参考資料
2007年10月14日

一番主砲平面図の一部



2007年10月12日

主砲側面アーマーのグラフィック



2007年10月12日

兵員待機所の増設のグラフィック



2007年10月12日

新説の機銃管制塔



2007年10月12日

新説の号令台形状



2007年10月12日

諸説の切り抜き



2007年10月12日

一番副砲塔の裏面の新説



2007年10月12日

高角砲のグラフィック



2007年10月12日

舷側てすり部分のグラフィック



2007年10月12日

舷側てすり部分の図面



2007年10月24日

三号一式電波探信儀三型アンテナのグラフィック



2007年10月24日

カタパルトのグラフィック


滑走台に滑り止め鋼板が本当に貼られていたのでしょうか・・・。
2008/01/17 黄色 ここらあたりに点検用のハッチが描かれていないのですが、、、。

2007年11月14日

93式12粍連装機銃



2007年11月21日

最後部甲板


黒点線は、艦尾フェアリーダー説のフェアリーダー。白丸内はボラードですが、白矢印の位置にあったと仮定します。赤 四角のポラードはそのまま。青枠は三連装25ミリ機銃座、黒四角はその支柱。
以上の配置仮定における係艦運用は、艦尾フェアリーダーは、従来の曳航用ではなく、接岸用舫ロープの正規フェアリ ーダーとし、ボラードを経由してキャプスタンで締め上げて艦尾を岸壁に寄せます。艦尾からはバックアップ用としてあと 1本のロープが可能です。
その後、赤四角のポラードを使用してスブリングを取ることとしますが、これは艦が一応接岸完了して安定状態に入って からの作業なので、キャプスタンは使用しません。
白抜丸印のあたりに、25mm単装機銃があったとする説は、このような場所に単装機銃一機を設置しても、視界が非 常に悪いため、(カタパルトと、三連装25ミリ機銃座の谷間になってしまう。)本当かなという素朴な疑問はズーと残って いますが、証言から、そういうことになっているようです。有効性は別にしたら設置そのものは可となりそうです。
H19/11/24 カタパルト端をクレーンの根本にひねっておくと、以外と上空が開けてくることが解りました。

この、配置は、艦尾フェアリーダー追加とキャプスタンの位置変更すれば、ニチモのキットの配置とほぼ同一という結果 となります。
 
白丸内のボラードの位置は、多分に武蔵の艦尾写真からの考察と思われます。確かに武蔵の写真からはそのように考 えられますが、武蔵には、大和のような艦尾旗竿下の不明瞭な構造物が無いことがはっきりしています。
大和の場合、この不明瞭な構造物を、艦尾の大がかりなフ三連のフェアリーダとすると、それを中心に考えを進めれ ば、ボラードの黒丸位置で、運用上も古写真の写り具合からも、かなり整合性が出てくる感じがします。
古写真では、三連装の機銃座設置前の写真ですが、わざわざ機銃座増設そのためにボラードの位置を移動させたとす るのも、考えられないことではないでしょうが、非常に強度を考慮しなければならない物だけに、にわかに信じがたいで す。

2007年11月25日

大和乗り組みの証言により復元の一番副砲図


2008/01/17 黄色 ここに何も造形物が無いことに注意!!!。



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