お気に入りのアーティスト

中島 みゆき
1975年(昭和50年)、小5学年生の時、「時代」に感動を受けてそれからと言うものズットファンで有り続けています。
デビューから「私の声が聞こえますか」「みんな去ってしまった」「愛していると言ってくれ」「ありがとう」
「親愛なるものへ」の5枚目まで辺りのアルバムが、私の心の歌として存在し続けています。
弾き語りのアコギも彼女の曲を弾いて8割覚えたと言っても過言ではありません。
私は{歌詞は暗くてこそ本物!}って、未だに信じて疑っていません。(笑) 心に染みます。
生まれて初めて行ったコンサートが中学の当時に平市民会館に来たでした。会場には中学生はおろか
高校生の姿さえも無く、子供目には、「自分から+10歳以上の方達が聞く音楽なんだなぁ〜・・・・」
って印象が強かったです。中学1年の男の子が聞くジャンルでは確かに無かったですね(爆)。
時は流れて、98年ごろに渋谷のシアターコクーンに「夜会」を見に行ったのですが、自分的には
コンサート的なものを期待して行ったら、芝居に歌をのっけた感じの舞台でのみゆき姫のトランス振りには
かなり引いてしまいましたが(爆)、未だに彼女の出すアルバムは当時から欠かさずCHECKしてます。
最近はミスチルの桜井が「糸」をカバーしたり、福山雅治が「ファイト!」をカバーしたりと男性ボーカルにも
受け入れられてて、「おっ!解ってんじゃン!!」ってチョットいい気持ち(^^)
好きなシンガーソングライターNo,1です。

浜田 省吾
1979年(昭和54年)の中学3年生の時にNSPのコンサートに行った時にチケットの半券に住所書く欄あったので
書いておいたら、暫くしてからコンサートの主催者から、無料招待券が送られてきました。
地元の平市民会館の脇の小さなホールの平文化センターにライブで来るそうです
丁度その頃はカップヌードルのTVCMで「風を感じて」が使われていましたので、
名前は聞いた事のある程度でした。高校受験真っ最中の時期でしたが、受験勉強なんて殆どした事ない私にとって
は、タダ券有るしって事で興味本位で足を運んでみました。3枚目のアルバム出た頃のツアーだったみたいですが
東北の田舎町では地元の方ではそれなり売れて、TVCMに起用されていても、平文化センターの小さいホールに
はザット数えて、30人位の観客しか居らず、またまた中学生は私だけ、らしき人も高校生も見当たりません。(笑)
主催者が余りに観客が少ないので、会場前の路上で1800円って書いてあるチケットを道行く人に無料で配ったり
していますが、会場に入ってくる人は殆ど居ない中、寂しいLIVEが始まりました。浜省も少し寂しそうな表情でした
が、まばらに座っている、30人程の観客に、「みんな、前のほうにおいでよ!」って声を掛けてくれて、みんなを
ステージに近い席に集めて(それでも、凄く寂しい状態)、今日は、ここに集まって来てくれた皆の為に、頑張ります
見たいな事を言って風邪をひいて居たみたいで鼻水をかみながらも、熱いステージをしてくれました。
曲は「風を感じて」のサビの部分しか知らない私でしたが、ロック系のアーティストの曲はそれまで余り興味が無く
て、好んでは聞かなかったのですが、バラード調のやフォーク調の曲のバランスと相まって、すんなり入ってきまし
た。私以外の観客も、浜省に対しての認識度は私と同じレベルの人ばっかりだと思いますが、ライブ中盤からは
皆ノリノリで、殆どの人が立ってノッテ聞いています。それこそ、私にとって
「♪イナズマがぁ〜俺のカラダ駆けぬけぇ〜♪」って感じで、ロックも良いなぁ〜って
思えた初めての出会いでした。ライブの終わりに浜省が、
「初めての土地で少ない皆だったけど、こんなに盛り上がってくれて ありがとぅ〜!来年も来るから応援してくれ!」
見たいな事を言って熱い気持ちのまま会場を後にして、翌日、レコード店に学校が終わってから直行して、
リリースされているアルバム3作のカセットテープを3本、オコズカい貯金を降ろして購入して、連日ウォークマンで
聞き込んで、友達にも宣伝しまくって、「来年来るから、応援してくれ!」の言葉を胸に心待ちにして、いわきに
来る事をひたすらズーーット待ってました。で、彼が再びいわきの地を訪れたのは、それから7年後の1986年(ToT)
このとき初めて、「社交辞令」って言葉を22歳に成った私は深く理解しました。(T^T)
そして彼が、7年振りのいわきで、しかも今度は大きな会場の満員の平市民会館のステージで言った言葉は、
「僕は、このいわきの土地に来たのは始めただけど、こんなに多くの皆が集まってくれて・・・・・」・・・・・・・って
そりゃぁ〜無いぜ!!!浜田さん。(爆)
それでも、僕はこの歳に成っても好きです(TT)。愛とは見返りを求めない物だから〜・・・・・・・・
自分の青春時代の思い出は彼の歌とともにって感じですね。      ♪そして今でも〜!

