し熱いけれど、火傷するほどでもない。ちょうどいい温度だ。
「エルキドゥ、あっちの方はもういいの?」
「まだ途中だよ……でも、マスターが僕に不信感を抱いているようだったから、僕の口から説明しておこうと思ってね」
「いや、不信感ってほどじゃないけど。……お弁当って、さんに?」
「そうだよ」
「何ゆえ?」
 立香が尋ねると、エルキドゥは穏やかに語り始めた。
「マスターから受けた恩や好意に対して、僕は兵器としての機能を発揮する事で報いているつもりなんだ。でも、には兵器としての僕は必要がないからね。ほとんど不要なんだ。それでも僕はによくしてくれる。だから僕も、僕が出来得る限りの範囲で応えたいと思ったんだ」
「そ、そっか……」
「今の僕の行動原理は不可抗力の下にあるけれど、あまり心配はしないで欲しい」
「心配はしてないよ、ここの皆がいるしね」
「みんな……そうだね。いつの間にか、輪に加わってしまったな」
 穏やかな表情のまま、ゆるりと食堂を見回すエルキドゥ。
 生涯における友人はたった一人のみ、理解者は片手の指で足りる程度。それ以外を必要とせず、またその状況を良しとしているエルキドゥが、こうして他者との関わりを増やしている。その事は立香にとっては輝かしく見えた。
「俺はいいと思うよ。エルキドゥが今やろうとしてる事、すごくいいと思う」
 立香の言葉に、エルキドゥは嬉しそうに目を細めた。
「マスターである君に肯定して貰えて、なんだろう……とても安心したよ」
 タマモキャットの方へと戻っていくエルキドゥを見送り、立香は紅茶に口をつけた。実のところエルキドゥがうまくやれているのかマシュと一緒に勝手に気をもんではみるものの、プライベートに踏み込む勇気がなく、ダ・ヴィンチに『へたれだねぇ』などとからかわれたりもしていたが、なんだかんだで上手くやっている事を知れて立香はほっとした。
 大丈夫そうだな、と思いながら、立香は例の二人の方へと視線を向ける。ちょうど二人で本を広げて読んでいるところだった。エルキドゥが本の表紙を立てるように手を添えているので、遠目の立香にも本のタイトルを読み解く事ができた。

“オールカラーヴィジュアル大全
 第一次~二次対戦まで網羅! 火砲・投射兵器大図鑑”

 立香は真顔になった。カップから口を離す。
 弁当を作るのに兵器図鑑。この二つの関連性はなんなのか。
 弁当に兵器とかけて、どうとけばいいのか。その心はなんなのか。
 いくら考えても、答えは見つからない。
「……うん、見なかった事にするか」
 やがて立香は思考を放棄し、うまそうに紅茶をすすった。


 前触れもなく、ぱちりと目が覚めた。薄暗い部屋、天井をぼんやりと見つめる。部屋の中は窓がないから朝日が差し込むわけではないけれど、なんとなく朝の予感がした。現在時刻の予想も立ててみる。アラームが鳴る20分前くらいだろうか――枕元に置いた端末の操作して現在時刻を確認すれば、予想通りの時間だった。
 ふとした拍子に目が覚めて、今の時間を予想してから確かめてぴったりあてはまっていると、なんとなく嬉しい。体内時計が正確なのを実感して、少し誇らしくなる。とはいえ、誰に自慢するわけでもないのだけれど。
 これから鳴るアラームをキャンセルして、ベッドを抜け出す。顔を洗って着替えなどの準備を済ませる。いつもよりも早い時間だったけれど、そのまま部屋を出た。
 人気のない廊下を一人で歩く。深い呼吸を意識する。寝起きの体に酸素が行き渡るように。それでも、奇妙な高揚感はやまない。心臓が少しどきどきする。
 果たして、区画入り口にエルキドゥさんはいるのか――遠目からでも、誰もいない事が確認できた。エルキドゥさんより先回りできた事に、ある種の感動を覚える。衝動のままに走って区画入り口に飛び出す。
 エルキドゥさんがいつも立っている場所を眺めて、勝ち誇った気分に浸った。腕を組んでフフンと鼻で笑って、それからちょっと虚しくなった。毎日エルキドゥさんがしているみたいに壁に背中を預けて、あたりを見回す。
