SCRAP METAL
P3







 ヨナと手をつないで歩いた。千切れた左腕が中途半端にぶらさがり、ときどき指が地面にこすれた。痛みはない。ただ音がした。重い音だ。出力制御から解き放たれた左腕は、本来のチタンとカーボンの重量を取り戻している。もはや人間のふりさえできない単なる「物体」だった。
 大丈夫、と、一度だけヨナが言った。答えるかわりに、わたしはことさら大きく肩を振り、ケーブルの先の腕を跳ね回らせた。ヨナの苦笑が聞こえた。呆れたというふうではなかった。むしろ手の焼ける妹をいつくしむようなニュアンスが感じられた。気のせいだろうか? それでも、嬉しかった。根拠のない安心感があった。それは懐かしい感じだった。
 人気のない夜の街を、あの人とこうして手をつないで歩くのが、わたしは好きだった。言葉にしたことはなかったけれど、たぶんあの人もそうだったと思う。だからたびたび誘ってくれたのだと思う。
 むろん、ヨナはあの人ではない。顔立ちも似ていない。背丈も違う。ヨナがよこしまな人間の手先でないという保証もない。行き着く先は娼館かジャンク屋か、あるいは不法廃棄物処理班の溶鉱炉か。そんな芝居がかった可能性も、疑って疑えないことはない。けれど、そんな疑惑は、考えるだけでもばかばかしい気がした。わたしはあの人についていくようにヨナについていった。
 ヨナは廃棄場の奥へ奥へと進んだ。通いなれているのだろう、足取りには確信があった。フェンスの破れ目から敷地の外へ出る。
 たどり着いたのは一軒の工場だった。
 元は工場だった廃墟、と言ったほうがいいかもしれない。
 分厚いシャッターもあちこちで塗装が剥げ、剥離した塗膜の下から錆が噴き出している。敷地内のコンクリートはひび割れ、雑草が茂っている。まともにガラスのはまっている窓は見たところひとつもない。
 わたしは皮肉な笑みをヨナに向けた。ス・ク・ラッ・プ、と、声は出さずに唇を動かした。ヨナは黙って肩をすくめた。シャッターの横手にまわりこんで、通用口のドアを開ける。ドアの軋む音が夜のなかに大きく響く。
 ヨナにつづいてドアをくぐった。不思議とこころは軽かった。スクラップ、と、もう一度、今度はふしでもつけて声に出したい気分だった。
 廃工場のなかは外観から想像していたよりはるかに広かった。そうしてものの見事に空っぽだった。もとはいくつもの工作機械が並び、できあがった部品が積み上げられ、たくさんの工員が働いていたのだろう。しかし今は何もない。打ちっぱなしの床には、剥落したコンクリートが瓦礫と化して散乱しているだけだ。壁際に錆びた鉄鋼が複雑に入り組んだ通廊を形作り、太いコンクリートの柱列が古代の神殿のようにそびえている。
 足音がうつろに響く。
 わたしの左腕もそれまで以上に硬質な音を響かせる。
 そしてヨナの膝関節の軋みと、動力部の駆動音。
 殷々とした残響を残すそれらの音は、かつてこの工場で稼動していただろう工作機械や特殊車両のたてる、遠いこだまのようにも思えた。われしらずヨナの手を握る手に力がこもった。
 ヨナは一枚のドアの前で立ち止まった。足音が最後の反響を残して消える。元は事務所か何かだったのだろう。飾り気のない簡素なドアだ。中から光が漏れている。そして声。くぐもってよく聞き取れないが、誰かに話しかけているようだ。ときどき、楽しげな含み笑いがまじる。
 わたしは問いかけるようにヨナを見た。ヨナは安心させるように微笑んだ。
 ドアを開ける。
「ヨナ?」
 声がして、二つの顔が振り返った。
 髪の長い二人の少女。
 でも、どこか不自然だった。
 開いたドアから流れ込む空気に、オレンジ色の光が揺れる。その瞬間、また別の誰かの視線を感じて、わたしは反射的に身をすくめた。
