SCRAP METAL
P2




 あれからどれくらいたったのだろう。
 いつのまにか日は沈んでいる。
 猫たちもどこかへ行ってしまった。
 暗いなかに錆びた鉄とオイルの臭いがただよっている。
 月は出ていない。
 街の灯もここからは遠くて、周囲の空を濁った赤に染めているだけだ。
 暗視機能を備えていないわたしにはもう物の形もよくは見分けることができない。
 眼下の墓地も、今はもう、ただ濃淡のない一面の黒にしか見えない。
 寒い、と、センサーが告げる。
 わたしは目を閉じた。残った右腕で膝を抱える。
 身にまとった唯一の衣服であるあの人のワイシャツが、鼻先を、頬をこする。
 あの最後の夜、あの人がこのシャツを着せてくれた。それからずっと着たままだ。初めのころ、わたしを安心させもし、悲しませもしたあの人の匂いは、とうにしなくなっている。“人間なみ”の嗅覚センサーに感知できるのは、生地にしみついた錆と泥とオイルの臭いだけだ。
 本当に、あれから、どれくらいたったのだろう?
 わたしはいつまでここにいるのだろう?
 それほど長いあいだではないはずだ。
 定期的なメンテナンスを受けることができない以上、遠からず機能停止するしかない。現に以前あの人が修理してくれた左腕はほんの些細な衝撃で破損した。破損箇所から侵入する塵が、埃が、水分がわたしの駆体を蝕んでいく。わたしはただ待っていればいい。いや、本当は待つ必要すらない。ただ稼動していればいいのだ。
「いい、はずなのに・・・」
 身を固くして顔を膝に埋める。
 自分に言い聞かせた。
 わたしは生きてはいない、稼動しているだけだ。
 わたしは人間ではない、人間を真似て作られた機械にすぎない。
 それでも、メモリに、いや、耳の奥に、今もあの人の声が残っている。
『海へ――』
 やめて、と、“こころ”のなかで叫んだ。今さらあんな人間じみた約束に何の意味がある?
 わたしが海を見たいと望んだわけではない。あの人が見せたいと望んだだけ、そして所有者の望みにこたえるのがわたしの役目だっただけだ。
「もういい」と、わたしはつぶやいた。「もうオシマイ・・・・・・」
 声が聞こえたのはそのときだった。
「やあ、お仲間みたいだね」
 内部記憶の音声ファイルが再生されたわけではない。まちがいなく現実の声だった。
 わたしは顔を上げた。
 暗闇のなかに人影が立っていた。
 いや、人の形をした影、だ。
 遠い街の灯に薄赤く染まる空を背景に、黒い影はただ立っている。しかし、そこにはかすかだが、たえまない駆動音が伴われていた。本来なら聞こえるはずのない音。それはその影が人間ではない証、そして長期間にわたってメンテナンスを受けていない証拠だった。
「スクラップ仲間、というわけ?」
 嘲るように、わたしは言った。そういう言い方しかできなかった。
 相手は苦笑したようだった。ひときわ大きな駆動音をたてながら近づいてくる。片足をひきずるようなギクシャクとした動作だった。そうとうガタがきている。いずれわたしもそうなるのだ、そう思うと少し怖かった。そんな人間まがいの恐怖を作り出す感情プログラムが恨めしくもあった。もちろん、恨めしいという感情も、同じプログラムが作り出した擬似信号でしかないのだけれど。
「自虐的だね」
 相手は立ち止まった。手を伸ばせば届く距離だ。それだけ近ければさすがに暗闇のなかでも姿かたちを見て取ることができた。十四、五歳という設定だろうか。ほっそりした少年型の駆体。少し意外だった。
 女性型に比べて、男性型のロボットは、愛玩用の需要が少ない。しかしそれだけに持ち主には長く大切にされると聞いている。事実、少年型の廃棄ロボットなどほとんど見たことがない。
 わたしはかなり長いあいだまじまじと“彼”を見つめていたのだろう。相手はもう一度苦笑した。それから、話しはじめた。
「僕の名前はヨナ。意味なんて知らない。はじめて会ったときからママは僕をそう呼んでいた。僕ではなく、僕の向こうにいる誰かを呼んでいるように聞こえることもあった。たぶん、少し狂いかけていたのかもしれない。体も弱っていた。珍しい話じゃない。僕たちは安い買い物じゃない。世間に自慢できる買い物でもない。僕たちみたいな機械を個人所有したがる人間に、事情がないほうがおかしい。でも僕は知らない。僕にとってママはただママだった。それがママの望みでもあった。ママは微笑って逝ったよ。そのときにはもう、ほとんど意識もなかったのだけれど、手を握ると、握り返してきて、最後に一度だけ『ヨナ』って言ったよ」
「それが何?」
 わたしの声は自分でも驚くほど刺々しかった。
 しかし相手は気にするふうでもなかった。聞いてさえいないようにも見えた。
「僕はママの遺品になった。知らない小父さんにひきとられて、大きなお屋敷に一人で暮らした。その小父さんとはそのとき一度きりしか会っていない。嫌われていたんだろうね。すぐに廃棄されなかったのは、たぶん、ママの遺言だったんだ」
「それで? だから何よ?」
「それで? それで僕はここにいるよ。自分の手でお屋敷の門を開けて、自分の足で歩いてきた」
 少年が腕を上げた。
 暗闇の彼方を指差す。
 その方向に何があるのか、わたしは知っていた。
「ママはあそこに眠っているんだ」
“ヨナ”が振り返った。わけ知り顔に微笑んでいる。声には無神経なほど屈託がない。それが無性にいらだたしかった。
「それで君は? 君はどうしてここにいるの? ここはごみ捨て場だよ。君はゴミなの? 捨てられたの?」
 違う、と、わたしは叫んだ。
「捨てられたんじゃない、捨てられてなんかない!」
 堰を切ったように言葉があふれだした。自分でも止めることができなかった。こんなふうに“感情”を爆発させるのは久しぶりだ。
「あの人はわたしをかわいがってくれた、大事にしてくれた、好きだって言ってくれた、ずっと一緒だって言ってくれた、わたしは機械だからってわたしが言うとそんなことを言うんじゃないって叱ってくれた、そして海へ行こうって約束するの、いつか海を見せてあげるよ、ヒトは海から生まれたんだよ、だからヒトは海が好きなんだよって、きっとオマエも海が好きになるよって・・・・・・だってわたしは、わたしは・・・・・・!」
 あとはもう言葉にならなかった。
 わたしはむせび泣いた。
 何をやっているのだろう?
 自分でもそう思った。
 人工の涙を流す自分を見つめながら、急速に冷めていくもう一人の自分がいるようだった。
 ヨナの視線を感じた。わたしは顔を上げることができなかった。だから、彼がどんな目つきでわたしを見ていたのか、知らない。
 ただ、次に口を開いたときのヨナの口調は、不思議なほど晴れ晴れとしたものだった。
「ほら、やっぱりお仲間じゃないか」
 わたしは虚をつかれた。反射的に顔を上げて彼を見た。
 ヨナは微笑んでいた。
 あの人みたいだ、と、一瞬だけそう思った。
 そのせいかもしれない。
「君の人も、あそこに眠っているの?」
 そう訊かれたとき、思わず、素直に頷いていた。
 ヨナはかがんで、わたしに手をさしのべてきた。
「行こう。ここはごみ捨て場だよ。君の居場所じゃない」
 わたしはかなり長いあいだ、ヨナの手のひらと顔を、かわるがわる見ていたと思う。
 けれど、ついにはその手をとった。


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