 廊下の右手側の先、5メートルくらいの距離を挟んで、エルキドゥさんがいた。思わずビクッと肩が震える。
 エルキドゥさんは何をするでもなく、その場に立ち止まっている。今ちょうどこの場に来たのかと思ったけれど、私を見つめる顔は戯れを含んだ微笑を浮かべている。なんだか嫌な予感がする。
 しばらく凝視していると、エルキドゥさんが足を踏み出した。私の方へ近寄ってくる。
「おはよう。今日は早いんだね」
「ええと……いつもより早く目が覚めたので。そういうエルキドゥさんもお早いですね」
「うん。がいつもより早く行動を始めたから、奇計かと少し驚いたよ」
 そう言って、エルキドゥさんは先程まで自分が立っていた場所を指差した。
「どうにもイレギュラーな事態だったからね、僕もイレギュラーに徹するべきかと思ってあそこでずっと伺っていたら、の面白い行動が見れた。良い収穫だったよ」
「い、いたなら声かけてくださいよー!」
「虚空に向かって誇らしげにする姿は、何と言うべきだろうね……現代の単語に当てはめると『永久保存版』と言ったところかな?」
「記憶から消してください! 後生ですから!」
 喚き散らしていると、エルキドゥさんはふっと笑って手を広げた。私はエルキドゥさんの顔と懐を見比べる。それらしく警戒してみたところで、エルキドゥさんの懐が多幸感に満ちている事を知っている私は悲しいかな、結局条件反射で飛び込んでしまうのだった。堪能する。
 食堂へ向かう。今日の朝食はトースト一枚とサラダとスクランブルエッグとスープだった。卵をパンに乗せて食べる。ごちそうさまをして、エルキドゥさんと二人でカウンターへ向かい、食器を返却する。
 ほぼ同じタイミングで、ブーディカさんがキッチンの奥から出てきた。昨日と同じように弁当を受け取ろうとするも、妙な違和感を覚えた。
 にこにこと笑顔を浮かべるブーディカさんの手の中は、からっぽだ。何にも持っていない。思わず首を傾げると、
「今日の分は僕が作ったんだ」
 隣に立っていたエルキドゥさんが、そんな事を言った。
「……へっ?」
 思わず凝視する。エルキドゥさんはどこかそわそわした気配を纏いながら、今しがたまで羽織っていた私の上着をおもむろに脱ぐと丁寧に私に着せた。そしてキッチンの中へするりと入っていく。
 ぽかんとしたまま、ブーディカさんに再度目を向ける。にこにこしている。
「ブーディカさん、これは夢ですか?」
 エルキドゥさんの繰り出した奇計に私は混乱を極めていた。自分のほっぺをつねりそうになる。
「ううん、現実だよ」
 ブーディカさんがゆるく首を振って否定した。
 エルキドゥさんが戻ってくる。その手には、昨日と一昨日ブーディカさんが持たせてくれたものと同じランチバッグがあった。見てくれは変わりないけれど、エルキドゥさんの手中にあるだけで、まるで違う物のように思えてくる。
「エ、エルキドゥさんがこれを作ったんですか?」
 尋ねる声が自然と震えてしまう。
「正直に話すと、僕一人だけで作ったわけではないんだ。でも、僕なりに頑張ったのは確かだよ」
 エルキドゥさんの顔を見る。はにかむように微笑んでいるけれどほんのり照れくさそうで、嘘偽り無くエルキドゥさん自身が頑張って手塩にかけたのだという確信が持てた。
 あのエルキドゥさんが誰かの手を借りながら、どういう顔をして、どんな手つきで、どういう風に作ったのか。想像するだけで、胸中に嬉しさと幸せが溢れてくる。
「わーっ! エルキドゥさーん!!」
 衝動のままに、真正面から抱きついた。エルキドゥさんはお弁当を両手に持ったまま、それでもびくともせず直立不動を保っている。安定感がすごい。
「すっごくすっごく嬉しいです! ありがとうございます! 大事に食べます!!」
の口に合うといいのだけれどね」
「絶対合いますよ! 合わないわけがないです!」
「自信満々だね。そう言ってもらえると嬉しいよ」