 さして大きくもない部屋を埋め尽くすように、無数の人影が、または人のカタチをしたものが、居並んでいる、折り重なっている、ひしめいている。いったい何人の人間が、または何体のロボットがいるのだろう? だが、それらはどれも生きてはいない。稼動してもいない。ある者は人工皮膚のほとんどを失ってマネキンめいた内部フレームを露出させている。ある者は腰から下を失って、人工骨格や動力パイプをさらけだしている。ある者は四肢を失ったトルソーのように不安定に他のモノに寄りかかっている。
 すべては残骸だった。動いているのは生命のない炎だけ。光源は無造作に床に置かれたアルコールランプだった。オレンジ色の炎がわずかの風に大きく揺れる。そのたびに、壁一面に無数の影法師が踊っていた。



「ここは・・・・・・?」
 わたしはヨナを見た。
 ヨナが答えるより先に、少女の声がした。
「あら、新しい子を連れてきてくれたの?」
「この子は違うよ」ヨナが苦笑した。「お化粧には興味があるかもしれないけどね。――その子は、オフィーリアかい」
「ええ、きれいになったでしょう」
 嬉しそうに笑いながら、少女はもう一人の少女をこちらに突き出してきた。
 同系統のモデルらしい。双子のようによく似ている。ただ、一方の少女、オフィーリアと呼ばれたほうには、首から下がなかった。チタンの頚椎と動力パイプ、光ケーブルの束が力なく垂れ下がっている。焦点を失った瞳がアルコールランプの光をただ反射し、瞼ももはやまばたきをしない。
 そんな動きのない顔に、けばけばしい厚化粧がほどこされていた。唇も目元も頬も、原色のペンキでも塗りたくったように大げさで、まるでピエロだ。
 それでも少女は得意げだった。顔を輝かせてヨナを見ていた。
 ヨナは目を細めた。
「毎日お化粧をするんだね」
「そりゃあそうよ、女の子はいつだってきれいにしていなくちゃ」
「そう、じゃあ、オフィーリアも喜んでいるね」
「うん、嬉しいって」
 少女がオフィーリアを抱きしめる。ヨナが手を伸ばして、その頭をなでる。少女は目を細めて頭をかたむけ、自分からヨナの手にこすりつけてゆく。
 わたしは嫉妬に似たものを感じた。錯覚に違いない。あの人専用にチューニングされたわたしが、ほかの誰かにそんな感情を抱くはずがない。それなのに、唇をとがらせてヨナを見ることを、なぜか、やめることができなかった。
「紹介するよ」わたしの視線に気づいたように、ヨナが言った。「マリアとオフィーリア。マリア、この子は――」
「アナ」わたしは名乗った。
「あら、アナだったの。お久しぶり。仕様を変えたの? 気がつかなかったわ」
「違うよ。別のアナだよ」
 ヨナが訂正する。
 けれどマリアには通じなかった。
「うそよ、アナだわ。あたし知ってる。覚えてるわ。かわいい子だった。でも本当は意地悪だった。一番の売れっ子で、いつだってそれを鼻にかけてあたしたちをバカにしてた。『寝転がって股を開いてるだけでどうするの、もっとちゃんと“営業”しなきゃ、お店で使い潰されるなんてごめんだわ、閉店と同時に電源を落とされるなんてイヤよ、わたしは外の世界が知りたいの、お金持ちのお客に気に入られて、買い取られて、大切にされて、人間の女の子みたいに幸せに暮らすの』って夢みたいなことばかり言ってた。人間の女の子なんて見たこともなかったくせに。本物のお金持ちが娼館の使い古しになんか手を出すはずがないのに。きっとプログラムが狂っていたのね。突然、お店からいなくなった。廃棄処分されたのよ、いい気味だわってみんな言ってた。でも本当にいいお客に買われていったのかもしれないって、思ってもいたのよ。――ほらね、あたし、覚えてるわ。忘れてない。あたし、壊れてなんかないわ。まだちゃんとしてる。お仕事だってできるんだから」