長渕 剛
彼がデビューした1977年(昭和52年)。彼と同期のデビューは、松山千春、永井龍雲と3人とも
未だにシンガーソングライターを続けてくれています。
私、中学1年でギターを始めた年でも有りました。剛のデビューは衝撃的でした。周りのシンガーソングライターと
比べて、一人での弾き語りでのギターのテクニックが、別格の様に感じました。ストロークの斬り方、ハーモニカの
フレーズのかっこ良さ、全てにおいて圧倒されました。当時のアコギ少年はコゾッテ彼の曲を練習していた
感じがします。スリーフィンガーの曲をアルバムのようにそれっぽく弾ければ、当時の中学生レベルでは
かなり上手くギターが弾ける位置に友達の間でランキングされましたから。私も、デビューアルバムの
「風は南から」始めに「逆流」「乾杯」「Bye-Bye」辺りまでは好きでギターテク向上にと良く弾いてました。
今の剛は、デビュー当時の痩せっぽっちでヒョロっとした感じの当時から想像も出来ないほど
マッチョな肉体改造をして、ぱっと見は別人ですが、当時からの熱さは更に磨きが掛かってますね。
私的には最近、仕事の合間に頻繁に足を運んでいるいわき駅前のギターショップ ヘビーゲージ社長
超強力な剛のファンで、剛に関わる事では知らない事が無い上に、プレーヤーとしてもレベルが高い事も
相まって、剛風のギターの弾き方講座を押しかけてご教授してもらってます。
なので、最近は元々好きだったことも相まって弾いたり聞いたりする比率が昔みたいにかなり高くなってきました。
剛のお気に入りのギタリスト笛吹利明氏も、彼のお店でお会いしてサインを頂く事が出来ました。
浜省にも関係したギタリストだったので凄い幸せ!

私としまして、幸せだなぁ〜と思う事は、ガキの頃から好きだったアーティストが
今現在も第一線で活躍して、くれている事です。自分の人生と共に曲を提供してくれていて
それが今でも持続して行ってくれている事。これからもそうでありますように!!

etc
ギターインスト系では
内田勘太郎・・・・・いつかはブルース系のカッコイイ曲を弾いてみたいです。 
岡崎倫典・・・・・・・ギターインストの雰囲気としては倫典さんの曲調が一番性に合います 
押尾コーターロー・・・いろんな意味でこの人がメジャーに成った功績は大きいですね。 

シンガーソングライター系
山崎ハコ・・・・暗すぎてキツイ部分ありますが、心に残る歌が多かったです「飛びます」は、かなり高ポイント!

永井龍雲・・・ハイトーン過ぎて、オリジナルキーでは歌えませんが、25年振りに05’8月にBar Queenで見た
彼は、当時のハイトーンのままで圧巻でした。

鬼束ちひろ・・・久しぶりに好きなアーティストが出てきました。歌詞は宗教めいていますが、いいところ衝いて来ます


基本のPOP’s
カーペンターズ・・・・何をおいてもこの兄妹たちは最高です。未だに色褪せないメロディー
自分が英語の歌詞を歌えたらどんなに幸せな事か・・・・モット学生の頃に英語勉強しておけば良かった(TT)



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