 返事のかわりに一度だけぎゅっと力を込めて抱きしめ、それからゆっくりと間合いを離した。エルキドゥさんにしては珍しくおずおずとした動作で差し出してきたお弁当を、しっかりと受け取る。エルキドゥさんが作ったお弁当という、その重みを確かめる。感無量だ。
「俄然やる気が出てきました! 今なら何でもできる気がします!」
「何でも……なら、褒めてくれるかい?」
「はい! エルキドゥさん凄いです!」
「もっと」
「天才です! 最高です! 一流です! よしよし!」
 片手を伸ばして、エルキドゥさんの前髪をかき混ぜる。混ぜてから、相当失礼な事をしでかしているのではないかとハッとしたけれど、
「……っふふ」
 エルキドゥさんは肩を震わせて、くすぐったそうに笑っていた。杞憂だったみたいで少しほっとする。撫で回してくちゃくちゃになった髪の毛を手櫛で元に戻して、手を下ろした。
 エルキドゥさんの顔を見ていると、どうしてか勝手に頬が緩む。自分では制御できない不思議な感じだ。
「それじゃあ、行ってきます!」
「うん、気をつけて行っておいで。それと、早く帰ってきてね」
「善処します!」


 を見送り、その姿形を視認できぬほど気配が遠ざかってもなお、エルキドゥは呆けたようにその場に立ち尽くしていた。ぽやぽやと満足げであった。
「あはは、成し遂げたみたいな顔してるね」
 ブーディカが声をかけてようやっと、エルキドゥは身じろぎ一つしてみせた。さながら緊張の糸が切れた様子で、か細く息を吐く。
「……なんだろう。達成感、いや、充足感というのかな? ……満たされたような気持ちだ」
「その分なら、色々収まったかな?」
「うん。今の所はね」
 ブーディカはふっと微笑み、台拭きでテーブルを拭きはじめた。
「あたしの主観だけどね、あの子、君以外は眼中にないと思うよ。実際、君の隣に立ってたあたしの事、ほとんど視界に入ってなかったみたいだしね」
 大して汚れているわけではないテーブルを丹念に拭きながら、ブーディカは言う。二人に気を使って無言を貫いていたとはいえ、あそこまで存在感がないものとして扱われてしまうと、呆れを通り越してもはや清々しさすら覚えた。
「お弁当の感想、楽しみだね」
「……どうだろう。は口に合うと豪語してくれたけれど、少し怖いな」
「怖い? キミが?」
 いったん手を止めて、ブーディカは顔を上げる。
がどういう感想を持つのか考えると……気持ちが過敏になって、切迫してしまう。極度の緊張状態とでもいえばいいのか、戦闘時の高揚とも少し似ている気がするね。君ならわかるのかい?」
「多分それはね、ドキドキしてるっていうんだよ」
「……どきどき?」
 首をひねるエルキドゥに、ブーディカは首を縦に振って頷いてみせた。
「うん、そう。心臓が波打ってる時にそう言うの。興奮してる時とか、動揺してる時とか、期待してる時とか、恐怖を感じている時とかに、人はそうなっちゃうんだよね。……よくわからないかな?」
「君の発言から察するに、喜怒哀楽の感情が過剰に振り切れると、自分の意思に反して身体がそうなるのかい? 脈拍および心拍数が早まる、と?」
「そんな感じ」
「そうか。なら、やマスターやマシュの心拍数が早い時の態度を見れば、理解できるようになるかもしれないな」
 エルキドゥはそう言って、神妙な面持ちで考え込む。そんなエルキドゥをブーディカはしげしげと見つめ、やがてふっと微笑んでみせた。
「こう言うと失礼だけど、キミって不便そうに見えて、その実とても便利だね。感情の取捨選択って言えばいいかな、そういうのは人間にはできないから。全部拾って覚えちゃう」
 言い終わる頃には、ブーディカの表情には苦いものが混じっていた。
「褒めてくれているのかい?」
「うん」
「……褒めてもらって悪いけれど、僕は取捨選択の段階にすら立てていないんだ。やはりどこか空虚なのだと思うよ。最近はそれを頓に感じる」
