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2006/8/15
世では8/15を終戦記念日といい敗戦記念日となぜ言わないのでしょうか。
終戦記念日とするならば、開戦記念日が在るわけだが、こちらのほうはトント聞
かないのはなぜでしょうか。
東京裁判を、なぜ極東国際軍事裁判と正確に言わぬのはなぜでしょうか。
齢も相当に積み重ねますと、昭和史が非常に気になり出しました。昭和史は学
校の歴史授業でほとんど習っておりませんでした。この私にとって空白の歴史を
考えたいと思うようになりました。たとえ異説となっても自分の頭で考えたい、自
分で検証したいと念願するようになったのです。20世紀は戦争の世紀とよく言わ
れます。昭和史は戦争歴史です。
日本は細長い四面を海に囲まれた島国です。よって昔から海軍力が国防の生
命線でした。ロシア、中国、米国のように国土が広大で資源が豊富であるなら
ば、敵が攻め上ってくれば自国の奥深く誘い込み、時を見て陸軍の総攻撃で反
撃殲滅という作戦を展開可能ですが、我が国はそのようには参りません。したが
って海上で有利に作戦を展開し時を見て敵海上戦力を殲滅し、和議に持ち込む
とする作戦が主力とならざるを得ないのです。世にいう日露戦争の成功体験です
が、これは、太平洋においては海軍力が要となり、大陸においては満州朝鮮半
島の陸軍と兵站線護衛の海軍力が要となります。これに航空戦力の台頭をみ
て、さらに複雑化しますが、大体これが昭和20年までの基本的作戦の背景であ
り、優とすべき戦略であった思います。しかし、いろんな判断誤謬を積み重ねて
完全な敗戦となりました。それは、連合国に負けたのですが、アメリカが占領した
ため、アメリカに負けたと同義語となり、以後米国の強い影響下に国防、安全保
障を考えることとなります。
現在では、どの国も単独で国家を防衛することなど考えていないと思います。
何らかの軍事同盟、安全保障条約等でもって集団的防衛を主に考えているので
す。
あるいはまた、軍事と宗教について、このごろ大変気になっています。大変興
味深いことに、我が国では、この2大事項がうち捨てられている状況です。我が
国の宗教は、神道と仏教がその多くを占めています。そして多くは、信仰というよ
り習慣に近くなっております。一部の神官、住職を別として、大多数は、今やまと
もな説教をすら出来ません。日本のキリスト教の実状についてはよく承知してい
ません。
軍事については、防衛大学以外で本格的講義を持っている大学を知りません。
世界は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つ巴の宗教戦争中です。我が
国は、このセム系の宗教とは縁が薄い国であり、神道や仏教から眺めるとよくわ
からないところがありますが、世界は昔から、軍事と宗教は親しき友という関係
にあると信ずるものです。宗教は無紳論者をも含めて、現に生きている人間集
団の行動に影響力を発現するのです。それは、直接的に個人に迫ってくる場合
もあれば、文化を通して無意識下に同胞民族に影響を与え続けていく場合もあり
ます。
敷島の 大和魂を人問わば 朝日に匂う 山桜花
有名なこの句に、美的反応を感ずる日本民族は今でも少なからず在りましょう。
この美の感覚は、思うに、神道的であり、仏教的ではありませが、時には神道、
時には仏教というふうに、時と場所を自由に越えながら、また両者融合して、文
化の中で無意識化され行為として現れると思います。
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