 ゴトッ、と、音をたてて、オフィーリアが床に落ちた。そのままわたしの足元まで転がってくる。まばたきをしない目がわたしを見上げた。
 マリアはヨナの首に両腕をまわし、力任せに引き寄せながら、背中をそらして懸命に伸び上がろうとしていた。瞳に欲情の色をたたえ、唇を突き出し、身をくねらせながらヨナを求める。けれどヨナは目を閉じ、辛そうに顔を歪めながら、マリアのしぐさに抗っていた。
 ああ、そうか・・・・・・
 わたしは腑に落ちていた。
 これが“娼婦”というものなのだ、と。
 情報工学の発展がその果てに模擬人格の構築を可能にしたとき、わたしたちのような機械が生み出されることはおそらく必然だったのだろう。そしておそらく、その用途に性という領域が含まれることもまた、当然すぎるほど当然ななりゆきだったに違いない。外観も性格も、声も、しぐさも、匂いさえも、意図したままに構築可能な人型機械・・・・・・世界初のセクサロイドは、ばかばかしいほどに高価で、かつ稚拙なものだったという。それでも飛ぶように売れたそうだ。その後のバージョンアップの果てにわたしたちがいる。富裕層はこぞって愛玩用の機械を買い求め、庶民は娼館に通って安価な快楽を得る。ときどき思い出したように抗議行動が起こる。人型機械の“人権”について、特定目的のための人型機械の使用規制について、人型機械の実用化に伴う倫理的価値観の混乱について・・・・・・それらの活動が実を結んだという話は聞いたことがない。
 わたしはマリアを見つめながら、特別な表情を浮かべないように努めた。
 わたしがマリアを哀れむことも、蔑むことも、間違っているのだと思えた。
 マリアは誰にでも体を開く。わたしはあの人専用だ。だからといって、何が違うというのだろう。二進数の数列がほんの数行書き加えられるだけで、わたしにもマリアと同じことができるようになるのだから。ヒトの欲望に奉仕する機械仕掛けの玩具。そのなれのはてがマリアであり、わたしなのだ。
「やめろ!」
 突然、鋭い声がした。
 つづいて、重いものが倒れる音。金属とコンクリートが打ち合う音。
 床に倒れふしたマリアが、何が起きたのか理解できないような表情を浮かべていた。
 視線を転じると、両腕を突き出したヨナが、肩を上下させながら、荒い呼吸をくりかえしていた。動力部がいつも以上に耳障りな駆動音をたてている。何が起きたのかは明白だった。ヨナは“ママ”専用のカスタムモデルだ。他の女が無理強いをすれば回避プログラムが起動する。
 マリアの顔にも理解の色が浮かんだ。目じりから大粒の涙があふれだす。しゃくりあげ、声をあげて泣いた。頑是ない子どものような手放しの泣き方だった。われにかえったヨナが、マリアのかたわらに膝をつき、ごめん、とくりかえしながら、手をさしのべる。マリアは“いやいや”をしながらその手を振り払う。何度か同じような身振りをくりかえしたあと、ようやく二人は抱き合った。マリアはヨナの胸に顔を埋めて泣き続ける。ヨナは悲しい目をしてマリアの髪をなでる。結ばれない二人。正確無比な機械仕掛け。人間同士なら悲劇仕立てになったのかもしれない。けれどすべてが人為的なプログラムの帰結にすぎないのだとしたら、滑稽な愚劇がいいところだ。
 人間たちの嘲笑が聞こえるような気がした。いや、笑っているのは部屋を埋め尽くす残骸たちかもしれなかった。乱れた空気に影法師が揺れる。いつまで人間のふりをしているつもりだ、と、そんな言葉さえ聞こえた気がした。

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