 すぐ近くにいても、どこか遠い感覚は拭えない。視界に映る景色と己が抱える心情の差異を思い出し、エルキドゥは自嘲気味に笑った。それがシステムの誤作動では無いことをエルキドゥはとっくに理解していた。それに、戯れに触れれば空々しさがある程度和らぐ事にも気付いていた。
 ブーディカはそんなエルキドゥをきょとんと見つめ、うーんと唸ってから。
「その、他人との違いを実感できるって事はね、裏を返せばそのうち理解できるようになるって事じゃないのかな? 本当に理解できないなら、その違いにすらきっと気付かないよ」
 ブーディカの何気ないささやかな発言は、するりとエルキドゥの内面に滑り込む。エルキドゥは目を見開き、やがて苦笑を浮かべた。
「そうだね……そうかもしれない」
「ふふ、頑張って。応援してる」
「僕にとって難しい事を簡単に言ってくれるね。……でも、僕次第だろうな。善処はしてみるよ」


 昼食を取りに休憩室に戻ると、乾燥した暖気冷えた頬を包み込むように出迎えた。
 作業にあたっていた先輩方が疲れた様子で工具を床に下ろすので、私もその隣に工具を置く。それから各自パイプ椅子に腰を下ろしてテーブルに突っ伏したり、飲み物を用意したり、お花を摘みに行ったりして一息ついてから昼食を広げた。
「あれ、だけ弁当が違う?」
「ふふん。今日はなんと愛情弁当です!」
 鼻高々に言えば、声をかけてきた女の先輩は合点がいったように頷いて、
「ああ……なんだっけ、キンケドゥさんだっけ?」
「違う違う、スクービードゥだろ」
「いいや、ジョンドゥだね」
 男の先輩二名も会話に混ざってくる。それもだいぶ失礼な具合に。
「ドゥしか合ってない! エルキドゥさんですよ!!」
「あーそうそう、エルキドゥさん。いやー、ごめんね、どうしても覚えらんないのよね」
「むしろすぐ覚えられる魔術派のほうがおかしいんだよ」
「数も増えてきたら、顔と名前が一致しないのなんの。同じ顔で別人とかザラにいるしな」
 だるだるな発言をする先輩方。実際、私もサーヴァントの方々の名前をほとんど覚えられないので、何も言えない。
 きっと、興味がないからだ。
 カルデアを離れたら最後、一生関わることのない縁遠い人たちに。
 現実で会う人の名前はすぐに覚えられる。でも、興味のない映画や漫画の登場人物は覚えるのに時間がかかるのと同じだ。稀に逆の現象を起こしている人も職員の中にはいたりもするけれど、使い魔であるサーヴァントを全て把握している職員は、魔術がからっきしの科学班には殆どいない。中には、無理して覚える必要はないと豪語して開き直る人もいる。
 その縁遠い英霊の中の一人であるエルキドゥさんが、こうしてお弁当を作ってくれたという事を噛みしめる。じんわりと胸中に広がる嬉しさと感動。涙がちょちょぎれそうだ。
「どんなの作ってもらったの? 見せてよ」
「わー、ちょっと待ってください。今開けますから、その前に一回だけ深呼吸させてください」
 すうはあと深呼吸。
「それ、必要?」
「はい。心臓バクバクしてますもん」
 と、斜め向かいに座っている男の先輩がおもむろに腕を組み、私に向けてにやっと笑った。
「わかるぜ、緊張するの。俺も彼女が料理作ってくれて嬉しかったし、それがクッソ不味くて心臓バクバクだったわ」
「先輩、その後半の情報いります?」
「不味かった時の感想を伝えるのは本っ当ーに悩むぞ」
「ふん、そんな脅しは通用しませんよ。私はありのままを伝える人間です。それにこのお弁当は愛情という名のスパイスが効いてるはずですからね!」
「大げさねー……」
「それじゃいきますよー。いざオープン!」
 和気あいあいな空気の中、弁当の蓋を開放する。
 どんな具合かなとワクワクしながら覗き込む私の左右から、先輩方も覗き込んでくる。
 形を確認した瞬間、どうしてかよくわからないけど、室内の空気に張り詰めるような緊張感が発生した。静まり返った空気は、呼吸のひとつさえも憚られるような気さえも起こさせる。
「……なにこれ? ねえ、これなに?」
