| タタタ タタタタ モ456 YRセ (敵艦隊見ゆ 456地点 信濃丸)
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2005/3/10 日本海海戦100周年に思った私的史観
19世紀から20世紀初頭にかけて、東アジアが草刈り場の様相を呈するのは、
中国が大国でありながら内政混乱にあって列強に隙を見せ続けていくことにあ
り、明治維新が早く進んだのも、清国の悲惨な現状を見て、日本が危機意識を
持ったためてす。これがすべての始まりでした。
私は、世界の海戦史において、もっとも有名なものは何かと問われれば、180
5年10月21日の英国ホレーショ ネルソン提督のトラフィルガー沖海戦と、190
5年5月27日、日本の東郷平八郎元帥の日本海海戦と答ます。そして本年は、
日本海海戦100周年であります。帆船と蒸気の違いがありますが、ともに航空
機が関与しない軍艦のみの海戦でした。ロンドンのトラフィルガー広場には、遙
かに見上げる円柱の先にネルソン提督とは判別しがたい銅像が立っています。
(あまりに上部なのでよくわからない。)トラフィルガー沖海戦でネルソン提督がイ
ギリスを救ったとして、英国人の誇りと感謝の気持ちの証でしょう。同様に、日本
海海戦で東郷提督は日本を救ったのです。日本人の誇りと感謝の気持ちで、各
地に東郷神社がありますし、横須賀には銅像が立っています。(ただ、ネルソン
はその海戦で戦死し、東郷平八郎は凱旋し天寿を全うします。この違いは、その
後の両国の海軍史に少なからずの影響を与えたと思います。)明治維新を達成
して間もない極東の小国と思われていた日本が、当時も今も超大国のロシアの
艦隊を世界の予想を覆して全滅させたのですから、世界の弱小国に与えたその
衝撃は大変なもので、孫文の辛亥革命にもつながっていきます。
1905年5月27日未明、仮装巡洋艦信濃丸から「敵艦隊見ユ」の「タタタ タタ
タタ」で始まる暗号電文が打電せられ、27日旗艦三笠から広島呉の大本営へあ
の有名な「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ連合艦隊ハ、、、、 本日、天気明朗ナレ
ドモ波タカシ」の打電、ネルソンのトラフィルガー沖海戦時の信号趣旨からあげら
れたともいわれている「皇国ノ荒廃コノ一戦ニアリ、、、、」の旗艦三笠のZ旗、緒
戦からの完璧な日本帝国海軍の勝利、これは、だれも知っている話であります。
しかし、本年がその100周年であることは、たぶん、ほとんどの人は知りませ
ん。それには、この戦争により手にしていく満州の利権保持が、ついに太平洋戦
争での破局を招いたとして、思い出したくないと思う人が多いからでしょう。しかし
今にして思えば、日露戦争は避けられない大きな世界史の渦みたいなものを感
じるのですが、太平洋戦争は土壇場で避けることが出来た戦争であったような気
もします。満州の問題は、平和的に英国が香港の利権を中国に返還し、アメリカ
が沖縄を日本に返還したように、世界史の流れの中で日本も満州の利権を中国
に返還できたかもしれんと思うのは夢かな、、、。 東郷平八郎は大国ロシア海
軍と戦い勝ち、山本五十六は大国アメリカ海軍と戦い負けました。ともに、今も昔
も両国は超大国であります。そして、極東の小さな島国の日本が、この超大国と
それぞれに戦うことになった歴史に思いをいたすとき、今更ながら深いため息を
つかずにはおられません。いまあることに対し、先人の苦労に感謝し、戦没者の
英霊に対し心より冥福をお祈り申し上げます。
「征韓論」は、日本の幕末のような鎖国状態の朝鮮に肩入れして、朝鮮を独立さ
せなければ、やがてロシアの属国に落ちて、日本はロシアに圧迫され、西欧列強
に包囲されるという危機意識の1つの表現ですが、中国清朝も半島国家朝鮮は
自分の属国と思っていましたから、日本が朝鮮にいろいろと手出しすることを嫌
うわけで、日頃から、なにぉ小癪な日本という思いは強かったでしょう。(余談/
北朝鮮は今も実は大国中国の属国だと思いませんか。中国が属国とみなす国
家に核を持つことを許す道理がないとおもうのですが、、、。)日清戦争で、当時
強力と思われていた中国の北洋艦隊を世界の予想に反して日本艦隊が殲滅さ
せ、小国日本が朝鮮半島から「眠れる獅子」中国を排除したことで、中国清朝は
その弱体ぶりをロシアと世界に示すこととなり、ロシアと日本とが直接対峙し、バ
ルチック艦隊が極東に回航するに及んで、日本海海戦という状況が生まれま
す。
最近、博多から船で上海経由して南京まで、長江を遡る機会を得ました。船中
幾度も中国と朝鮮半島の地図を見ることになりましたが、釜山、旅順、青島、上
海、南京、天津など諸都市は、日本から見て絶好の位置にありますね。香港、台
湾を加えてみんな海で繋がっています。不謹慎ですが、当時の日本としては、列
強諸国と同じように中国大陸に野心が芽生えたのも分かる気持ちになりました。
本当は、アジアの一員として、アジア民族と力を合わせて列強の進出を阻止し、
アジアを救うというのが大儀でありましょうが、それはちょっと今は無理だとする1
885年の福沢諭吉の「脱亜論」は、大変露骨だけど妙に迫力があります。一方、
英国は世界史の恥としか言いようのない阿片戦争をてこにして、香港、上海と海
路を延ばしていきますが、さらに長江を遡って南京、さらに遡って重慶へ、出来
れば黄河も遡って天津とその上流へと野心を膨らませて、川沿いの街を砲艦外
交で手中に納めていきたい衝動を持っただろうと簡単に想像できます。かつてバ
イキングが海を渡り大陸の川筋の街を攻め上っていったように、、
先日、XX理事長とともに、日本海海戦100周年の縁で海上自衛隊XX基地を表
敬訪問いたしました。その折り、応接室正面に東郷平八郎元帥の書「一死報国」
が掲げてありました。この書は日本海海戦の先のものか後のものがどちらでしょ
うとの質問に、それは承知しないが、「一死報国」ではなく「一生報国」ではないの
かというのが最近の話ですというくだりがありました。まことに同感です。書の「一
死」は、"よく死する者はよく生きる"という日本武士道の表現の一つでありましょ
うが、その"よく生きる"を強調するための前段が、ともすれば前段のみが強調さ
れ後段が欠落するに至り、海軍特別攻撃隊をはじめとする諸々の決死隊の悲劇
に至った気がします。東郷元帥は、帝国海軍内のみならず、日本国民に非常に
影響を与えた明治の傑人でありますが、その元帥が「一生報国」と訓辞されてお
れば、これまた少し日本人の精神性が変わっていたかもしれません。
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