GUNROOM
士官次室


新渡戸稲造 「武士道」 序文書出について思うこと

約十年前、私はベルギーの法学大家故ド・ラブレー氏の歓待を受けその許で数 日を過ごしたが、ある日散歩の際、私どもの話題が宗教の問題に向いた。「あな たのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この敬愛すべ き教授が質問した。「ありません。」と私が答えるや否や、彼はうち驚いて突然歩 を停め、「宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか」と繰り返し言ったその 声を私は容易に忘れ得ない。当時この質問は、私をまごつかせた。私はこれに は即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは、学校で 教えられたものではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している 各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹き込んだものは 武士道であることをようやく見いだしたのである。 ・新渡戸稲造{武士道}序文書

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2006/8/1

本日NHKで日本人のマナーがおかしくなっていると特集をしていました。最近 は、親殺し子殺し放火死体遺棄毎日何でもありの狂乱の世界が繰り広げられて います。マナーが悪いどころの話ではありません。日本人が狂い始めている。

新渡戸稲造は、自分の正邪善悪の観念を形成しているのは武士道だと申しまし た。それでは私自身の正邪善悪の観念はどこからきているのでしょうか。私がま だ小さいとき、祖母と同居していました。祖母は、食事作法をうるさく言う人でし た。箸の使い方から、食事中の作法、ご飯粒のありがたさ等。アルバイトなんか も嫌っていました。男子たるもの金儲けみたいなものに汲々ととするな、どうして も必要なものならば婆さんが買ってやる、言って見よ、というわけです。実際買っ てもらった記憶はありませんが。嘘をつくな人様に恥ずかしくないようにというの もよく言っていました。子供心に正邪善悪の観念の枠組みが作られていたように 思います。近所の子供ともよく遊んでいたので、そういう子供の遊びの中からも、 卑怯とかズルはダメとかの正邪善悪の観念の枠組みができていったのでしょう。 では、祖母の正邪善悪の観念は、どこからきていたのでしょうか。祖母は晩年仏 教に大変興味を持っていたようで、枕元には「大法輪」という月刊仏教雑誌がい つもありました。祖母は若くして夫と死に別れした百姓でした。
家は浄土宗ですが、彼女が惹かれていたのは日蓮宗であったようです。母が祖 母の代理で日蓮宗の寺にお参りにで時行っており、その折り連れて行ってもらっ ていた記憶があります。
浄土、日蓮、禅 の各宗派は、鎌倉時代にできた新興宗教です。中でも禅宗は 武家世界と相性がよく武士に大きな影響を与え続け、剣禅一致とか、柳生新陰 流とか、その武力の精神的基盤をつとめ続けていくことになります。

祖母の場合、確かなものとした上の武士道ではないく生活の中で見聞きした、百 姓が武士階級の文化を垣間見、見習った正邪善悪の観念だと思い当りまし た。。
新渡戸も祖母も、ともに明治の人です。実は、江戸末期には、精神文化として町 人百姓にまでも、武士道のエッセンスが染みこんでいたのではと気づきました。 新撰組なんかいい事例です。彼女はその時代の影響を受けて、美しいものはど ういうものかを掴んでいた。

私の両親は、共に他界しましたが、大正の人です。あまり祖母のようなことは言 わなかったし教訓も垂れませんでした。太平洋戦争で大負けしてしまったので、 この世代の人はおおむね自信喪失でしょう。武人否定ですから、武士道も軽んじ られます。拠るべきものを失った世代です。次の団塊の世代になると、経済中心 主義商人肯定武人否定の価値観で走ってきています。その後の世代はもっと露 骨に、金儲けならなんでもあり観となっていまいました。かって村上ファンドの村 上氏は、TVの記者会見でシャシャァと{金儲けが悪いことですか}と開き直ってい ました。少なくともそんなことをTVで言うのは、はばかられる美意識が日本人に はあったのです。かっては・・・。
現在の中学高校には、倫理はないそうです。哲学は、私の若い頃にもありませ んでした。ここでの哲学とは西洋哲学ですが、まして東洋哲学となると高校教育 ではいまも昔も皆目でしょう。かろうじて美術音楽は残っているようです。美しい は非常に大事な道徳観念です。行為が美しいか否か。日本人は、いまさら日本 武士道に帰れない。先の戦争で完璧に打ちのめされた。
しかし有美の行為はすでに道徳の行為なのです。



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