「いや、これなにって、お弁当ですよ。……うん、お弁当です!」
 困惑気味な女の先輩の疑問に回答しつつ、私自身にも自己暗示をかける返答。我ながら名采配だと自画自賛するほど、ひどい混乱が生じていた。
 食べられる食品がつまっている。色合いもいいし美味しそうなのはわかる。
 問題は配置だ。ぐんにゃりしててよくわからない。特に中央のあたりがわからない。わかんないよぉ、エルキドゥさん……。
「前衛芸術のような何かを感じさせるな……」
「これって悪魔崇拝儀式の一種だろ? 俺、サーヴァントがそういう事やってる現場に遭遇したことあるぜ」
「先輩方、他人事だと思って散々に言ってくれますね……」
 場にいる四名で見つめること数秒、男の先輩がぽんと手を叩いた。
「わかった。、上下が逆だ逆。ひっくり返せ」
「あっ……こ、こうですかっ!?」
「おおっ!?」
 くるりとひっくり返すと、もう一人の男の先輩の口から歓声が上がる。
 ぐんにゃりしていたお弁当の配置が、不思議と輪郭を持ち始めた。
「……いや、わかんないわよ。なにこれ?」
「お前はくみ取り力を身に着けろ。多分キャラ弁とかいうやつだろう。まずこの薄焼き卵が地面を表してるだろ?」
「あっ……なるほどね」
「それじゃあ、これはお花ですよね?」
「だろうな」
 淡い黄色の薄焼き卵の上にまばらな配置で置かれた、卵の白身で作られた花が映える。というかお花のひとつひとつが物凄く小さい。どうやって作ったのか疑問に思うよりも、エルキドゥさんの器用な一面を垣間見たという感慨の方が強かった。
「ほほお。ならその下にあるブロッコリーは茂みのつもりか?」
「それなら輪切りの人参の説明がつかないわよ」
「マッシュポテトにコーンにパプリカ。まあ適当に野菜詰め込んだだけかもな」
 そして、私を含めた皆の視線が、中央に鎮座する物体に集中した。
 スライスチーズで出来ている。輪切りにした蓮根が添えてあり、海苔で縁取りがなされている。車輪のつもりだろうか。そして中央から上に向かって、細く長いものが伸びている。
「だから、何よコレ!?」
「んんと……大砲?」
 私の疑問に、男の先輩二人は曖昧に唸っていた。
「大砲にしては砲身が細すぎる。高射砲のたぐいに見えるんだがな」
「ガードと車輪がついてる。そして砲身の先、弁当の隅に配置されたハンバーグ。これがポイントだと俺は思うね」
「ガード? 盾みたいなのですか?」
「そう。盾と車輪付きで細身の砲身となれば、対戦車砲だろう。この形状だと1930年から40年代に生産されたものが当てはまる。そしてハンバーグは着弾時の爆炎を表現している。ケチャップは火かな」
 ありきたりなハンバーグだと思っていたからスルーしていたけれど、爆炎を表していると言われると、なんだかそう見えてくるから不思議だ。
「その年代に絞れば6ポンド砲が有名なんだけど、色がネックだな。……エルキドゥさんはどこの国の兵器が好きなんだ?」
「知らないです。というか聞いたことないですし聞こうと思ったこともないです。お二人共、どうしてそんなにお詳しいんですか?」
「は? 兵器は男のロマンだろ?」
「常識だぞ」
 当たり前のように言うから、困惑した。
「んんと……私、女なのでよくわからないです」
「あたしもー。……さーて、食べよ食べよ」
 それぞれの椅子に戻っていき、先輩方も自分のお弁当を広げた。お祈りを捧げたりもして、それぞれのペースで食べ始めている。
 私も食べようと思ったけれど、ポケットから端末を取り出して写真に収めた。念の為、三枚ほど撮影する。一枚の風景として完成しているお弁当の配置をあらためて眺める。エルキドゥさんの価値観は老成しているといえばいいのか、俗世間から離れているからこそなのか、やっぱりよくわからない。変な所にこだわりを持つんだなと思いつつ、それでも不思議と嫌なものは感じさせなくて、ちょっと頬が緩んだ。
 スプーンを手にとって、地面を表現しているらしい薄焼き卵におそるおそる突き刺した。崩すと中身が出てくる。みじん切りのピーマンだとか、玉ねぎが入ったケチャップライス。つまりこれは、オムライスということだ。香りもいい。不可解な要素に目を瞑れば、とても美味しそうだった。
 ごくりと生唾を飲み込んでから、スプーンでそっと掬って、一口食べてみる。
 飲み込んだそれが、じんわりとお腹の中に染み渡る。
「……もいひい……」
 びっくりするくらい美味しかった。

 仕事が終わると、真っ先に食堂へと向かった。案の定、いつものように出迎えたエルキドゥさんの姿を視界に認めると、猛ダッシュで飛び込んだ。無遠慮な接触を受け止めてくれたエルキドゥさんは、やっぱりすごく安定している。
 顔を見れば、いつもよりも嬉しい感じが二割増しみたいな、そんな微笑みだった。
「いつもはくたくたなのに、今日は元気そうだね」
「はい! すっごく美味しかったです!」
 エルキドゥさんの胸元に、ぐりぐりとおでこを押し付けると、
「そうか。それなら、よかったよ」
 安堵混じりに呟いて、私の後頭部をそろそろとした手つきで撫でてくれた。
「参考までに、点数にして何点か聞いてもいいかい?」
「はいっ! 5点です!」
「ごっ……」
 エルキドゥさんらしかぬ奇声とともに、目からフッと光が消える。そのままくずおれそうになる身体を慌てて支えた。
「わーっ!? 違うんです違うんです! 5点満点中、5点です! つまり100点満点!!」
「ま……紛らわしい事を言わないでくれるかい?」
「ちょっとした冗談のつもりでした。ごめんなさい」
「いや……うん、僕の方こそごめんね。初めてで満点をくれるとは、嬉しい限りだよ」
 エルキドゥさんは私の後頭部を撫でていた手を下へするりと滑らせて、背中をポンポンと叩く。離れるようにという合図だ。一度ギュッと抱きしめてから、身を離した。
「ほんとに、びっくりするくらい美味しかったです。でも、一つだけ聞きたいことがあります」
「何だい?」
 首をひねるエルキドゥさんに対して疑問をぶつける事に一瞬ためらった。それでも言葉を続ける。
「その……盛り付けがよくわからなかったです」
「そうか。どこがわからなかったのか具体的に教えてくれるかい?」
 エルキドゥさんの表情がいつも通りなのが、かえって私の不甲斐なさを刺激する。エルキドゥさんの事を理解している気になって、結局理解できないでいるという体たらく。いたたまれない気持ちになりながら、上着のポケットから端末を取り出した。昼間に撮った写真を画面いっぱいに表示してエルキドゥさんにも見えるように端末を傾けると、エルキドゥさんは目を丸くした。
「写真だね。わざわざ撮影したのかい?」
「はい。エルキドゥさんお手製のお弁当とか一生ものですから。待ち受けにして毎日眺めます」
「それは、ちょっと恥ずかしいかな」
「なら、エルキドゥさんの顔写真をください」
「それも恥ずかしいかな。また今度ね」
 エルキドゥさんから遠回しな撮影許可を頂いたところで、端末の写真を指で示して口を開いた。
「オムライスが地面を表現してたのはわかったんです。温野菜が茂みだとか、あと卵の白身で作ったお花はすごく可愛かったです。ただ、オムライスのとこにあったチーズの構造物がよくわからなくて……先輩方は対戦車砲だって言ってたんですが……」
「そこまでわかったのかい? すごいね」
 エルキドゥさんの声には、感心したような意味合いが混じっていた。
「あれをモチーフに決めた時、作業をともにしてくれた人に『女子にわかるわけないだろこんなん』と言われてしまったから、に伝わらないのは覚悟の上だったんだ。君の先輩の知見に感謝しなければいけないね」
「エルキドゥさんの感謝の念は私の口から伝えておきます。それで、モチーフに決めたあれとは?」
「8.8cmロケット発射器43型さ」
 前置きもなくサラリと言う。
「当たり前のように言われても、よくわからないです」
「主砲口径88ミリの対戦車ロケット砲だよ。第二次世界大戦において、大ドイツ帝国の指導者アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍で運用されていた」
「なるほど、わかりました。どうしてそれをモチーフにしたんですか?」
「有り体に言えば、僕の類縁だと……いや、これではあの兵器に対して失礼にあたるかな。類縁でありたいと思ったんだ」
 そう言って、エルキドゥさんは微笑んだ。優しい感じが二割増しの無邪気な笑顔に、うっかり見惚れそうになる。
「類縁? 対戦車ロケットがですか?」
「そうだよ」
「……う、ううん?」
 結論。エルキドゥさんは、奥が深い。


 キッチンのステンレス台。ブーディカは休憩がてら、そこに椅子を持ってきて腰を下ろしていた。台の上には分厚い本。付箋が貼られたページを開いたまま、神妙な面持ちで眺めている。本のタイトルは言わずもがな、例のアレだった。
「うーん、わからないなあ。どうして火砲をモチーフにしたんだろう?」
 首をひねっていると、横からすっとティーカップが差し入れられた。エミヤだ。
 そしてエミヤも自分が飲む分のティーカップをテーブルの上に置き、ブーディカの隣の椅子を持ってきて、腰を下ろす。ブーディカはこれ幸いと、エミヤに話しかけた。
「君は理解できる?」
「さっぱりだ。……と言いたい所だが、ロケット発射器43型には『プップヒェン』という愛称がついている。それが原因だろうさ」
「プップヒェン?」
「小さなお人形ちゃんって意味だ!」
 ステンレス台の反対側から、タマモキャットがぬっと顔を出した。
「お人形ちゃん? この火砲兵器が?」
「そう。人形と火砲、この二つはあまりにも似つかわしくない物だ。それでも兵士はこの兵器を『お人形ちゃん』と呼んで、可愛がって使っていたのさ。なにせ、自分らの生命線を握るものだからな」
 戦車で撃たれれば歩兵は文字通り木っ端微塵に吹き飛ぶ。運良く弾がかすめたところで、それこそ床に落としたスイカのごとく飛び散るのだ。歩兵にとって、戦車はとてつもない驚異であった。
 その戦車も年月が経つにつれ、薄い装甲は厚くなり、ボルト固定も溶接固定へと移り変わり、どんどん頑丈になっていく。そんな戦車に有効打を与える事が出来た量産機がプップヒェンだった。隠蔽もたやすく、歩兵にも扱いやすい。のちにはもっと扱いやすいパンツァーシュレックに改良され、戦後は設計図が売り飛ばされ、パトリオットミサイルへと進化を遂げてゆく。つまり、ロケットランチャーの先祖と呼んでも過言ではないものだ。
 まじまじと図鑑を見つめるブーディカに、エミヤは言葉を続ける。
「エルキドゥは神が造りし泥人形の兵器。そしてプップヒェンは現代人が製造し『お人形ちゃん』とあだ名を付けるほど親しんだ兵器だ。何か思う所があったんだろう」
「な……なんだか複雑だね」
 戸惑いがちに言うブーディカに、タマモキャットが追従するように頷いた。
「清廉さが振り切ってもはや聖域の様相を挺しているが、乙女回路は凡人のそれを上回る恥ずかしがり屋だからな。可愛がってほしいならそう言えばいいのにとキャットは思った」
「それはたぶん……慣れてないんじゃないかな」
 エルキドゥは儚げな容姿を武器に、しおらしく素直なふうを装ってはいるけれど、内側に潜めた自負心は相当なものだ。その矜持が、勝手にブレーキを掛けてしまうのだとブーディカは思う。現に、無闇矢鱈に他人を当てにしたりはしない。
「なんだ、戦闘蛮族のくせして色恋沙汰はウルトラ新兵か? ならこのアタシがビシバシ叩き込むか!」
「余計なことはしないの。キミがそんな事しなくても、きっと大丈夫だよ」
 ブーディカはカップに口をつけると、背中を伸ばしてやや身体を傾け、カウンターの大窓から食堂内部を覗き見る。
 とある一角のテーブルに、件の二人が、向かい合って座っていた。楽しそうに笑って談笑をしている。ブーディカはその光景を遠目に眺め、優しくも温かな笑みを浮かべた。